銚子・角巳之・三代目

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桜田門外...④

2024年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

そして香取神宮、漆黒の社殿...。さて、安政の大獄にて自らの親分を蟄居(謹慎・幽閉とも)
させられた...。しかも家格は御三家。いかに大老と言えども無礼ではないか。親分の顔に泥を
塗られ、家臣たちは黙っているのだろうか...。否、当然のことながら報復...であります。

1860年3月3日、雪の降りしきる桜田門外にて、水戸(脱藩浪士)18名に対して、井伊
(彦根藩)側60名。数の上では井伊側が3倍。しかも井伊直弼は居合の達人。剣どうしで
正対すればまず負けない...。幕府要人ですから警護も厳重と思いきや、結果はあっという間に...。

井伊側は60名と言っても半数くらいがアルバイトだったようです。すでに政権末期であり、
警護等も形骸化。体裁を整えるのにアルバイトの警護を付けるも、バイトの方々まさか襲撃される
とは思っておらず。俺はバイトなのに...。斬られたりしたら割に合わない...逃げろ...と。

半分くらい逃げたそうです。そして当日は大雪。刀が汚れないように布を掛けてあった...。それ
を外そうにも寒さで手が“かじかんで”刀が抜けない...。そして水戸脱藩浪士はピストルを持って
いた...。時代の変わり目...あっけなく。この話題次回で一区切りと致します。