やっと年賀状を書いた。今年は取り掛かりは比較的早かったのに、書き上げるのに時間がかかった。変な迷いが生じて手につかなかったのだ。
しかしながら昨年から年賀状をもらうほうが激減しており(おそらくJC卒業効果)、今年は僕もだいぶ仕分けした。実はその作業が比較的難航したというのがホンネ。
本来は年始の挨拶に参じることができない人に対して書面でのご挨拶という意味あいの年賀状なので、新年早々に会う予定のある人には不要とは言える。葬式とか結婚式に行けないので電報を打つようなものだろうか。本人も出席しているのに電報の披露などがあると妙に気恥ずかしいものだが、政治家などはそれがむしろ当然かもしれない。しかしながら年賀状は親しい人にこそ出す習慣へと変化したように思える。むしろ新年早々に会う人でうっかり年賀状を出し忘れていたりすると本人の目の前でバツが悪いような気がする。
まあしかし、面の皮が厚くなったようなことでもあって、たいていのことはかまわなくなった。それに考えてみると多くの人は別段年賀状の失礼はそれほど気にして無いのではないだろうか。少なくとも貰わなかったから人間を見るというようなことを考えることは無い。以前から貰っている人から今年は来てないということで、何か不幸でもあったものだろうか、などと思う程度である。
仕事関係のものはたいてい職場に来るが、量のわりにチェックは適当だ。
やはり賀状というのは親しい仲である確認という意味のほうが強いようだ。まあ、最近は携帯のやり取りはするくせに住所を知らない仲というのも増えているが…。そういえばオヤジの会のメンバーなど、住所を知らない人ばかりである。年始には会うのでこの機会に失礼を詫びておきます。すんません。
ともあれ、年末の仕事が終わったような安堵感である。このまま今年は終わっていいという感じなのであった。
しかしながら昨年から年賀状をもらうほうが激減しており(おそらくJC卒業効果)、今年は僕もだいぶ仕分けした。実はその作業が比較的難航したというのがホンネ。
本来は年始の挨拶に参じることができない人に対して書面でのご挨拶という意味あいの年賀状なので、新年早々に会う予定のある人には不要とは言える。葬式とか結婚式に行けないので電報を打つようなものだろうか。本人も出席しているのに電報の披露などがあると妙に気恥ずかしいものだが、政治家などはそれがむしろ当然かもしれない。しかしながら年賀状は親しい人にこそ出す習慣へと変化したように思える。むしろ新年早々に会う人でうっかり年賀状を出し忘れていたりすると本人の目の前でバツが悪いような気がする。
まあしかし、面の皮が厚くなったようなことでもあって、たいていのことはかまわなくなった。それに考えてみると多くの人は別段年賀状の失礼はそれほど気にして無いのではないだろうか。少なくとも貰わなかったから人間を見るというようなことを考えることは無い。以前から貰っている人から今年は来てないということで、何か不幸でもあったものだろうか、などと思う程度である。
仕事関係のものはたいてい職場に来るが、量のわりにチェックは適当だ。
やはり賀状というのは親しい仲である確認という意味のほうが強いようだ。まあ、最近は携帯のやり取りはするくせに住所を知らない仲というのも増えているが…。そういえばオヤジの会のメンバーなど、住所を知らない人ばかりである。年始には会うのでこの機会に失礼を詫びておきます。すんません。
ともあれ、年末の仕事が終わったような安堵感である。このまま今年は終わっていいという感じなのであった。