梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

U氏(その1)

2019年11月16日 05時30分58秒 | Weblog
U氏と久し振りにお逢いし夕食を共にしました。近況や今後のこと等を話し合って、再会を期して別れました。U氏と初めて出逢ったのは今から25年前、その方が26歳前後の頃で、鉄鋼商社に勤務していました。

他人の意見やアドバイスは素直に容認し難いものです。それまでの自分の考えが、優先しているからです。しかしそれを受け入れることで、違う道が開け、思わぬ成果が得られることがあります。U氏との出逢いで、そのようなことが私の中で起こりました。

U氏の第一印象は“派手”でした。目立つ色のワイシャツを着ていて、硬い印象がある鉄鋼商社には似つかわしくなく、しかし好感が持てるスポーツマンタイプでした。頭の回転がとても良く、美辞麗句は一切言わず、ストレートに物事を言われる方でした。

当時わが社は厚板の素材販売の拡張を目指していましたので、仕入れソースの選択肢も広げる必要性を感じ、面識も無い商社に、飛び込み営業を仕掛けました。その一社が、U氏が店売り担当であった商社です。その方は、わが社の存在は認識していました。当然のことながら、既にわが社のライバルでもある同業他社と取引をしていました。

けんもほろろに断られると思いきや、関心を示してくれます。それから暫く経って、その商社はわが社のことを調べに来ました。わが社は手形で買わせてもらうのですから、商社としての与信管理は大事です。初めはスポット的な商売でしたが、取引が開始したのは、わが社が飛び込んでから2~3ヵ月後です。

今では商社が厚板の在庫を自ら抱えることは稀になりましたが、この商社は当時かなりの在庫を保有していました。現物品を販売する顧客も持っていたことになります。わが社も在庫販売が主体でしたので、不足品を補完出来る事が急接近した理由でした。

或る時期を境に、U氏はわが社に頻繁に通ってこられるようになります。わが社が在庫販売する為の、高炉メーカーに先物を毎月契約する、その窓口商社としての関係もスタートした時期でした。U氏はどちらかと言うと、目先の商売の話をする方ではありませんでした。

“啐啄(そったく)同時”という言葉があります。鶏の雛が卵から産まれ出ようとする時、殻の中から卵の殻をつつきだす、これを「啐」と言います。その時すかさず親鳥が外から殻をついばんで破ろうとする、これを「啄」と言います。そしてこの啐と啄が同時に行なわれて初めて殻が破れて、雛が産まれるわけです。これを啐啄同時、共時性ともいえます。

U氏から後で聞いた話です。既に取引をしていた会社とは、経営者の上から目線が鼻につき反りが合わなかった様子で、絶妙のタイミングだったと思います。今振り返ってみると、U氏とわが社の出逢いは、互いに求め合った啐啄同時だったともいえます。

U氏は、メーカーと流通業の仲介商売を主体とする商社マンの枠を超え、新しく何かを互いに創り上げることに情熱を注いでいました。「自分のリスクにおいて仕事は楽しくする」のがモットーのようで、大企業の組織で上に登り詰めていくことに、あまり意義を感じていように思えました。

その眼は常に何かを模索しているようでもあり、その若さにして凄い先見性がありました。そして、わが社の体質についてズバリ切り込んで来ることになります。 ~次回に続く~
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