天保水滸伝において、幕府の威光を笠に着た(岡っ引き)飯岡助五郎は悪で、笹川繁蔵は善で
ある...。こういう流れが感じられるのですが、これは日本人の判官びいきや、それぞれの立ち位置
ものの見方が関係していると思われます。しかしながら飯岡助五郎...調べれば調べるほど“偉人”です...。
これは笹川繁蔵も同じ...。一般的に言えば博徒であり、良くない人たち...ということになるかも
しれません...。“侠客”という言葉があります。義侠心を持って地域の人々の窮地を救う等と解釈
されるようです。この文脈で言えば飯岡助五郎も笹川繁蔵も天保年間、我々の地域に生きた侠客。
この時代(天保年間)、江戸三大飢饉に数えられる天保の大飢饉...。鎖国をしていた訳ですから
外国から食糧を緊急輸入しましょう...なんてことは出来ない訳です。名君と言われた為政者がおり
常日頃から備え怠らなかった地域もあったようですが、殆どの地域で餓死者急増...。
元々この地に殿様はおらず、お国の緊急支援など望むべくもない...。詳細は省略しますが助五郎、
繁蔵ともに地域の危機を救う様々な足跡が記されておりました。因みにある一時期、助五郎の
ところに身を寄せていたのが“座頭市”だそうです...。さてこの話題、次回で一区切りと致します。
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