銚子・角巳之・三代目

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小善は大悪に...②

2012年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_7991 若年性糖尿病のお子さんを抱えるご両親、心を鬼にしてカロリー計算...。食べたいと泣き叫んでも、本当に心を鬼にして与えない...。それを傍らで、かわいそうに...と好きな食べ物を与える偽善者が...。ゲームに夢中になって、食事も摂らない子供を親が一喝!傍らの偽善者がかわいそうに...と、子どもの好きな食べ物だけゲームしながら食べさせる...。当事者と評論家とも通じるところ大でありますが...。心を鬼にして言わねば、行わねばという方がおります。そりゃ食べたいもの食べさせてあげたいし、楽しいこと出来るだけ長くさせて...。でも、そうすると間違いなく、もっとかわいそうなことが降りかかって参ります。だから心を鬼にして...。そんな姿に接しながら、かわいそうだ、かわいそうだと薄ら笑い....。怖くなって参ります。思い通りにならないと泣き叫ぶ...大人でもいますが....。目の前で対峙している当事者は、心を鬼にして毅然たる態度...。しかしながら遠くの良い子ちゃんが偽善者すると、当事者の苦労が水の泡...。これ分かりますか?と問うと、分からない....と。最近分かりました、分からないのではなくて、分かりたくない。分かってしまうと自らに不都合が...。という事らしいです。続きは次回に。


小善は大悪に...①

2012年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_7999明るいキャラクターで人気の某プロ野球の監督さんが、戦う意思が見えない...と、ある選手を即座に2軍へ...。おっと、やはり監督だ。懸命に監督になろうとしている...。さてさて、冒頭は何故ゆえ...という事ですが、東京のある経営者の方に日航再生に関するお話を聞きまして...。戦う意思の見えない選手。ズルして逃げようとしている部下、自分の思い通りにならないと泣き叫ぶ子供...。監督が、経営者が、親が...、何というでしょうか?...と。迎合の薄ら笑いを浮かべながら、いいよ、いいよ、次回頑張ってね、仕方ないよね、良い子ちゃんになってね...なのか、心を鬼にして毅然と対処するか...。その場を取り繕った良い子ちゃん的な対応。こういうのを小善というそうです。で、それを重ねると結果として大悪を招来する....。戦う意思のないプロ野球選手に、責任を誰かにかぶせて逃げることばかり考えている人に、思い通りにならないと泣き叫ぶ子供に...どんな大悪が襲い掛かるのだろうと考えると...。日航と言ったら、我々世代が就職の際、人気トップクラスの超優良企業。昨今、当時ランキング上位企業の不振を聞くたびに...。冒頭の言葉は続きがあるそうです。小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり。大義を背負った時、人は最も強い...。続きは次回に。


干物茶漬け

2012年04月13日 | 銚子のうまいもの

Img_8012 食べ物の話題を掲載すると、最近あちらこちらから連絡が参ります。こんな美味いもの毎日食べていたら...。糖尿か、痛風を心配(期待?)しているのでしょうが...。いや、これではヘソ曲がり過ぎますね。お気遣いありがとうございます。何気に節制してますから...。昨日計測したら体重はまだ三桁に行っておらず、体に付着していたセルライトなるものを流したら...。詳しくは後日...。さてさて、銚子に行って美味しい魚を食べたいという方々は多いですが、観光客の方々と話してみると、実は食べたいだけじゃなく、魚を捌いたり、美味しい魚料理を自分で作ってみたい...。という方、多いです。干物なんて難しいんでしょ...とおっしゃるので....全然....と。不器用で、センスのかけらもない私が全くの素人から始めて、今では...。感涙ものですよ...と自画自賛でありますが...。写真は自作ではありませんが、ショウサイフグの干物茶漬け。不味いはずがない訳で....。干物はお茶漬けだけでなく、パスタ、グラタン何でも合います。できれば自分で作って天日干し...格別であります。


花散らし

2012年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_8023 まだかまだかと待ちわびて、漸く満開と思いきや、一夜の雨で花は散ってしまいました...。俗にいう、花散らしの雨と言うのでしょうか。この花散らしという言葉、これにも様々な意味があり、ただ花が散る...その様子を表すだけではないようですが....。桜に人生を重ねる。自らが置かれている状況によって様々に、いかようにも見えて参ります。桜にちなんだ詩歌が多く、解釈が様々であるのも単純ではない世俗の諸々を投影しているのでしょう。桜が咲こうが散ろうが関係ねや...という声も聞こえますが、そんな心持ちで毎日流され、気が付いていたら人生終わっていた...。こんな生き方は嫌ですね~。すべからく自分自身の問題、他者がとやかく言う話ではないですが...。物事には必ず終わりがやって参ります。始末をどうつけるか?非常に重要であり、切実であります。散りぬべき・時知りてこそ世の中の・花も花なれ・人も人なれ....。桜の季節にいつも思い出す一句。凛とした凄みを感じます...。


