ダック・コール/稲見一良著(ハヤカワ文庫)
ハードボイルド作品というのは、ある程度気持ちが入らないとその良さが分からないものだ。冷めた感情のままだと、要するにそのカッコつけたおおげささに付きあいきれなくなる。そういう冷めた感情をいかに高ぶらせていくかというのが作者の文章力でもある訳で、それなりに恐ろしいものではないかと推察する。最初からこれが好きなら何でもないことだろうけれど、そういうおつき合いの感覚が分からない人にはなかなかしんどい作品かもしれない。
そうではあるんだけれど、作者の思い入れたっぷりの話はそれなりに面白い。僕は男としては軟弱な方なので、武器だとか狩猟とか、さらには鳥に関してもそんなに興味は無いのだが、そういう世界が素晴らしいらしいことはひしひしと伝わってくる。俗世界では味わえない野生の醍醐味と、そうしてそのことが分かる人たちの友情が詰まっている。年齢は関係無くて、大人から子供まで。一部男気のあるお婆ちゃんが出てくるけど、基本的に女子禁制。だけどエロ無し、という世界。女を締め出して、男でさえ選ぼうという野暮なんだけどカッコいいハードボイルド世界なのである。
趣味の世界だからそれでいいとはいえ、しかしながらこういう考え方はそれなりに偏見でもある。俗世界でもハードボイルドは成り立つし、自然の中だから純粋であるとは限らない。むしろハードであるがゆえに、ずる賢く立ち回る方が有利だったりする。そういう意味ではこのカッコ良さが成り立っている背景は、完全なるメルヘンであるとも言える。嫌な奴がそれなりに出てくるけれど、最終的には力の関係性で、彼等は本当に下等な生物に過ぎない。そういうバランスだから溜飲が下がるというのはあるが、本当にハードな世の中は、得てしてそういう訳にはいかない。この世界観を保つためには、リアリティすら捨てるような覚悟も必要なのではなかろうか。
細部の描写においては、エッジの効いた本当にリアルなものがちりばめてある半面、もっとも重要な社会観は、完全なる作りもので無くては成り立たない。そういう大自然が本当に作りものではないのか。僕の中の疑問というのはそういうことである。自然描写が素晴らしいとはいえ、やはりそれは頭の中の大自然であり、そうして鳥たちの行動なのではないか。
もっともそういう鳥たちを料理して食うのだけど、これは確かに旨そうなのである。味覚というのは、想像でも旨いというのは面白い。リアルだと残念なことにもなりかねないが、文章なら味覚が裏切られない。なんだか人間とは厄介な生き物だな、とは思うのである。