それぞれに歩む

2009-02-20 | 読書
●郷愁の詩人 与謝蕪村/萩原朔太郎/岩波文庫
 昭和8年から11年頃に書かれたものである。
 蕪村の俳句にあるものが何であるかが、萩原朔太郎の感性でとらえられている。感性と言ったが、もっと心の奥の深いところからと言ってもいいかと思う。少なくとも、わたしは、概ね共鳴した。ただ、「郷愁」のひとつとして、慈母への思慕がよく出て来たが、そこが気にかかった。自分には、母への思慕が果たしてあるのだろうかと。と言うことは、蕪村の俳句から、そのようには余り感じないということでもあるかも知れない。
 いずれにしろ、萩原朔太郎が、己の心底にあるものが何であるかをさらけ出すようにして書かれていて、凄いなと感じた。それは、萩原朔太郎の魂の投影でもあるように感じた。
 正岡子規の蕪村の理解について書かれている。子規は、蕪村の価値を再評価した人ではあるが、蕪村の詩心をまるで分かっていなかったと評している。おそらく、そうなのだろう。俳句の背後にある情感、想念、音楽を感じとれない人であったと。
 萩原朔太郎が言うように、蕪村がどのような思いのもとに句をつくったかが、まるで分からなかったら、その句は味気ないものとなろう。萩原朔太郎とまるで同じに感じることはなくていいだろうが。
 人それぞれに、それぞれの道を歩いている。ひとつの言葉から思い浮かぶものもさまざまである。しかし、まるでばらばらというわけではない。共通するものがあるからこそ、わたしたちは、人と言葉をかわしながら生きている。

梅よいつまでも

2009-02-19 | 【樹木】梅
 ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな(式子内親王)
 忘れてしまうというのも、ひとつの方法ですよ。
 わが身の古傷すら、いつどうしてついたのやら、忘れることがあるものだ。
 ほんとうは、深いところに傷を残したまま。

梅の蕾に冷風

2009-02-17 | 【樹木】梅
 今朝の風は冷たい。
 先週の金曜の夜、しばらく夜風に吹かれていた。
 その日のあれこれを思い出したりしていた。
 からだが冷えることはなく、心地よかった。
 そして、あたたかい日が三日続いた。
 それが嘘のような寒気のもどりだ。
 開きかけた梅の蕾はどうなるだろか。
 のどかなる春はまだ。 
 かをる香のたえせぬ春は梅の花吹きくる風やのどけかるらん(久我前太政大臣・千載和歌集)

紅枝垂梅の蕾ひらく

2009-02-16 | 【樹木】梅
 吉野梅郷で買った鉢植えの紅枝垂梅は、昨日(2月15日)、ひとつめの花を咲かせた。去年は、2月27日だった。早いのは、ここ数日の陽気のせいも影響しているか。
 淡紅色で五弁である。その色合いから、緋梅系とは思えぬ。花びらの下半分が重なっており、手元の図鑑を見ると、鶯宿(オウシュク)に似ている。
 他の蕾が開くには、もう少しかかりそうである。

八重唐梅と気づく

2009-02-15 | 【樹木】梅
 多摩動物公園の園内に、毎年、その開花を気にしている梅の木がある。
 いい香りを放つ紅梅である。
 先日、ちらほら花をつけだし、今日はかなり開いていた。
 写真を撮った。
 今日は、この梅は「唐梅」だったのだと思って眺め、香りを楽しんだ。
 これまでは、単なる「梅」という認識しかもてなかった。
 最近得た梅の品種に関する知識が、見分けに役に立った。
 唐梅は、花びらの縁が白っぽいこと、花は、下向きであること、中央に紅い筋が入るとのこと。このような知識は、われわれの認識というものを深めてくれる。
 おそらく、八重唐梅で間違いなかろう。  
 ※写真は、唐梅。

梅の花になりたい

2009-02-15 | 【樹木】梅
 世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にも成らましものを(豊後守大伴大夫)
 恋、繁くあれ。
 男と女の色恋も。
 そうも思うが。
 白き梅たちよ。
 香り立つ美しき梅たちよ。
 君たちの幾ばくを愛しむことができるだろう。
 生身は限られた時間と空間を行き過ぎるだけ。
 紅い梅たちよ。
 その紅い花びらにふれられるのは幾ばくのことだろう。

梅園を歩く

2009-02-14 | 【樹木】梅
 府中郷土の森の梅園を歩いた。
 あたたかな日で、ジャンパーを脱いで歩いた。
 すっぱい梅のソフトクリームを食べた。
 梅の木にメジロが来ていた。
 約60種、1100本の梅の木とガイドにある梅園である。
 そんなに混んではいなくて、ゆっくり花を楽しめた。
 野梅系で野梅、白加賀、内裏、月影など。
 紅梅系で、紅千鳥、唐梅、鹿児島紅など。
 豊後系で豊後など。
 その名を確認しながら歩いた。
 ※写真は白加賀

梅の花をかざして

2009-02-13 | 【樹木】梅
 白梅や誰が昔より垣の外(蕪村)
 西脇順三郎の詩集「旅人かへらず」に「花をかざした幻影の人」が出てくる。
 この詩集の最後の二行。
  幻影の人は去る
  永劫の旅人は帰らず
 垣の外の白梅のところに佇んでいるのは、誰だろう。
 俺が幼かったときも、老いてきたいまも、そこに佇んでいるのは。
 それは、俺の魂のさみしさから出てきた幻影か。
 俺を見て微笑んでいるようでもある。

恋しき梅の花

2009-02-13 | 【樹木】梅
 あの白梅のようなひとを誘って、梅の花を見に行きたいな。
 あいつを誘って、少年時代のことを語りながら、梅の花を見るのもいいな。
 それにしても、身はひとつ、あのひともこのひともということもできないな。
 何もないのもさみしいな。
 どうしたものかと惑ううちに、春の暮れ。
 ひと恋しさだけが残る春の暮れ。
  春の暮家路に遠き人ばかり(蕪村)
 大切な一日、かけがえのない一日、梅の花も見ることもなく過ぎてしまうのか。
 つまらないな。
 (梅の花を見ることはできたけど、いつしか夜も更けた。
  一日がおわってしまった。
  梅の花を見たのに、このさみしさは何だろう)
  今日のみの春を歩いて仕舞けり(蕪村)