甲羅干し

2012年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_8015 桜を眺めていたその近くの池で、カメが集団で甲羅干ししている姿を目撃しました。専門家の方に聞くと、陸のカメは体温調節が難しく、時々こうやって甲羅干しするんだそうです。また甲羅についた寄生虫などを駆除する目的もあるのだとか...。これいわゆるミドリガメというのでしょうか。先般ウミガメを掲載しましたが、カメと言って思い出すこと....ウサギとカメの寓話。ウサギは先に行ったのにも関わらず油断して云々、要するに愚か者のように描写されておりますが、実は違う解釈もあるようで...。ただウサギ=速い、カメ=遅い...の比喩は間違いないだろうと思います。都会と地方の根本的な違いの一つ、スピード感。スピードの速いところから遅いところ、反対に遅いところから早いところは違和感どころか、私の場合、自律神経失調症となって現れましたが(今はなんともありません)、緩和された原因の一つはダイバーシティー...、曰く、多様性を認めるというところだったような気がします。東京時代だったら、カメののろま野郎!なにやってんだ。となったでしょうが、最近は全く感覚が違います。カメは甲羅干ししないと死んでしまうんですよ...。そんなカメに向かって、のろま野郎!とは何事だ!...。所変われば何とやら...と申します...。速い、遅い、むろんどちらが良いという話ではありません。東京のスピード感、大好きです。まだまだ緩急自在の境地には程遠いですが....。


散るを見て...。

2012年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_8017 散るを見て・帰る心や桜花・むかしに変わる・しるしなるらむ...。西行法師の作だとのこと。4月8日(日)日経新聞のコラムにありました...。過ぎ去った時間は悔やんでも、惜しんでも、もとに戻ることはなく、桜の花は毎年咲くけれど、昨年と今年の間には1年という年輪が刻まれている...。いろいろな解釈、楽しみ方があるのだと思います。前段に、西行法師が出家に際し、慕って寄り添ってくる四歳の娘を縁側から蹴落とした...と。やむにやまれぬ出家の理由、それは何かわからないけれど、断固たる決意と桜の散り際、過ぎ去った過去と厳しい現実...。そんな世界観が垣間見られます...。明日ありと・想う心のあだ桜・夜半に嵐の・吹かぬものかは...。これは親鸞聖人でしょうか。明日見に行こうなどと想っているが、今夜嵐が吹いて桜が散ってしまったら...。だから今なのよ、今....。過去・現在・未来...桜にまつわる詩句には、そんな時間軸が内包されているものが多い気がします。そして今ほど心に沁みる時はないような....。桜...、明日あたり満開でしょう。


限りあるもの...。

2012年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_7982 40代も厄年を過ぎると、ちょっと上の兄貴分はもう50代のオジサマ方...。病気の話題とか、健康とか、早い人はお孫さんとか...。会話がだいぶ変わって参りました。会社人生にもゴールが見え始め、さあこれからどうしようかね~と。その域において結構大きな差が出て来るようです。何か目的を持っている人は若々しく周囲に沢山の笑顔が見えますが、暗い顔で愚痴ばかり言われると自ずと人が遠ざかる...。仕事柄でしょうか、50代、60代の先輩はもちろん、最近は20代、30代、時に10代と話す機会も多いのですが、あながち年齢だけじゃないな...と感じることしばしば。良く言われる、年齢は若いのに雰囲気おっさん...。反対にチョイ悪オヤジ元気はつらつ...。歳月は人の皮膚にシワを増すが、情熱を失うとき精神はしぼむ...。以前掲載しましたサミュエル・ウルマン、青春の詩...。さてさて、先輩方と話していた時、もう20代、30代じゃないんだし、社会的にもその存在は自分だけのものじゃないんだから...という話になりまして...。限りあるものの使い方で人生決まるよね~と。限りあるもの、おカネもそう、時間も、究極的に命...。世代を超えた人付き合いが常態化していると、先輩・後輩問わず、何気ない一言にハッとさせられます。限りあるものの使い方ね....。来し方、行く末を鑑みながら...。


ブロッコリー

2012年04月08日 | 銚子のうまいもの

Img_7975 Img_7977銚子はキャベツ、ダイコンだけでなく実に様々な野菜があります。範囲を周辺の旭や匝瑳まで広げれば、コメもマッシュルームも、ルッコラや各種ハーブも...。ちょうし春夏秋冬の会で供される野菜は銚子・旭界隈で生産されたもの。のみでありますが、その種類の多いこと、多いこと...。 キャベツ畑の傍らで、キャベツ生産者の方が自分で食べる分に作ったブロッコリー、おすそ分け頂きました。私、なぜかわかりませんが無類のブロッコリー好き。どんぶり2杯くらい食べてしまいます...。それにしても、緑の濃いこと。品種の問題もあるのでしょうが、これだけ力強い緑、やはり野菜はその土地、土の力や生産者の手間が投影されている....。水と空気と土。野菜や肉や魚に形を変えて、人間を作っている...これを再認識。そういえば本日4月8日。お花祭り、お釈迦様の誕生日であります。山川草木悉皆成仏...。


