梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

居場所と断捨離(その3)

2021年10月09日 05時31分52秒 | Weblog
断捨離について、少し調べてみました。断捨離の言葉の由来は、断行、捨行、離行、とのヨガの思想のようです。もったいないという固定概念から解放され、身軽で快適な生活を得ることが目的で、執着から離れ、取捨選択を行い、本当に必要なものだけにする。との考えのようです。

10年以上前、作家のやましたひでこさんが、不要な物を減らし生活に調和をもたらそうと断捨離を提唱して、本を書いたことで、我々が広くこの言葉を使うようになったのだと思います。断:本当に必要な物以外を買わず、いらない物を断つこと。捨:家にある自分の物でいらない物を捨てること。離:これはいつか使いそう、何かに使えるかも、という執着から離れること。彼女の断捨離の主旨です。

彼女の母親は物を捨てられずに溜め込む性格で、片付けるためと称して収納家具を買い足してはさらに部屋を狭くし、「片付かない、家が狭い」と愚痴をこぼすことを繰り返していたそうです。母親が反面教師となり、物を減らせば全て解決するのに、なぜそれに気づかないのかと長く疑問を持っていたのが、断捨離を広めようとした動機だと言います。

現在彼女はテレビ番組を持っていて、物への執着を捨てられない人の指導をしています。登場人物は年老いた女性が多く、自宅は一見ゴミ屋敷のようにみえますが、長年の生活の営みの足跡でもあります。本人だけの力では無理で、他人の力を借りなければ断捨離は難しいのだと、番組を観ていて感じます。本人も葛藤しますが、長年の習慣を変えさせられることに心を閉ざし、毎回家族との険悪な状況が映し出されています。

しかし断捨離を自分の代で終わらせておかないと、その人が死んだ後、残された家族がその役割を担わなくてはなりません。親の残した物を処分する辛さは、私の家内が体験しています。山形酒田の実家の両親が亡くなって、家内は親が残した物を10年以上一人で整理してきました。お盆の時期に誰も居ない実家に一人で戻って、4~5日間その作業をして、私は後から行って家内と一緒に帰ってくるといったことが、恒例となりました。

処分する物は実家でゴミとして出し、まだ使える物や形見として遺したい物は、私達の自宅に持ち帰ってくる。そのようことを繰り返してきました。それでも片付けは終わりませんでした。その実家(土地)は3年前売り先が見つかり、遂に処分することになりました。14年間私達の家に持ち帰った物以外、実家を解体する際、残した全てを産廃業者に処分を委ねるしかありませんでした。

“親家片(おやかた)”との言葉があるそうですが、子が歳を取った親の家の片づけをするとのことです。快適な生活を送る為の前向きな作業であるのに、実際にこれを行うと、親子双方に大きなストレスを抱えると言われます。家内の実家は物を置けるスペースがあり、両親は物を大事にして簡単に捨てられない価値観を持った世代でした。

家内は親家片を両親が亡くなった後、一人で行うことになったのです。今度は私達も価値観が違う子供達に、その負担を掛けてしまう可能性があります。中村メイコさんが最近の著書『大切なものからすてなさい』で、次のようなことを言っています。「写真について記憶のある人間が処分するのがエチケットだ」「年齢に合わせて思い出もそぎ落としていかないと、人は前に進めない」と。写真に限らず親の断捨離は、次世代へのマナーであると私も思うようになりました。

断捨離の提唱者やましたさんは、物を捨てられない人の3パターンを指摘します。一つ、現状認識・状況判断ができない。二つ、時間の経過による関係性の変化を受け入れられない。三つ、成功体験・失敗体験にしがみつく。

忙しいからできないのではなく、現状を見ず(怖い)状況を理解したくないので、忙しくしている。時の流れ(生活スタイル)で変化しているのに、過去に執着してその進化を受け入れられない。成功したことや失敗したこと、捨てなくて良かった・捨てて困ったなどの体験にこだわる。いずれも今に生きていながら、過去に引きずられ、未来に無用な不安を感じてしまう、とのことです。断捨離は科学や心理学の世界です。

最後にお伝えしようとした、私のこれからの活動意欲(心の居場所)については次の回にいたします。  ~次回に続く~



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