風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

田中優子さん

2021-07-16 | 文化
(写真は法政大学HPより)

以前からテレビなどでの発言を聞いていて
この方に興味を持っていた。
本質的なことから自然な考えに基づく発言、
凝り固まることなく柔軟な発想。
物腰の柔らかさと、しっかり持った芯。
さすがは六大学初の女性総長だっただけある。
(2021年3月31日まで)

朝日新聞の連載「人生の贈りもの」で
田中優子さんが取り上げられていて、興味深く読んだ。
まったく偉そうじゃなく、
それでいてご自分の興味に導かれるまま
これまでの人生を歩んで来られたことに共感した。
マスタープランを立てて目標を目指してきたのではなく
その時その時の状況によって選択されてきた人生。
その研究テーマや興味を持たれた分野も含め
今後も追っていきたいと思う。
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MLBオールスター

2021-07-15 | スポーツ


大谷選手は漫画の世界をも超越している。
それは日本にいる時からだけどね。
日ハム時代は投手1番で出場し、先頭打者ホームランとか。
MLBへ行ってからも投打に大活躍で本塁打トップ。
もう細かく書く必要はないだろう。

菊池雄星選手も今年は大活躍でオールスターに選ばれた。
どちらかというとNBP時代からスロースターターで
渡米してからも心配していたけれど
今年の投球を見ているともう大丈夫だと思う。
素晴らしいスピードボール。
大谷選手の注目度に隠れてしまっている感じだけど
もし大谷選手がいなかったら
もちろん日本人選手としての注目度は高かったろう。

菊池選手も大谷選手も花巻東高の出身。
当時から有名選手だったが、
ここまでくるとは当時は想像もしていなかった。
花巻東高出身者に共通しているのは人柄の良さだ。
屈託なく純粋に野球を楽しんでいる大谷選手はよく知られているが
菊池選手も、日本にいる時からシーズンオフには帰郷して
地元の野球教室を開催したり
昨年からは岩手で読書感想文コンクールを主催したりしている。
感想文コンクールとか、そんなプロ野球選手がどこにいる?
野球での活躍だけじゃなく、
そんな2人の行動や性格もまた好感が持てる。

大谷選手のお父さんは黒沢尻工業で野球をやり
卒業後は社会人でも活躍した選手だとか。
私より2歳下だが、中学校野球部時代の後輩と同期だった由。
お兄さんは今も岩手の社会人チームで活躍中だ。
菊池選手のお父さんは私の高校の1学年上の先輩。
亡くなる直前まで付き合いがあったけれど
穏やかで優しい、本当にいい先輩だった。
そんな環境で育ったことも2人の性格に影響しているんだろう。

今年のMLBオールスターに
地元高校の出身者2人が選出されたことが素晴らしい。
すごいことだよね。
おまけに、辞退はしたけどダルビッシュ選手も東北高出身。
もう東北の高校は野球後進地域じゃない。

ところで大谷選手が高校1年の春の大会地区予選で
私の母校花巻来たと対戦した時に先発投手だったけど
あの頃は背ばかり高くて細かったなぁ。
まだその姿を覚えている。
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これからの社会

2021-07-14 | 社会
天然痘に対する種痘は大いなる反発を生んだが
結局ワクチンによって根絶できた。
ポリオは割に副反応があるワクチンだが、
そのおかげでかつてに比べ感染・発症が大幅に抑えられている。
昔はスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザは
ワクチンと特効薬によって怖いものではなくなっている。
(とはいえワクチンがあってもインフルエンザは無くならない)

さて、新型コロナウイルスはどうだろう。
昨年春から続く社会の閉塞感は、ワクチン接種率と反比例して
果たして元の社会に戻っていくのだろうか。
私見ながら、恐らく否だ。
インフルエンザと同様、特効薬ができるまでは
なかなか元の社会に戻ることはないだろう。

とはいえ、このままでいいわけはない。
特に観光業や飲食業、及びその関連業界は限界だ。
政府首脳の発言やワクチン供給情報などに振り回され
悲しみと怒りに包まれていると思う。
一律に酒類提供停止や移動を制限するのではなく
しっかりした感染防止対策を取った上で普通に営業できないものか。
酒を飲むと大声を出してリスクがあると言われるが
ひとりで静かに飲む人が多いバーなども一律制限となっているし
緊急事態宣言が出ている地域では協力金が出ているものの
売上規模や家賃有無、雇用有無に関わらず同じ条件で
それがまた不公平感と格差を生み出している。

緊急事態宣言が出ていない地域は協力金の支給はないものの
客足が途絶えているのはおなじだから
逆に宣言出ていない地域の方が苦しい経営を強いられている。
「ワクチン打てばパッと解消」
などと安易に考えているわけでもなかろうが、
もう少し決めの細かい対応ができないものかと思う。
目先の厳しさに喘いでいる人たちが
五輪を夢中になって応援するとも思えない。
「なぜ俺たちだけ犠牲になって五輪だ?」というのが本音だろう。

少しでも元の社会を取り戻せるよう
フェイク情報や不完全情報に振り回されることなく
ひとりひとりが自分の頭で考えて行動することが重要。
そう考えると、これからの社会は
これまでよりもっと頭を使って生活することが必要な
複雑な社会になるのではないだろうか。
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時代の進化

2021-07-13 | 社会

私が生まれたのは1960年。
昭和で言うと35年。
終戦からまだ15年しか経っていないころだ。
道路はまだまだ未舗装が多かった。
テレビや自家用車はまだ一般家庭に普及しておらず
情報源は新聞とラジオがデフォだった。
電化製品と言えば新兵器だった冷蔵庫と洗濯機。
電蓄(電気蓄音器)を持っていた家庭は
一体どれぐらいだったろうか。
それでもその20年前は
まだ太平洋戦争すら始まっていなかったのだから
家庭用電化製品の普及は目を見張るものだったに違いない。

生まれてから20年後の1980年は大学生だった。
もちろん一般家庭はほとんどカラーテレビという時代ではあったが
金のない大学生としては中古の白黒テレビを買うのがやっと。
それでもテレビを持っていない友人たちが
テレビを見に古く狭いアパートにやって来ていた。
この頃爆発的にヒットしたのがウォークマン。
「歩きながら音楽をを聴く」というスタイルがおしゃれで
バイト代貯めて買う奴らが多かった。
わたしゃモジュラーステレオ持ってたので買わなかったけどね。
NECのPC8801が出始めたのもこの頃だと思う。
(私的には興味なかったので、もちろん触ってもいない)
当時はもちろんインターネットも無いし、
あれで一体何ができたんだろう。
大学のコンピュータ部の連中はドットでモナリザなど描いて
自慢げに見せて歩いてたけど😅

さらに20年経った2000年は40歳。
ビデオデッキも普通に普及していた頃で、レーザーディスクもあった?
すでにレコードは駆逐されCDやMDがメインだった。
会社の仕事はオフィスコンピューターで行ったが
なにせ定型業務しかできないから
あとは電卓と手書き、ワープロ専用機が大活躍だった。
ダイヤル回線使って、
趣味でパソコン通信などもやってた人がいたのかな?

そしてさらに20年経ったのが昨年。
手のひらでネットを駆使するのが当たり前。
仕事も生活もすべてIT中心となっている。

さて、あと20年経ったらどんな世界になっているのだろうか。
私は80歳。
もう最先端にはついていけていないだろうが
そういう世界を見ることができる可能性はある。
そこから20年先の
2060年はは無理だろうけれど😅
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高校の同級生達

2021-07-12 | 社会
同級生のLINEグループを作っている。
50名を超える同級生たちが参加しているグループだ。
もちろん270人いた同級生のほんの一部だが、
それでもそれぞれの活躍や生活、人生が垣間見える。