安心立命③

2012年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_7998 皆が不安を感じてしまうような状況の中で、もっというと恐怖を感じている中で、ことさら恐怖を煽る言動...。最悪は自らが当事者でありながら安全地帯にいて評論家を決め込む輩でありますが...。そんな状況、かつてナチスの収容所を描いた夜と霧という書籍を読んだことがあります。20歳くらいの時だったでしょうか。いまだにその戦慄を覚えております。絶望的な状況の中で人間は何に生を見出し、どう振る舞うのか?ある哲学者曰く、人間は決定する存在であり、人を虐殺するガス室を作ったのが人間なら、そのガス室で最後まで祈りを捧げるのも人間...。ちょっと逸れましたが、冒頭のような状況の中で、ことさら大変だ、大変だと騒がない。地球上、どこに住んでいても地震のリスクはありますし、他のリスクだって多々ある訳であります。その状況下においてどう振る舞うか?大変だ、大変だと騒ぎ立てるか、何も言わず心の平穏を祈るか...。安心立命...、そんな達観の域にはなかなか....と言ったところ、喝! 黙りやがれこの野郎、ご飯を食べる時はいただきます、何かしてもらったらありがとう、あれもこれもあたり前で、すべったの転んだの言うんじゃねえ、これ幼稚園で教わることだ....と。私を含めて、日本人が幼稚になっているのでしょうか...。安心立命...。最近何か起こったら、一拍おいて、安心立命と唱えることにしております。


安心立命②

2012年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_7997 何か問題が起きたとき、ことさら大変だ、大変だ...という方々がおります。時代劇なら、あわて者のおっちょこちょいが、親分てえへんだ、てえへんだと番屋に駆け込んでくる....。どうしたんでえ!と親分が聞くと、ああだこうだと...。で、たいていの場合、大変じゃない.....。このおっちょこちょい野郎が....で一同大笑い...。定番の場面です...。時代劇なら微笑ましくていいですが、昨今は大変だ、大変だと騒ぎ立てると笑い事で済まなくなる...。震災の時、この界隈も避難勧告が出ていたのですが、身寄りのないいわゆる独居老人と言われる方々が多数いる地域であります。役所の方々も本当に精一杯動いていたのは肌で感じてましたが、あれよこせ、この先どうなるんだ、ああだこうだ...と。時に暴言まで...。今から思えば殆どが不安の裏返し。あの段階で不安がない人など皆無であったろうと思います。地震の直接的な恐怖と、頭に浮かぶ先行き不安。もはや妄想の域まで...。そんな中で、対応する役所の方々に暴言を吐いた方がいたかと思えば、何も言わず、ただ微笑んで、ありがとう、ありがとうを連呼する方々もおりました。これ仏教でいう、和顔愛語、無為施、安心立命の境地である...とご住職から。今にして思えば、ああなるほど....と。続きは次回に。


安心立命①

2012年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_7996 安心立命...。あんしんりつめい、あるいは、あんじんりゅうめい...。最近、お寺に行く機会が非常に多く、昨今の世相を憂い、ご住職から冒頭の言葉が...。さて話は飛びますが馴染みの魚屋さんにて、大将!この魚美味いのか?俺は不味い魚売らねえ、気に食わねえなら買わなくて結構...。私の周りではまだこういう会話良く聞こえます。まああの大将が言うんだから間違いないか...。はたまた、この魚安全なのか?...。大丈夫に決まってら、俺は危ねえ魚売らねえ....。なるほど、馴染みの大将が言うんだから安全なんだろう...。じゃあ買っていくか....。微笑ましい光景でありますが、こういう世界はどんどん少なくなっているのでしょう。売り手と買い手に信頼関係が成り立っている社会において、普通の会話...。しかしながら作る(獲る)と食べるの距離が大きく離れた昨今、こういう事を書くと、田舎者の戯言ね....となる訳ですが....。そこで冒頭の言葉、安心立命。曰く、心配事がなく心が穏やかで、天命に身を委ねて泰然としている様子...。もはや達観の域、私のような凡人にはとても...と思いきや、ご住職から、なになに、誰だってできることですよ....と。続きは次回に。


