カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

頭から分からない大人になるな

2008-07-30 | 雑記

 寝る前にNHKを見ていたら「ルパン三世」の特集をやっていた。特に当初演出をしていた「おおすみ正秋」のインタビューがよくて、思わず引き込まれてしまった。大人になった今となってはちゃんと謝ることができるようになったけれど、しかしその無念は晴れていないことも理解できて、時代を先取りすることがいかに困難なことなのかということを考えさせられずにおられない気分だった。その風貌はイカれたおじちゃんだが、この人は偉い人だと思った。ルパンというのはもともと大人向けのアニメを作ろうということで始まったものであるのに、そのコンセプトそのものを会社の都合で削らざるを得なくなっていく運命を背負っていた。結果的に後には大ヒットしていくわけだが、その後のことがよかったからそうなったのか、というより、むしろその削られたコンセプトの残り香が、ルパンというものを革新的に成長させることになったことは間違いがないようにも思われた。今は全然面白くも糞もなくなったルパンだが、当初の映像を見ても最初はやっぱり面白かったんだということがよく分かった。しかしその面白さというものより、視聴率ということに振り回されて、結局今のような面白くないものへと変わらざるを得なかった事情もよく分かって、なかなか凄い歴史の証言だと思った。そしてそういう革新的なことをしていく若者たちが、実に生き生きと楽しみながら作品を作っていたこともよく分かった。やろうとしていることが(今考えると何でもないことのようだが)革新的すぎて次々に難題が持ち上がるのだけれど、それすらも楽しいという感じであった。しかし、結局面白いということで評価を受けながらも、視聴率という現実というか一方的に作品に対してどうでもいいような基準が邪魔をして、つぶされてしまうのである。しかし最初は誰も理解できなかっただけのことで、再放送を重ねるごとに評価が上がっていくのである。タイムリーで見ていた僕らでさえよく事情は知らなかったけれど、ルパンの革新的なかっこよさは年を追うごとに薄れて行って、結局見放したという覚えは確かにある。宮崎駿になったルパンというものは、別のルパンとして評価することはあったにせよ、本当のルパンではないとはっきり感じていた。まさかこのような事情でそんなことになっていたなんて、大人なんていつの時代にも実に愚かなものであると思うのだった。
 しかし結局はそんなことは誰もわからなくて、分かりやすいどうでもよさの方が重要視されてしまうのだ。そんな仕事をしても誰も面白くないので、ますます面白くない人が出世していく。一度大きな革新的なことが起こって、もっとひっかきまわす必要があるかもしれないなあとも思う。いや、実はもっと簡単なことで、ちゃんといいものは育てるという自信のようなものをもつことが大切なんじゃなかろうか。誰もわからずとも俺はわかる、というような本当の大人のいない社会だからこそ、今のような右往左往で世の中はなんとなく決定していくだけじゃないか。見た目のチャラチャラしたおおすみというオッサンはアウトローになるしかなかったのかもしれないが、ちゃんと時代を作ったという自負は持っていることだろう。少なくとも僕らは最初のルパンは忘れていなくて、今でも胸がときめくのだ。それはノスタルジーなんかじゃなくて、今からを作っていく原動力になるはずなんだとも思うのである。
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