ある者はコーヒーメーカーを定年退職して帰郷。
自宅を改装して喫茶店を開店させた。


ある者はエリートエンジニアを50代半ばで早期退職し
夢だったワインづくりのためにぶどう農家になった。
ワイナリーも今年立ち上げる予定だという。

ある者は、障害者サポートの仕事から
退職し、それらの方々の就労の場づくりとして農家になった。

ある者は震災で陸前高田の工場が全壊した
嫁ぎ先家業の醤油製造会社を再興させようと
盛岡に拠点を移して夫婦で頑張っている。

ある者は、長年勤めた幼稚園教諭の経験を生かして
新しくできた保育園の園長でがんばっている。

ある者は若い頃からフリーランスのカメラマンとして仕事をしながら
ライフワークになっている鉄道写真を撮り続けている。

ある者は日本全国誰もが知る有名な企業の取締役として
大企業の経営を担っている。

ある者は水彩画家として個展を開いたりしている。

ある者は趣味の範疇を遥かに超えた音楽の才能でを持ち
ミュージシャンとして知られる活動をしている。

もちろんこの歳なので、
企業や団体の幹部になっていたり、
校長や副校長を経験してこの春退職したり、
個人で店や事務所を構えていたり、
音楽やスポーツ競技など、仕事とは別な得意分野で
がんばっている者達もいる。
専門職を長く勤めた者達はそのスキルやキャリアを生かし
まだまだ社会の役に立っている。

役者として、シンガーとして夢を追い続けながら早世した者もいたし、
病や事故により、これからという人生を断ち切られた者も数人いる。

私はウチの学年の代表幹事を務めているので
同級生の中ではみんなの動向を知っている方だと思うが、
それぞれの人生や生活を垣間見ながら
みんなの頑張りや活躍を心からリスペクトしている。
「友がみな我より偉く見ゆる日よ・・・」(啄木)と感じながら😅
「自分も頑張らなきゃな」と気を引き締めたりもしている。
こんな、お互いに評価し合い、リスペクトし合い、
励まし合える同級生の関係っていいなとつくづく思うのだ。
同級生達を誇りに思えるこの学校、この学年で良かった。
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風人堂の新しいランチプレート

2021-07-11 | 風人堂

風人堂の新しいランチプレートです。
「エッグサンド」の概念を覆す
このボリュームとバリエーション。
すべて花巻産の食材を使い、
モチモチバンズまで手作りのこだわり。
マヨネーズ不使用でカロリー控えめ。
ポテサラも人気となってます。
本も買えるカフェランチ、いかがでしょうか?
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3週目

2021-07-10 | 文化

半分過ぎました。
週末のみとはいいながら、結構疲れが溜まってきています。
でもあと2週間、頑張りましょう。

公開日は連日たくさんの方々がご来場下さっています。
なかなか見ることができない建物内部や展示品。
この機会をお見逃しなく。
明日の16時からのイベントでは
ピアノとフルートの生演奏があります。
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体罰

2021-07-09 | 社会
先日のNHK BSで、日本代表クラスのアスリートが
学生時代(中学校)の体罰の心の傷を
いまだに引きずっているというドキュメンタリーをやっていた。
それを見ていて、普段は忘れているが、
自分にも大なり小なり心の引っ掻き傷になってることに気づいた。

小学校5〜6年生の時の担任は、新たに転勤してきた男の先生。
この方は、実は元兵士としてシベリア抑留を体験してきた方だった。
廊下を走る、掃除をサボる、誰かに悪戯を仕掛ける
といった、まぁ小学生男子なら誰しも経験のある行為は許されず
「気をつけっ!歯を食いしばれっ!」
と怒鳴られた途端にビンタが飛んできた。
誰かを泣かせるみたいな、少々悪質なイタズラなどは往復ビンタ。
先生の逆鱗に触れるとビンタだけでは済まない。
クラス全員に「1週間彼とは口を聞かないように」とおふれを出し
机は教室の一番後ろの壁際に運ばれた。
公に認められた村八分だった。
皆戦々恐々として2年間を過ごしたものだ。

