カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

娯楽の王道を楽しむ   キャビン

2015-03-14 | 映画

キャビン/ドリュー・ゴダード監督

 友人たちとつれそって森の中の小屋に行くと怖いことになる、という定番のホラーを踏襲した様に見せて、実はぜんぜん違う展開を見せるという娯楽作。様々なホラー映画のパロディになっていて、どこかで見たような展開や場面が随所にみられるわけだが、それそのものが、結末へ向かう物語の伏線にもなっている。ミステリとしての話のどんでん返しもあるので二重三重に楽しめるわけだが、結果的に面白いものの、ホラーとしての恐ろしさは大したことは無い。まあ、それで僕としては大変に助かったのだけれど…。
 怖いもの見たさというのは、考えてみると確かに不思議な娯楽である。恐ろしいものは感覚としては嫌悪の対象である。それは人間の根源的な死や苦痛への恐怖心であると思うが、性的に特にマゾっ気の無い人でも、恐怖ものが好きな人は少なくないだろう。いや、厳密にいってそんなに好きではないと思っている人でも、恐怖物はそれなりに楽しめたりする経験があるのではないか。特にみんなでワイワイ騒ぎながらホラー映画を観るなんてことは若い頃にはよくやっていたもので、一人くらいはどうしても嫌だと言い張るような奴が混ざっている方が、そういう会が特に盛り上がる。ひねた奴が、こんなの大したことないとシラケているのも含めて、結構楽しい思い出だったりする。要するに皆程度はバラバラにせよ、怖いものというのはやっぱりあるわけで、そういう苦痛は逆説的に楽しめるものなのだ。
 なんでも性的な話にするのはフロイト先生の悪い癖だと思うが、少し踏襲して思うのは、やはり多かれ少なかれ、性的な興奮と苦痛というのが類似的な誤解が生じやすいというのもあると思う。人間という厄介な生き物がミラーニューロンで共感を得るという事も含めて、やはりマゾ的な快楽は、本能的に持っているものと考えてもいいのかもしれない。意識下には否定するのは結構だが、さらに本当に嫌であることに偽りは無くても、そのことを快楽にしてしまえるのが人間だという事になるだろう。行き過ぎると猟奇殺人なんてことをする人もいるわけで恐ろしいわけだが、程度問題としては、それは別に異常でも何でもないことだ。だからやはり娯楽として楽しんだものが勝ちという事にもなるんだろう。
 という事で、最後はちょっと行き過ぎちゃったな、という反省のかけらもない娯楽の王道作だという事になる。面白いのでぜひ楽しんでもらいたいものである。
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