梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

道なき道(その4)

2020年07月18日 05時00分00秒 | Weblog
ワンダーフォーゲルとは、ドイツ語で「放浪する鳥」のことです(日本では「渡り鳥」と訳すことも)。19世紀後半のドイツで台頭した、固定化された社会規範から自由でありたいと、野山を歩き自然を謳歌しながら心身を鍛錬する、青少年運動がワンダーフォーゲルの由来です。正に道なき道を、求めようとする精神です。

日本では、第二次世界大戦前のドイツとの国家的友好関係の元、1933年に国(文部省)によって宣伝され普及が開始されました。戦後は高度経済成長と登山大衆化が背景となり、各大学に広くワンダーフォーゲル部が設立されます。私達の大学のワンダーフォーゲル部は1935年の創部となりますので、85年の歴史があります。

OB会の組織もありますが、体育会のような現役の競技を支援するものでなく、私達OB・OGの活動が主体です。その活動とは、やはり山登りです。春と秋には日帰り山行、本格的な登山の夏合宿もあります。日帰りは、同じ山域内で難易度によって10パーティー程に分け登山して、その後一か所に全員が集まる方式で、80歳を超える先輩の参加もあり毎年150名近くにもなります。

当然のこと私達同期でも、頻繁ではないにしても旧交を温めてきました。前回も書きましたが、同期は15名程いました。四年になる前に退部してしまったり、卒業後に遠のいてしまったりした人がいます。しかし60歳前後から、彼らに再会してみたい気持ちが増してきました。年齢ととも出てくる自然な想いかもしれません。

そのような想いが行動に変わり、彼ら一人ひとりに直接働きかけたことで、新たに同期会に参加する仲間が現れました。そのような中で、日帰り登山をして一泊をする忘年会が恒例となり、去年で四年目となり参加者は10名となりました。

前回このブログ上で登場した、Kさんです。彼自身の特殊な事情もあり、卒業以来疎遠なって45年が経過しています。誰が彼に声を掛けるかの話しとなりました。その役を引き受けてくれようとした人がいましたが、「今回声を掛けて断られたら、二度目のチャンスは無いと思う。梶に、お願いできないか」との、依頼です。

私にとってみても大役です。しかし唯一の頼みの綱は、Kさんとは48年前南アルプスで死と直面した体験の共有があります。引き受けることにしました。自宅の電話番号は年賀状のやり取りで知っていましたので、意を決し電話をしました。奥さんが最初出てこられ、直ぐに彼に替わりました。

主旨を伝えます。事前に用意していた再会候補日は大丈夫だが、コロナ禍で現在外出を殆どしていないとのことです。声を聞いていると昔が蘇ります。気使いをしてくれて、彼から近況を積極的に話してくれました。皆で集まって食事をする場所等を、後日手紙で送ることを伝えました。

その役を一旦引き受けようとしてくれた人に朗報を知らせると、「梶さんの人柄でKさんの引っ張り出しに成功しました!」と、他の同期にメールで発信してくれました。褒めてくれるのは嬉しい限りですが、私は彼に想いが通じたことが何よりの喜びです。

皆と集まって食事をする場所は、同期の一人、その息子さんが父親に代わって実質経営しているお店です。私がKさんに出した手紙には、参加するメンバーを知らせ、お店に直接行くか最寄りの駅(錦糸町)改札で待ち合わせするか事前に連絡をもらいたい、と明記しました。手紙を出した意図は、今度は彼から連絡をもらうことで再会する意思の確認でした。

そしてKさんから、開催日(7月8日)の二日前連絡が入ります。安心しました。お店に直に行くとのことです。それを伝えると、それでも同期の中ではドタキャンを心配している人がいます。手紙でのやり取りがありましたので、私は彼を信用していました。

当日を迎え、夕刻5時が集合です。私は4時30分一番乗りで着いて、Kさんを待ちます。お店の人に尋ねると、4時頃それらしき人が来て、持ってきた野菜を置いて、また出て行ったとのこと。一体どういうこと!? そして時間は5時となり、彼以外全員が集合しました。3分が経ち、そして5分が過ぎ去ろうとしています。  ~次回に続く~

OB会の日帰り山行
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