中学に入ると、男の先生はほとんどがそんな感じ。
今でもはっきりと覚えていることがある。
1年の時のある日の体育の授業はバスケットボールの練習だった。
順番にフリースローを打つのだが
そんなことをやったことのない私はことごとく外す。
5回目ぐらいだったろうか
また外した私を結構な年齢のベテランの先生が手招きし
いきなり3発ビンタを喰らった。
ふざけていたわけではないし、適当にやっていたわけでもない。
逆に入らないことで悔しく、真剣に取り組んでいた。
そのビンタの理不尽さを今も覚えている。

中学校の生徒指導の先生はまだ若手
角刈りに、外ではサングラスをかけて、見た目は堅気じゃなかった。
この先生は、何かあるとビンタではなくグーで殴った。
それもやはりさもないことで。
我々はとにかく先生の目から隠れて学校生活を送った。
のちに、私が大学時代、教育実習に母校に行けば
その先生が担当と聞いて、とうとう教免を諦めたほど
強烈な記憶を心に刻んでくれた先生だった。

中学校では野球部に入った。
1年生は奴隷、2年生は人間、3年生は神様という時代。
昼休みや部活が終わった後はお仕置きの時間だった。
1年生全員が並ばされ、ケツバットや階段から突き落とされたりした。
入学当初30人近くいた新入部員は1年後には半分に減っていた。
体育会の部活というのは(特に野球部は)そういうものだと思っていた。
練習中は水を飲んではいけないというのも当時の指導。
球拾いに行っては隠れて手洗い場の水をガブガブ飲んだものだ。
今考えれば熱中症だったと思うが
練習中に倒れた奴がいれば監督やコーチに罵倒され
頭から水をかけられておしまい。
高校で野球部に入ることを逡巡し、結局やめたのは
そんな中学時代の体験も大きい理由のひとつだったと今思う。
なにしろ神様だった3年生の中でも一番怖い鬼だった
当時の主将が高校でも主将だったのだから。

高校から以降は体罰の経験はない。
しかし中学まで受け続けた体罰は理不尽なものとして
今もしっかり記憶の中に残っている。
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痩せた?

2021-07-08 | 生活の風景
最近「痩せた?」と聞かれることが多い。
そういえば確かに1週間ほど前ベルトを1.5cmほど詰めた。
ここ2年ほどの間に3回目かな?

体重測るのは温泉に行った時ぐらいで
最近はとんとご無沙汰だから、体重の変化はわからないけど
もりもり食べてるし、最近は疲れて運動してないし(^^;
自分じゃ痩せた自覚は全くない。

もしかして重力に耐えきれず
肉がどんどん下に下がっているのかもしれない(^^;
孫と重力には勝てない(笑)
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七夕

2021-07-07 | 社会


仕事がすべてうまく行って、
資金繰りに困ることになりませんように(^^;

子ども達、孫達が元気で毎日を過ごせますように

早く社会が平穏を取り戻しますように

久しぶりで阪神が優勝できますように😁

世界中の人たちがみんな笑顔で過ごせる日が早く来ますように
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「才能のあるヤツはなぜ27歳で死んでしまうのか?」

2021-07-06 | 読書

アメリカ、イギリスのロックシーンには
「27クラブ」という言葉がある。
異彩を放つ早世アーティストたちの何人かが
なぜかみんな一様に27歳で命を落としているためだ。
ブライアン・ジョーンズやジャニス・ジョップリン、ジミヘン・・・。
まだまだたくさんのアーティストが27歳で早世している。
いつしか「才能あるヤツは27歳で死ぬ」ということが
ある意味運命であり、クールなこととして伝説になり始めた。
本当か?

