風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

私のテーマソング

2009-04-15 | 風屋日記
少しテーパードした尾錠付のコットンパンツと
プルオーバーのBDシャツはなかなか売っていなくて
見つけるのに苦労した。
普通のコットンパンツとは違う、綾織りの厚手生地でできた
当時まだ珍しかったチノパンツもなかなか手に入らず、
あちこちの店を探したものだった。
今でこそ普通に合わせて着ているが
ブレザー仕立てのジャケットとジーンズを合わせるという
いわゆる「プレッピー」スタイルは当時の私は気に入っておらず
多少崩しながらも正当な「アイビー」スタイルを好んでいた。

トップサイダーのデッキシューズは甲が低い欧米人向けデザインで
履いていると足が痛くなるので
厚いゴム底に憧れながらもリーガルで我慢していた。
革靴なんぞ履かない田舎の高校を出たので
コインローファーはちょっと大人のキブンで履いたものだった。
高校時代はバンカラで生やしていたヒゲは、大学入学後もそのまま
メンズクラブモデルの北上純さんのノリで生やし続けていたが、
2年時からは口ヒゲだけにしていた。
それも社会が見えてきた大学3年の後半には剃り落したのだが。

  僕は無精ヒゲと髪を伸ばして
  学生集会へも時々出かけた
  就職が決まって髪を切って来た時
  もう若くないさと君に言い訳したね
  君も見るだろうか「いちご白書」を
  二人だけのメモリー どこかでもう一度
             (詞:荒井由実)

大学のキャンパスへ行くと、女の子達はみんなハマトラ。
パステルカラーのトレーナーにタータンチェックの巻スカート。
紺のハイソックスにはローファーやデッキシューズを合わせていた。
ニュートラのお姉さん方は知人にはあまりいなかったかな。
本当に海に行っていたのかわからないがサーファーもたくさんいた。
茶色に変色したサラサラの長髪と裏地プリントのシャツ。

大学3年を過ぎた頃には男達の雰囲気が少し変わってきた。
男達はカウボーイブーツを履き、白いTシャツにショットのボマー。
デカいバイクに乗るヤツらも増えてきて、必ずジッポを持っていた。
Tシャツの袖にショートホープをくるくると巻き込むのも流行り、
要は当時大流行りだった片岡義男スタイル(笑)

かくいうワタシも8万円のトニーラマのブーツのローンを組み、
(今でも履ける状態で押し入れに仕舞ってある)
バイクではなくアメリカンスタイルのピックアップトラックに憧れ、
白いTシャツか、素肌にアロハを着たものだ。
とはいえ生活そのものはアメリカンスタイルとは遠く離れた
6帖風呂なしのボロアパートに住む典型的な日本の貧乏学生。
中古品屋で安く買ってきたやたらデコラティブなシングルベッドを置き、
それが部屋の中で存在感を主張していた。

  流行の唄も歌えなくてダサいはずのこの俺
  お前と離れ1年が過ぎ いい男になったつもりが
  それでもこの歳まで俺が育てた裸の心は
  オシャレをしても車替えても結局変化もないまま
  早く忘れるはずのありふれた別れを
  あの時のメロディーが思い出させる
  シングルベッドで夢とお前抱いてた頃
  くだらないことだって2人で笑えたね。
             (詞:つんく)

あのボロアパートの2階のあの部屋は
いろんな思い出を内包しながら無くなってしまったんだなぁ。
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大人

2009-04-14 | 風屋日記
桜開花。

    ◇      ◇      ◇

タイの正月は今時分。
ソンクラーンと呼ばれる水かけ祭として有名だ。
どこでも誰彼構わず水をかける楽しそうなイベントだ。
そんな心躍る季節なのに
バンコク市内は反政府赤派によるデモや恣意行動が続き、
とうとうパタヤでのASEAN+2カ国会議も中止に追い込まれた。
以前も反対勢力の黄派によって注視に追い込まれたばかりであり、
どうやらタイ国内の争乱はまだまだ続きそうな勢いだ。
どちらの主張についてもよくわからないというのが今回の特徴であり
私ごときがどうこう言うことはできないけれど、
以前も書いたけど、これらの行動は自分の首を絞めるばかり。

さて、実はここんとこ
夫婦してマンガ「20世紀少年」にハマっている(笑)
長男の部屋に20~22巻と「21世紀少年」上・下があり、
映画の話題につられてふと手に取ったのがウンの尽き。
私はところどころ読んでたから大体のストーリーは知ってたけど、
母ちゃんはまったくの初体験。
ということで、母ちゃんはさっそく1~19巻をレンタルで借りてきた(^^;
私もところどころ読んだだけではわからなかったことが
1巻から続けて読むことによってわかってきて、もう夢中(笑)
以前から「パイナップル・アーミー」や「モンスター」は見てたけど、
このストーリーを考えた浦沢さんはすごいワ。

なによりケンヂたちが私たちと全く同年代というところに共感。
駄菓子屋、秘密基地、オバケ屋敷、1970年の大阪万博、
平凡パンチのヌード(笑)と、そしてともだち。
まったくそのまま私の子ども時代じゃないか。
万博には行けず、ガイド本買ってきて何度も読み返した経験は
ケンヂ同様私にもあるし、秘密基地も作ったものだ。
「よげんの書」というタイトルじゃないけど
未来の英雄譚は夜ノートに書き付けたこともある。
それがそのまま現実に起きるというのは
仮にそれが悲劇的なことであったとしても
書いた本人にしてみれば、どこか胸に迫るものがあると思うのだ。

「血の大晦日」までのケンヂやマルオ、ケロヨン、ヨシツネたちは
何ものかになろうとしてなれず、平凡な大人に軟着陸していた。
モンちゃんは常にチャレンジし続けるうちに失ってきたものに気づき、
オッチョは文字通り大切なものを失って自分を捨てた。
ドンキーが一番地道に自分の目指すべき道を愚直に歩いていたんだろう。
私は? 何ものかになれたのだろうか?

平凡に日常を送り続けることが「大人」だと誰が言った?
「血の大晦日」以降立ち上がり、地下に潜って活動を続けた後の方が
彼らはずっと「大人」になっているのではあるまいか。
仲間を信じ、信念に基づいき、
自分の頭で善悪を判断して行動することこそ「大人」じゃないの?
そう考えると、簡単に「ともだち」を信じてついていった大衆、
リアル社会で言えば、
例えば指示する人や政党を盲信するタイの赤派、黄派ともに
「大人」の行動とは言えないのではないかと思うのだ。
日本でも他人事ではない。カルトばかりじゃない。
簡単にマスコミや政治家に騙されてはいけない。
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花の季節

2009-04-13 | 風屋日記
週末、あちこちで撮った写真あれこれ。

桜

隣家の、たぶんヒガンザクラの一種かな?
ソメイヨシノじゃないけど開花が嬉しくてパチリ。

水仙

我が家の庭では一斉に水仙が花開いた。

蕾

中学校の桜の木。
蕾がもう膨らんできていてガマンできない感じ(笑)

夕焼け

春の夕焼け。
青空から茜色へのグラデーションを飛行機雲が切り取っていく。
つい2週間ほど前まで
雪が積もっていたとは信じられない風景。
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間もなく

2009-04-12 | 風屋日記
このサクラの蕾は
今日か明日には開きそう。
いよいよ花の季節。

ところで盛岡の開花予想日は17日だった。
それでさえ例年より4~5日早いのに
予想日より更に数日早まりそう。
いつもの年は満開の桜の下での奉納となる
26日の地蔵さんや29日の鳥谷崎神社での
神楽の時には散ってんじゃん(^^;
早きゃ早いで文句が出てしまう
人間なんてわがままな存在だね(笑)
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ふるさとの風景

2009-04-11 | 風屋日記
先日ここでお知らせした
BSフジ「旅するハイビジョン 全国百線鉄道の旅」
~みちのくの大自然を行く 釜石線・山田線・岩泉線~
録画までして見た。

思っていたよりもかなり鉄分の多い番組だったけど(笑)
デジタルによる美しい映像が目を釘付けにした。
普段は日常の中の平凡な風景でしかない花巻駅が
TV画面を通して見ると胸がうずく懐かしい故郷の風景になる。
ゆったりとした時間の流れの中にある素朴な気動車。
のんびりとした構内アナウンス。
やがてゆっくりと、かつて花巻北高があった桜雲台の裾野を
ゴトンゴトンと音を立てて通っていく列車。
列車の行く先に伸びていく線路は
私が子どもの頃、線路脇をよく通った高校生時代、
そして東京へと巣立っていった頃と全く同じ軌道だ。
線路を離れて映し出された賢治記念館も、イギリス海岸も
そして花巻農高敷地内の羅須地人協会もいいけれど、
新花巻駅近くや小山田駅周辺と思われる
何でもない田圃の中を列車が走る映像もいいものだ。

宮守あたりの山間部、古い駅舎の遠野、釜石、
錆が目立つ宮古駅に停まった列車も味わいがある。
嬉しかったのは遠野と釜石の間の上有住(かみありす)駅。
小学校4年の頃、新卒だった若い先生に誘われて
クラスの有志が釜石線に乗ってピクニックに行った。
目的地は上有住にある鍾乳洞の滝観洞。
確か夏だったけど鳥肌が立つほど涼しい洞内を進むと
一番奥に見事な滝があった。
家族でも確か一度子ども達を連れて行ったことがあるなぁ。
その滝観洞も番組内で紹介されていたよ。
鉄ちゃん垂涎の盲腸線である岩泉線は初めて見たが、
駅周辺に建物の影すらない、
山菜採り以外何のためにあるのかわからない駅がいくつか。
終点の岩泉の駅をもっとよく見たかったな。

