カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

家に帰ってご飯になった

2015-03-19 | 掲示板

 卵ごはんを味海苔にまいて食べて、焼き魚(たぶん鯵)を食べた。
 二日ほどいつの間にか風呂に入ってないことに気づいて、シャワーを浴びた。ホントに素早く。
 なんとなくトイレに行きたいような不安があったのだけれど、そんなことを考えるのもめんどくさいというか、そうして、通勤の30分を無事乗り切った。
 書面をいくつか読んで処理し、電話の応対をして、少し予定の調整。一つ断り、一つお願いした。でも結局、ほんとに何か減ったのかな。
 見学者があって、いつものように説明している途中で、いつものような言葉で無くて、違う展開になる自分を意識する。サービス精神かもしれないし、しかし何か言いたいことがあったのかもしれない。そうして、時間いっぱい頑張って、なんだか腹が減った。
 うまかっちゃんの担々麺というのに、お湯を入れてラップして2分ほどレンジに掛ける。三分の一食べるつもりだったけど半分ほど食べた。残りを流しに落として、皿を洗った。
 会議のために高速道路に乗って、ああ、そういえば天気が回復しているな、とおもった。
 いつもの駐車場は満車。また移動して別の駐車場に。余裕の時間は無くなった。
 最初の会議は、しかし分かっている通り。そうして、どうなるかな、ということより、まあそうだろうな、と思った。皆本当は分かっているのだ。そうして僕はなんだったのかな、とも思うわけだ。それでいいんですけど…。でも早く終了して間の時間があって、次の会議のための了解事項があって、それはありがたく済ませることが出来た。協力してくれる人も含めて、ありがたいものです。
 会議ではそれなりにちゃんと出席者があって、でも静かに進行して、就任の挨拶して、無事というか、なんだか演じているような、しかし現実感のないような気分はあったように思う。でも正直言うと、途中で開き直って挨拶の言葉は考えていたかもしれない。それでもそれでよかったかはわからないのだけれど…。
 今夜は飲むかもしれない、と伝言していたらしいけど、いろいろ打ち合わせした後に結局帰って来て、家で飯であった。VTRを見て、だらだら酒を飲んで、そんなにいつもと変わんないんだけどな、と思ったりする。それは当たり前なんだけど、気分的には、やはりちがうかもしれないな。来月からさっそくそれなりに仕事が増えるらしい。それが直接的に嫌ではないのだけれど、先は長いんだろうな、とも思う。もっとつきあいを悪くして、もっと人に嫌われるような人間になりたいものだと思うわけで、まったく青い人間だな、と自分を批判するわけだ。それが自分だからしょうがないじゃないか。
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馬鹿馬鹿しくて立派だ   寝ずの番

2015-03-19 | 読書

寝ずの番/中島らも著(講談社文庫)

 艶笑話というのは一つのジャンルだが、普通はこればっかりだと、多少きつくなる場合がある。友人関係で大切なのは、エロネタ、下ネタが出来るかどうか、という話もあるが、それだけの話のやつも嫌われるところだ。そうなんであるが、やはりこのようなネタを自分語り出来るかどうかというのは、やはり一定の人格形成には必要なものかもしれなくて、楽しいんだが、それなりに苦労するところだ。うまい具合に話ができると株が上がるが、これが上手くいかないと、落ち着きが悪くなる。簡単なようでいて、そういう頃合いを見極めるのが難しい。ごちゃごちゃ言わず笑い飛ばしてしまえば済むことなんだが、そういう自分の自意識との戦いのようなこともあって、友人づきあいの上手くいかない人がきっといるに違いない。これを読んだからすぐにどうこうという事は無いだろうけれど、友人が少なくて困るような人には、あんがいこれは為になる本なのではないか。
 という事で、この作品のように、噺家がその話だけで物語を語ったらどうなるだろう。何しろプロなんで、馬鹿馬鹿しいが、延々と続いてもちゃんとおかしい訳である。本当にしょうも無いとは思うのだが、人間というのはしょうも無いんだから仕方がないではないか。要は面白いネタをどのような場面でどのように披露するのが大切か、ということでもある。笑いを取ればいいのだから、場面設定はあんがいきわどいことが多い。そうして最悪の結末を呼び込んでしまうようなことにもなるんだけど、それが却って体を張って面白くなるという事にもなる。そう考えると、おかしいのだけど、ほんのちょっぴり悲しくもある。因果な商売の人たちなんである。
 短編集なので噺家だけの話ではない。もとになるような芸能人とのつきあいのある著者ならではの芸と言えるだろう。しかしあくまでもドキュメンタリーでなく、小説である。作家の才能というのは、このような創作能力という事になろう。馬鹿ばっかりやって楽しんで、そうして他の人も楽しめるものを作ってしまう。ひょっとすると少し苦しんで作っているのかもしれないけれど、馬鹿もここまで来ると、本当に立派である。
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