そのひとりひとりを丁寧に取り上げ
果たしてそれはクールなことで、運命なのか・・・ということを
本書に認めたのは、
なんとあのロックバンドKISSのフロントマンであるジーン・シモンズ。
それも驚きで、本書を読もうと思った理由のひとつとなった。

本書によると、取り上げたアーティストたちのほとんどが
一般的には破滅型の天才であり、酒とドラッグで命を落とし
その結果伝説となったと思われているのだが
実は彼らのほとんどが真面目にファンの期待に応えようとし、
あるいは人並みの幸せを求めようとして
その結果不幸にも命を「落としてしまった」のだという。
オーバードーズで亡くなったブライアン・ジョーンズを例に挙げると
ローリングストーンズは「不良」のポーズを求められた。
酒とタバコとドラッグは彼らのアイコンだった。
「悪いこと」をすることでファンは彼らに熱狂した。
忠実にそれに応えた結果のオーバードーズだったというのだ。
そう考えると、人気に怯え、不器用な姿が浮かび上がってくる。
ジャニスは愛する人と静かな人生を望んでいたが
やはりプレッシャーに押しつぶされ、愛した人も去ってしまって
ますますヘロインに溺れていったのだという。
そこには彼女に持っていたイメージとは正反対の
かわいい女性像が想像できる。
ジム・モリソンは厳格な軍人だった父親に反発した姿勢が
カウンターカルチャーのトップランナーと見られていたようだが
実はエディプスコンプレックスに悩まされていたようだ。
それもファンが抱くイメージとは大きく違う。

ジーンが言いたかったのは
「彼らを早世に追い込んだのはファンや環境」だということ。
それがたまたま27歳だったというだけなのだ。
いや、もしかするとそういう生き方の限界が27歳なのかも知れない。
いい意味での鈍感力が生き残るためには必要なのかもと
本書を読んで感じた。
(ミック・ジャガーやキース・リチャーズのように)

ところで本書の翻訳は、もう少し何とかならなかったのだろうか(^^;
ほぼ直訳で読みにくいこと甚だしい。
散りばめられた、英語特有のメタファーも含め、
ところどころ、何を言いたいのかわからないところがあった。
ジーン自身による前書きは
半分ほどで読むのを諦め、残りはとうとう読み飛ばしてしまった。
それが残念。

「才能のあるヤツは
 なぜ27歳で死んでしまうのか?」ジーン・シモンズ:著 星海社新書
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欲しいもの

2021-07-05 | 風屋日記


そんなに欲しいものがあるわけじゃないけど、
今はエレガット欲しいかな。
こんな、ボディが薄いヤツがいいなぁ。
だけどガット弦にこんなエンドピンついたものあるの?
これ、ホントにエレガット?

ところで「欲しい」とは書いたけれど
実はそんなにモノに執着はない。
エレガットも結局買わないと思う。
例えば車。
高級車やスポーツカーなどは興味がない。
今の車はクリーンディーゼルの小型車が欲しかったので
ミニも考えたけど、結局デミオ一択。
「もうすぐMAZDA2になりますよ」と言われたけど
そのためにデミオが安くなるならそれでOK。
服も、例えばブランド物の5万円のジャケット買うなら
安物か古着の1万円を5着、バリエーションで買う方がお得。
(というか、1万円超える服はほとんど買ったことがない)
ブランド品も、装飾品も全く興味がない。

実は食べるものも同じ考えだ。
高級な店で食べるより、美味しく安い店の方がいい。
高級食材にも、気取った店にも興味はないし
逆にめんどくさい。
フレンチも、割烹も、行かなきゃならない時は仕方ないけど
自ら行こうとは思わない。

何か欲しい時は
自分が欲するスペックに沿って選び、
それが高ければ、今度は中古を探してみる。
それでも見つからなければ買うことはないかなー。
下手に高いもの買っちゃったら、
もったいなくて仕舞い込んでしまいそう(^^;
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仕事

