カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

カント入門

2012-02-17 | 読書
カント入門/石川文康著(ちくま新書)

 カントというと、生真面目で決まった時間に散歩して、それを見た人が時計の時間を合わせるという逸話が有名で、つまり堅物で難しく、とっつきにくい印象がある。実際のカントを読んだことはないが、そういう訳で入門でチャッチャとさわりをのぞいてみようなどと思った訳だ。
 実生活では、確かに大したドラマの見つからないひとだったようだし、評伝を書いてもつまらなさそうな人だったことは確かなようだ。住んでいる町からも出なかったようで、引きこもりではないにせよ、哲学的思考を延々とやっていた人だったのかもしれない。しかしカントの成し遂げた哲学の軌道は、実はかなりドラマチックなのであって、書いてあることもそれなりに面白いようだ。哲学的思考がめんどくさいという人も多いのかもしれないけど、この本を読む限り、そんなに面倒なことでもなく、むしろそのカント的な思考の展開に、息をのむような面白さを感じることも可能ではなかろうか。少なくとも僕は、この本を手にとって本当に幸運だった。現在の時期というものもあるのかもしれないが、精神的にはいろいろと救われるところがあって、さらに人間という生物そのものの面白さも同時に感じる訳であり、本当に目からうろこが落ちるような感動を覚えた。何かに行き詰っているような事があるような人があれば、迷わずカントを読むべきだと言うだろう。このような感激を共有してともに救われることが、明白に分かっているのだから。
 特に現代社会というのは自由なのである。しかしその自由であるために人々は苦しまなくてはならなくなっていることが多々あるのだ。そういう苦しみの発生を理解し、そうして克服するのは、そういうことに目覚めることのできる思考方法にあるのかもしれない。そうして自分自身で方向転換を決意することから、泥沼の自由の束縛から逃れることができるのだ。
 このことは、実は多くの場合あらかじめ本当は知っていることなのかもしれない。しかし、知っていると思っていることと、本当に理解していることとは違うことなのだ。誰もがカントのように考え、カントのように物事を見つめることは出来ないだろう。しかし、カントを読むことは、誰にだってできることなのだ。いや、それさえできないひとのために、この本はある。カントを読んだ人からカントのエッセンスを抽出してもらい読んだだけでこれだけ感動出来るのだから、だまされたと思って読んでみるといい。おそらく読む前と読んだ後には劇的な自分自身の変化を自覚できるだろう。そのような読書体験の幸福が、これからの生活に彩りを与えることは間違いなかろう。
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