銚子・角巳之・三代目

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桜田門外...③

2024年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

鹿島神宮から息栖神社へ。息栖神社...、鹿島・香取両神宮の協力神であり確かご神体は川の中
(或いは川そのもの)ではなかったかと思います。この一帯、利根川本支流に、北浦・霞ケ浦
水上交通の要衝であり、銚子はじめ周辺地域や、お江戸とも繋がりが非常に強いところ...。

さて尊王攘夷とは、皇室を敬い・外敵を打ち払え!となりましょうか。吉田松陰はじめ幕末志士
たちが行動するうえでの思想的根拠。この尊王攘夷思想の震源地が水戸であり御三家の水戸斉昭
そして過去に何度か掲載させて頂いた藤田東湖の存在が際立ちます...(本日は省略します)

聞いた話で確かめてはおりませんが、家康が御三家を建てた時、その家紋(葵の御紋)の形を
少し変えていた...と。お江戸は3枚表、尾張、紀州、は何枚か裏。水戸は最初から全部裏。
これはやがて幕府と皇室が争うようなことあらば、水戸は幕府ではなく皇室のお味方をせよ...と。

親藩筆頭格(大老)の決断は、御三家(水戸)の尊王攘夷に反するもの。最近で言えばメンツと
メンツのぶつかり合い。しかも組織の屋台骨を支えねばならないものたち...。組織終焉の特徴です。
そして安政の大獄。吉田松陰は死罪、徳川斉昭は永久蟄居...。さて...(続きは次回に)