特定秘密保護法という堅苦しい名前と印象の所為があるためなのか、報道では反対の声が激しくは聞こえる。今の独裁国家を糾弾する使命があるようである。皮肉なことにその逆の国である証明にも見えるが…。基本的には事実上「スパイ防止法案」なのだから、名前のセンスが悪かったのだろうな、と思う(もっとも反対するのが野党の仕事みたいなもんだけど)。スパイ防止法なら勘違いせずに反対しづらいのではなかろうか。何しろ新しい法案が出来ても報道の自由が制限されることは考えづらいし(国家機密でも内容が国民の不利益だったら罰せられる可能性も低い。それは普通に犯罪摘発だろう)、日本のスパイ自由国家との批判のある現状を考えると、どのみちこの法案が無くても対策が必要そうに見えるからだ。将来的には日本の自立を促すために、米国側の強い要請があるものと想像できる。安易に同盟国である日本に米国の軍事連携の情報を流すと、そのまま筒抜けになってしまう恐れがある。それでは日本の安全保障の問題を超えて国際的な危機感が広がるという懸念の方が強いというのが実情のようだ。しかしながらこの法案の説明では、そのような背景を語る人が極端に少ない。そもそも論はそれが出発だと僕は記憶しているのだけど(それも民主党時代だったと思う)、そういうことを隠して論じているマスコミの事情もありそうだ。
または尖閣沖の中国漁船との衝突事件の印象もあるかもしれない。当時の政府は隠したが、海上保安庁職員が摘発した。本人は辞職したようだが、そのようなケースが罰せられるような印象があるのかもしれない。これは僕には判断しようが無いが、おそらくこのケースを想定してメディアが批判しているとは思えない。彼らとは関係のない事象と捉えているのではなかろうか。もっともそういう制限があるというのであれば、このケースをとらえると議論する余地はありそうだ。
行き過ぎだと思うのは、石破幹事長のブログの発言を大きく恣意的に拾い出して批判しているようなことかもしれない。法案とは関係が無いばかりか、テロの定義がどうだとか、単なる批判のための批判になっている。彼の立場からすると認められているデモ行動がテロに等しいと感じられるのはむしろ普通の感覚だろう。言論を封じてしまうようなマスコミの論調自体に脅威と問題を感じざるを得ない。まるで非国民を糾弾する戦時中のようではないか。
もっともどちらに肩入れするつもりも毛頭ない。いずれにしても政治的には決着しており、民主国家としては法案がすんなり通る方が自然である。何しろ議論をして手順通りやっている方が事実だからだ。
結局はマスコミとしては、政治ショーとして対立するような面白い報道が少なくなっている現状に不満があるのだろう。それでは新聞は売れない。この機会が商売のチャンスという嗅覚が働いて強引な世論誘導を展開しているというのが、今の素直な現状把握ということになるのだろう。残念だが、それは禍根を残すだけのことなのだが…。