風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

体罰

2021-07-09 | 社会
先日のNHK BSで、日本代表クラスのアスリートが
学生時代(中学校)の体罰の心の傷を
いまだに引きずっているというドキュメンタリーをやっていた。
それを見ていて、普段は忘れているが、
自分にも大なり小なり心の引っ掻き傷になってることに気づいた。

小学校5〜6年生の時の担任は、新たに転勤してきた男の先生。
この方は、実は元兵士としてシベリア抑留を体験してきた方だった。
廊下を走る、掃除をサボる、誰かに悪戯を仕掛ける
といった、まぁ小学生男子なら誰しも経験のある行為は許されず
「気をつけっ!歯を食いしばれっ!」
と怒鳴られた途端にビンタが飛んできた。
誰かを泣かせるみたいな、少々悪質なイタズラなどは往復ビンタ。
先生の逆鱗に触れるとビンタだけでは済まない。
クラス全員に「1週間彼とは口を聞かないように」とおふれを出し
机は教室の一番後ろの壁際に運ばれた。
公に認められた村八分だった。
皆戦々恐々として2年間を過ごしたものだ。

中学に入ると、男の先生はほとんどがそんな感じ。
今でもはっきりと覚えていることがある。
1年の時のある日の体育の授業はバスケットボールの練習だった。
順番にフリースローを打つのだが
そんなことをやったことのない私はことごとく外す。
5回目ぐらいだったろうか
また外した私を結構な年齢のベテランの先生が手招きし
いきなり3発ビンタを喰らった。
ふざけていたわけではないし、適当にやっていたわけでもない。
逆に入らないことで悔しく、真剣に取り組んでいた。
そのビンタの理不尽さを今も覚えている。

中学校の生徒指導の先生はまだ若手
角刈りに、外ではサングラスをかけて、見た目は堅気じゃなかった。
この先生は、何かあるとビンタではなくグーで殴った。
それもやはりさもないことで。
我々はとにかく先生の目から隠れて学校生活を送った。
のちに、私が大学時代、教育実習に母校に行けば
その先生が担当と聞いて、とうとう教免を諦めたほど
強烈な記憶を心に刻んでくれた先生だった。

中学校では野球部に入った。
1年生は奴隷、2年生は人間、3年生は神様という時代。
昼休みや部活が終わった後はお仕置きの時間だった。
1年生全員が並ばされ、ケツバットや階段から突き落とされたりした。
入学当初30人近くいた新入部員は1年後には半分に減っていた。
体育会の部活というのは(特に野球部は)そういうものだと思っていた。
練習中は水を飲んではいけないというのも当時の指導。
球拾いに行っては隠れて手洗い場の水をガブガブ飲んだものだ。
今考えれば熱中症だったと思うが
練習中に倒れた奴がいれば監督やコーチに罵倒され
頭から水をかけられておしまい。
高校で野球部に入ることを逡巡し、結局やめたのは
そんな中学時代の体験も大きい理由のひとつだったと今思う。
なにしろ神様だった3年生の中でも一番怖い鬼だった
当時の主将が高校でも主将だったのだから。

高校から以降は体罰の経験はない。
しかし中学まで受け続けた体罰は理不尽なものとして
今もしっかり記憶の中に残っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする