聖書と樹木

2006-09-13 | 【断想】神々
 日本基督教団の信仰告白に「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり」とある。
 さて、はて、聖書は・・・・・・・・・・。
 樹木や森のことを思いつつ、聖書をひらいてみた。新約聖書のはじめにある「マタイによる福音書」第3章に、「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」とある。これは洗礼者ヨハネの言葉である。
 そして、12章にイエスの言葉として、「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる」と記されている。
 総じて、聖書では、樹木は実(食料)と結びつけられてとらえられているように思う。樹木の恵みは、実のみではない。
 イエスの教えは信じるが、聖書といえど、実際の表現・記述を「神の言」と言い切ってしまうのは、いかがなものかと思っている。迷える子羊の言い分です。
※文中の聖書の引用は、日本聖書協会の新共同訳。