銚子・角巳之・三代目

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桜田門外...②

2024年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

写真、鹿島神宮の樹叢(じゅそう)。この場に行くといつも気持ちが洗われるようです。樹叢
とは人の手による植林ではなくて、自然に育った樹林のことらしいです。銚子に渡海神社という
名所があり、そこの樹林は極相林...と。樹叢が時を経て、極まった形に...(この話題いずれ)

御三家、親藩、鎖国、朱子学...など、幕藩体制を支えた仕組みがどんどん極まって行き、最終的
に“手を入れざるを得ない”状態へ。御三家・親藩に代わり、薩長はじめ有力外様大名、朱子学は
陽明学へ、そして鎖国は開国へ。極まると、反対側に触れるもの(自然が教えてくれています)

“お家大事”もさることながら、大老として恐らく日本の将来という大きな視野での決断=開国で
あったと思われますが、長らく続いたものを“変える”には死を賭した覚悟が必要であること歴史
より明らかです。開国という決断に対して水戸藩(御三家)、大反対。攘夷!攘夷!...と。

攘夷という言葉を現在使って良いのか否か分かりませんが、当時は頭に尊王が付いて尊王攘夷。
明治維新の震源地は水戸...。と言われており、私もそう思っているのですが、思想・考え方と
言いますか、幕末の水戸藩の存在は非常に大きい。さて水戸藩は開国に大反対(続きは次回に)