銚子・角巳之・三代目

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多古町にて④

2024年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

歴史に思いを馳せると謙虚な気持ちになるものです。何十年どころか、人間の一生では完成しない
気の遠くなるような時間が紡がれている訳ですから...。徳川幕府(お江戸)にとって現在の千葉県
は特別な場所。隣接地でもありすぐに乗り込んで来られる距離ですから、まず信頼できる人を配置。

故に親藩が多いですが、東北、九州のように何十万石の大大名という方はおらず、みな数万石と
規模は小さい。そこに銚子のような天領、旗本の私領、寺社領が非常に複雑に絡み合っている。
恐らく“意図的に”そう配置したのだろうと思います。すべて幕府安泰の為に...。

そして、非常に貴重な食糧供給基地。利根水運を始め、ロジスティックス(物流:もともと軍事用語
で兵站)の要。鎖国をしていた徳川年間、度重なる飢饉に食料基地である現多古町や銚子の人々が
がどのように振舞ったのか? これを知ることは、今とこれからを生きる手掛かりの一つと思います。

安泰に見えた徳川幕府もついに倒れ、かつての親藩は新政府にとって扱いにくい存在...。何事も作用
と反作用です。前時代の最適は、次の時代には最適とはならないのが世の常です。ここでまたかつて
この地にいた方々がどのように振舞ったか? 日本寺にて想い尽きることなく...(次回で一区切り)