若菜摘みを詠んだ歌は多い。何か、その情景を思い浮かべると、心なごむものがある。ただし、次の二首は、春うららの日ではない。
先日、源実朝の金槐和歌集から、一首引いた。
「春はまづ若菜つまむと標めおきし野邊とも見えず雪の降れれば」
ほとんど似たイメージで、万葉集には山部赤人の歌がある。当然、実朝より前につくられたものである。
「明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」
時に雪降る早春の若菜摘みである。若菜が、春の七草、七草粥と結びつけられた時代もある。また、おだやかな春の日の若菜摘みもある。
古今和歌集に紀貫之の、次の一首がある。人の心理にウェイトがおかれている。
「春の野に若菜つまむとこしものを散りかふ花に道は惑ひぬ」
どうもわたしは、うららかな春の野に、衣薄くにおやかな乙女らが若菜を摘む情景ばかりを思い浮かべ、妄想してしまう。道は道でも色の道、まさしく惑いである。
かわいい籠、へらを持って若菜摘む女の子に、名を訊ねる雄略天皇の心境に親しみを感じる。
「籠(こ)もよ み籠も持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 名告(の)らさね」
先日、源実朝の金槐和歌集から、一首引いた。
「春はまづ若菜つまむと標めおきし野邊とも見えず雪の降れれば」
ほとんど似たイメージで、万葉集には山部赤人の歌がある。当然、実朝より前につくられたものである。
「明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」
時に雪降る早春の若菜摘みである。若菜が、春の七草、七草粥と結びつけられた時代もある。また、おだやかな春の日の若菜摘みもある。
古今和歌集に紀貫之の、次の一首がある。人の心理にウェイトがおかれている。
「春の野に若菜つまむとこしものを散りかふ花に道は惑ひぬ」
どうもわたしは、うららかな春の野に、衣薄くにおやかな乙女らが若菜を摘む情景ばかりを思い浮かべ、妄想してしまう。道は道でも色の道、まさしく惑いである。
かわいい籠、へらを持って若菜摘む女の子に、名を訊ねる雄略天皇の心境に親しみを感じる。
「籠(こ)もよ み籠も持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 名告(の)らさね」