さんかく/吉田恵輔監督
最初は妙にエロい感じで、ポルノでも間違って借りたんだろうかと思った。まあ、それが全体の伏線になっていて、この不協和音の始まりが、どんどんそれなりに完成された小さい社会を崩壊させていく。僕にはヤンキー文化というのはほとんど理解できないが、東京とはいえ、いわゆる狭い地域社会の中で、それなりに幸福に暮らしている若者たちの中の狂気のようなものを見ていて、実際には人とのつながりがベースになっていて、その関係に歪みが出来ると、かなり危うく崩壊するものなんだと、改めて考えさせられたのだった。
同棲生活は必ずしも夫婦ではないというのは分かるが、この場合は限りなく結婚に近い形の同棲なのではなかろうかと考えられる。だからおそらく、妹が遊びに来たといっても、実家の方もある程度了解をしているし、さらに考えてみると、それなりに安心して送り出しているという感じかもしれない。しかし半分子供、半分大人めいた(設定では15歳)年頃の女は、姉の同棲相手を簡単に魅了してしまう。おそらくは自分の恋が上手くいかなかった苛立ちのようなものの捌け口として、自分の自信を取り戻す方法として、いや、もしくは単なる気まぐれとして、なんとなく男の視線を感じることに自然に自分を合わせて魔性の女を演じてしまったのだろうと思われる。だからこれっぽっちも罪の意識は無いし、むしろある程度それが成功して楽しめることもあるし、その後の面倒も、自分なりの自信につながっていったのではあるまいか。そこで精神的には歯車が外れてしまった男は、もともとなんとなく彼女の嫌だった面が大きく感じられるようになり、さらにそのことも自分に都合のいいように思われてきて、それを理由に清算しようという行動に出てしまう。彼女の方は本当に理由など思いもよらず、喧嘩した勢いで、自分のある意味で過ちを責めて、行き過ぎた行動をとってしまう。というか、追い詰められているので、少しおかしいけれど、しかしそれなりに仕方なくストーカーめいたことをしてしまうということだ。これにもいろいろ理由は隠されているのだが、この痛い感じが一気にホラー映画めいたことになるところは大変に面白かった。いや、恐ろしいのだが。
これは観てない人には分からない話だが、映画の終わりの後は基本的に観るものにゆだねられているわけなんだが、ネットでパラパラとネタバレ感想などを見ていると、ハッピーエンドとして捉えている人が多いのにそれなりに驚いた。いや、僕としては精神的にはハッピーエンドには違いないと思うけれど、皆がそれぞれに狂気から目覚めてみて、皆がそれぞれに間違っていたという悟りのようなことを自覚して、そうしてみると、なんだかもうこれはすっきりと終っていいんじゃないかという事なんではなかろうかと思うのである。だから姉はゴミ袋を妹にも持たせて一緒に捨てに行くわけで、もうやり直しなんてものには執着しないのではないかと、僕なんかは思ってしまう。そうしてそうだからこそ、ハッピーな終わりじゃないかと思うんだが…。
映画というのは観たものの勝ちであって、監督がそうではないというから間違っているというものでは無い。要するにだからそうやって終わったのではないだろうか。人間の愚かで痛い部分を、結構見事に描いた作品なんではなかったろうか。