国の基準を

2012年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_7935 最近、国の基準を上回る...。よく聞きます。~ベクレルもそう。国がその時代の最高の知見により定めた基準を上回る?さてさて、こういう事が可能であろうか...という事であります。安全と安心は全く別次元の言葉。何度も取り上げております。国の安全基準を上回るとはどういう事だろうか...と。安全のモノサシが複数になり、安全だ、いやこっちはもっと安全だとなると、却って不安が増大するものです。それが人情でしょう。誤解を恐れずに、本当に誤解を恐れずに申し上げれば、そもそも食品選びは自己責任。自らの五感を研ぎ澄まして選別すべきものであります。しかしながら昨今、それら現実的でないことも承知しております。産地は全世界ですから...。故にスーパーマーケット等には専門家がおり、産地とお客さんを繋ぐ通訳をしてくれている訳であります。バイヤーさんは産地の販売代理人ではなく、お客さんの購買代理人...。そうやって教わってきましたし、今でもそう信じております。国が安全基準を示し、産地は定められた手順に従って正確に数値を測定する。出てきた数値は隠さず正確に報告する。産地から離れた売り場では、その道のプロ、バイヤーさん等が通訳する...。その仕組みに安心感を得られるか否かという事ですが...。


金系201

2012年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_7963 春キャベツの季節であります。巷ではキャベツが高い、高いと言いながら、銚子のキャベツ畑には沢山...。部室にも沢山....。都会に比べれば、まだまだ物々交換が成り立っている地域。その是非はありますが、地域の風習の一つということで...。昔は、ほしか(干鰯)1俵に米1俵なんて言われていたようです。干鰯...要するにイワシを干したもので、主に肥料に使われていたようです。干鰯と米が同じ価値基準で取引されていた...。干鰯1俵で米1俵と交換。労働の対価を理解する者同士、その仕事は気持ちの良いものであったろうと思います。さてさてキャベツ。銚子のキャベツは全国的に有名であります。私のような素人から見れば、キャベツはキャベツ。どれも同じに見えるのですが、長年キャベツ生産に従事してきた方に聞くと、それは挑戦の歴史であり、様々な品種改良の歴史でもあったと。かつて老舗和菓子メーカーの社長さんに聞いた言葉、我々は変わらないために変わり続けてます...。まさにこれと同じ。素人目には、ああキャベツだな。で終わりですが、それを維持するための努力、筆舌に尽くしがたく...。銚子の春キャベツの代表格は金系201という品種。銚子の地に馴染み、春先にあの独特の食感と甘味をもたらします。4月、5月の限定品。まさに今が旬であります。


決められない④

2012年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_7941船に乗ることを決めることと、船の安全航行に関して決めることは別問題。会社が飛行機がすべて同じ。しかしながら、船に乗ることを決められないことと、船の安全航行に関して決められないことは、根っこは同様であろうとも、その本質はだいぶ違うようです。前者がただの自己責任であるのに対して、後者は他者(乗組員、社員、乗客...)の 人生をも左右する。時に命すら...。他者を巻き込んでしまうような決め事をしなければならない。これ、長が付く人の責務...。故に高い報酬とか、社会的地位があるんだ...と。ただ、船に乗るしか選択肢がない状況において、お前ら乗ったんだからこれから先の事多数決で決めようぜ...と、船長が言い出したら...。漁船の船長に聞くまでもなく、そんなの、あり得ない....。しかしながら、あちらこちらでそんな状況が垣間見られます。当事者でありながら、評論家のような言動...。不都合な(不便利な)真実が次々と明らかになり、いかに詭弁を弄して、すり替えを行おうと、目の前に差し迫った、今そこにある問題があります。それとどのように対峙するか、これ生き方の問題であり、どう生きてきたかと、どう生きていくかのみである...と。お前はそうやって生きていくのか?毎日内なる声と葛藤しております。


決められない③

2012年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_7940 船に乗ったら、その乗組員の生殺与奪はすべて船長の手に...。ちょっと過激かもしれませんが、ほとんど事実。その船に乗るかどうかは乗組員自身が決めること。船に乗ることを決めることと、その船の航行について決めるのは別の話...。入社を決めることと、経営判断は別...。その飛行機に乗ることと、機体の操縦は別。これと同じかと思いますが、根底にあるのはどちらも、決める=責任の構図...。かつて上司に言われました。責任とって辞めます..。辞める?これが責任かね....と。責任とは、その行為によって生じた結果を受け入れ、上手くいかなかった場合、自分に不利益が降りかかることを受け入れることだ...と。さてさて、船の船長さんとそんな話しておりました。船頭多くして...何とかという例えがありますが、要するに決められねえのよ...と。さらに、陸にいる奴らにシケの怖さ分かんねえだろ...。自らがその場にいてその状況を受け止めて決める。決して断ずる。決断だと。船に乗らねえ奴がガタガタ言うな。言うなら乗ってからにしやがれ...。続きは次回に。