田沼意次は大胆な財政再建策を次々と断行し成果を上げる。しかしながらその輪に入れなかった
人々は妬む...。家の相続など期待できない地方の次男、三男は、お江戸の景気は良いらしい...と、
みなお江戸を目指す...。拝金主義から農業政策がないがしろになり、農地は荒廃する...。
そこに天明の大飢饉が起こる(田沼時代末期)...。天明の大飢饉、日本近代で最大の被害をもたら
した飢饉として名を留めております。特に東北地方では餓死者が数十万人、死んだ人間の肉すら
食べ、まさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)地獄に落ちた亡者が責め苦に耐え兼ね泣き叫ぶ姿...と。
当時・同じ東北・白河藩の藩主であった松平定信はかねてより、農業をないがしろにしている
田沼政治を批判し、領民には質素・倹約を説き、農地の開墾を奨励していた。結果、白河藩では
一人の餓死者も出さず、この手腕を持って田沼に変わり老中の座に就く....。
時が進んで、松平定信・寛政の改革期...。その末期の落首が昨日の冒頭、白河の...であります。
松平定信は質素・倹約、武士道の伝統を重んじながら、立派な成果を上げた改革者ながら、今度
はその厳しすぎる施策が人々の反感を買い、失脚に追い込まれることとなり...(続きは次回に)