2021-07-04 | 風屋日記
ここのところ週末は菊池捍邸の内覧会に張り付き。
開催前は平日もそれで走り回っていたが
開催してからは週末だけなので、平日は本業に戻れる

現在抱えている本業は記念誌2本、書籍1本。
(どれも時間がかかる取材・記事執筆や原稿整理がメイン)
それと週刊金曜日の連載記事。
それに隔月でマチココ制作も入ってくる感じ。
例年請け負っている市の仕事も3本ほどあるので、
ボチボチそれにも手をつけなきゃ。
実は少々大きなプロジェクトも本格的に立ち上がり
今後そのウエイトも高くなってくると思う。
新たな書籍企画もあるけれど、今はちょっと無理なので(^^;
頃合いを見計りながら地固めだけは抜かりなく。

やりたいことが山積みだけど、記念誌や書籍など
足が長いものは、収入になるのはまだまだ先のこと。
その間の資金繰りや経理処理もしなきゃね。
時間が欲しい。
あるいは自分がもうひとり欲しい(笑)
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2週目

2021-07-03 | 文化

先週は思っていた以上の来場者。
初日10時のオープン前からぞくぞく客さまがいらして
オープニングセレモニーがドタバタになってしまったことが反省点。
2日目は適度な間隔でのご来場者で少し落ち着いたが
2日間合計で予想以上の来場者数だった。
感謝。

正直言って、全く予算が足りないままの見切り発車だった。
まだまだ経費を賄えるほどではないけれど
ご協賛いただいた企業やお祝いをいただいた方々のおかげで
なんとかこの先の見込みが見えてきた。
しかし今回のイベントの目的は単発イベントだけじゃない。
今後この建物や展示物を、できれば常設で公開できれば
市街地の中に新たな観光スポットにできる。
茶寮かだんさんから古民家めぐりで
あるいはマルカンビル目的の観光客など
まちを歩く人も増えるだろう。
そのためにも、このイベントで基礎づくりをしなければ。

貴重な文化財としての建物、再顕彰すべき花巻の先人たち。
それが花巻のまちの賑わいを生み、観光コンテンツにできれば
花巻のまちの価値や魅力につながっていくのだと思う。

今週含め、あと3週間(土日のみ)
この機会にぜひご覧になりにおいでください。
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湯口中学校での神楽披露

2021-07-02 | 神楽・芸能

だいぶ経っちゃったけど
先週24日は花巻の湯口中学校全校生徒の前で出前授業。
上根子神楽の八幡舞、権現舞を披露した。
8月に盛岡で開かれる全国中文連の大会郷土芸能部門で
同校が神楽を披露することになっており、
それにあたって花巻市教育委員会文化財課主導で
本物を鑑賞させたいという趣旨だった。

こういうの、いいよね。
この中学生の中から興味を持ってもらって
自分もやりたいという子たちが出てくるともっといい。
権現舞の最後に頭をかじる場面があるのだが
自ら手を挙げて壇上で頭をかじってもらっていた子もいたし
少しでも心が揺さぶられたらいい。

ところで同校の校長先生は
かつてウチの長男が花巻中学校野球部時代の監督で
次男が大学時代に教育実習に盛岡の上田中学校に行った時に
同校に赴任してた先生でもある。
なかなか元気で人気があった先生なので、
当時野球部父母会役員でPTA役員でもあった私も含めて和気藹々。
「お父さんのマルカンの本も買って読みましたよ」
の言葉も嬉しかった。

24日は昼間これがあり、夕方からは熊野神社例大祭の夏越の大祓。
翌日は例大祭の神事が11時からあり、午後は神楽奉納。
その合間に26日から始まる菊池捍邸公開の準備に走り回った。
ちなみに23日は夜ライブのPAがあり、帰宅は午前様。
菊池邸公開最初の週となったの2日間も併せ
嵐のような5日間を過ごして疲労困憊となったのだった。
いやはや歳には勝てない(^^;
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