バレンタインデーというのが、あんまり意識にあがらなくなって久しい。そういう訳でほとんど忘れてしまっていたのだけど、息子たちが年頃になってみると、彼らにとってはそれなりに意味のある日なのかもしれないとは思うには思う。しかしこればっかりは僕にはどうにもならない。いや、こればっかりでは無く、ほとんどのことは僕にはどうにもならないことばかりだが…。
この頃のことを思い起こそうにも、やはりほとんど忘れてしまっている。仄かな期待があったことはそうだったんだろうけど、もちろん完全に何にもなかった。いや、正確にはいろいろあったような気もするが、自分が思い描くようなことは無かったというべきか。それが今の自分にどのような影響があったのかさえよく分からないが、女に縁のない時期が長すぎたせいで、今のようにヒネている可能性は確かにありそうだ。そうではあるが、もうどうにもならないので、考えても仕方がない。
チョコレートをもらうことで、意識的になるというのはありそうだとは思う。もちろんこの日の前の状態の方が大切なわけで、不特定多数の人から頂いたからといって、その意外性を楽しむということは出来そうにせよ、やはり本当に意味深いとはいえない。それがきっかけで気になって好意を持つにいたる可能性は無いとは言えないが、そういうケースは統計上どれくらいのことなのかという程度には、ある特定の個人に関係する可能性は低そうだ。日ごろ接触の無い何の感情もいだかない他人から、熱烈に好かれるような理由は、普通の人にはありはしない。
そういう訳で、実際には予想の範囲からもらえなければ、この日は失敗する方が正しい日なのであって、そういう確認の日であるというとらえ方は出来るものなのかもしれない。
そうなんだけど、あれはいつだったか、ある人に渡そうと思ったんだけど出来なくて、もったいないからアゲルよと言われて、バレンタインも何日か過ぎてからチョコレートをもらった覚えがある。僕はチョコレートをたくさんは食べきれないから、たぶん全部は食べなかったと思うのだが、なんというかしばらくは、何となくその子のことが気になっていたような気がしないではない。やはりチョコをもらうというのは、そういう意味ではそれなりに効果的であるとは言えるのかもしれない。
昨日渡せなかったような人は、後日でも渡すことができるといいですね。効果のほどはやはり分からないのだけれど…。