宮古から盛岡への山田線も初めて見た。
途中で宮古に引き返す車両があるんだねぇ。
盛岡へと降りていく手前の峠である区界(くざかい)も
家族で行った思い出の場所。
次男は抱っこしてたからまだ1歳前?
長男は私とお揃いのウインドブレーカーを着て
ちっちゃなリュックを背負っていたね。
シート拡げてお弁当にしようとしたらパラパラ雨が降ってきて
慌ててちかくのお店まで走っていったことを覚えている。

それぞれ1日に何本も列車が走る線路じゃないから
信号も線路も鉄柱も程よく錆びている。
風景も家が新しくなるぐらいで何十年、何百年と変わらない。
その中を列車は黙々とゴトンゴトン走っていく。
鉄道にそそられる気持ちって言うのは
もしかしたらノスタルジーの一種なのかもしれないなぁ。


※見逃した方、BSフジが見られない方でご希望の方には
 DVDをお送りします。ご連絡くださいませ。
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夫婦

2009-04-10 | 風屋日記
5日の日曜日のwowowは15時間ぶっ続けの三谷幸喜祭り。
朝から「笑の大学」「ラヂオの時間」「みんなのいえ」
そして「THE 有頂天ホテル」と映画が続いたようだ。
その後、16:40からは私と母ちゃんが楽しみにしていた
中井貴一さんと戸田恵子さんの2人芝居「Good Night Sleep Tight」。
何しろ私以上に三谷ファンの母ちゃん。
昨年何かの折にこの芝居のチラシを目にして以来、
見たくて仕方なかったのだ。

舞台は最初から最後まで夫婦の寝室。
時間とともに、あるいは2人の関係とともに
ベッドがダブルになったりシングル2つになったり、
ベッドの距離も別れの場面では部屋の隅と隅になってしまう。
まだお互いのことがよくわからないながら愛し合っている新婚時代から
しっとりお互いを思いながらも自分のことに奔走する中盤、
いつの間にか仕事に成功し、大人になった妻と
かつての夢や希望もなくなってしょぼく落ち着いてしまい、
去っていく妻に遠慮しながら話しかける夫。
熟年離婚の場面から徐々に時間は遡り
(というより行ったり来たりなんだけど)
最後は新婚時代で終わるというストーリー展開も秀逸だった。
ただし、申し訳ないけど、
この芝居は結婚経験者しか本当の深さはわからないかも。

正直言って期待以上の芝居だった。
三谷作品らしい笑わせどころも満載ながらホロリとさせ、
最後は自分も登場人物に同化して胸が詰まる思いを感じる。
キャッチフレーズにある通り、
おかしくて切ない普通の夫婦の30年間の物語。
他人同士が一緒に生活し、長い時間をかけて
他の人にはわからない様々な感情や言葉や笑顔や涙を
多層的に積み上げていくのが夫婦なんだなぁ。
愛し合う気持ちも、離婚まで思い詰めた気持ちも
決して通り一遍で単純なものじゃない。
楽しかった思い出とほろ苦い感情をお互い抱きつつ、
夫は過去を振り返り、妻は前を向く。
でもね、妻も密かに振り返っているんだよね・・・と
三谷さんの脚本は教えてくれる。
知らん顔して踵を返しても、きっとその顔は涙に暮れている。
2人しか知らない積み重ねた歴史を捨てるのは
傷口を掘り返すような痛みが伴うものだから。
もう一度書くけど、恋人同士とは違って、
ともに過ごした時間分だけ積み重ねた夫婦の歴史は
その夫婦だけのものであり、深く厚いよねぇ。
普通の家庭でも、皇室でも。

さて我が夫婦。
お互いに笑い合いながら芝居を楽しみつつ、
終わった後(もう20時近かった)遅い夕食の準備をしながら
たぶん胸に去来したものはそれぞれ違ったんだろうね。
ただ言えることは、いつもより少しだけ
お互いに対して優しい気持ちになったことかな。
まぁその後は簡単な夕食を居間に持ち込んで
またゲタゲタ笑いながら「マジックアワー」を見たんだけど(笑)
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哀しい正義

2009-04-09 | 風屋日記
日本の立場で考えると
六カ国協議も肩すかし、拉致被害者問題も棚上げにしておいて
警告を無視したミサイル騒動ってどんだけ傍若無人なの?って感じ。
国土の上空を越えていく軌道のミサイル発射は看過できない。
この事態を世界に訴えて、みんなで彼の国包囲網を作り、
きちんと日本に顔を向けさせたい・・・というのが日本の正義。

アメリカの立場で考えると
まずは何かと邪魔なタリバンなどのテロ組織を叩きたい。
加えてイラン。何とか事態打開の糸口を見つけたい。
そんなこんなで忙しく、金融不況で防衛費もままならないから
イラクは自分たちで何とかして欲しいし、
イスラエルもあまり虎の衣として頼られても困る。
一番の国債保有国家、というよりアメリカの株主のような
中国のご機嫌も取っておかないと経済的にやっていけない。
はっきり言って朝鮮半島なんざ相手にしてるヒマはない。
ミサイルだってアメリカ本土まで届かなかったわけで
「ワン」と一声吠えた犬には軽く睨みをきかせるだけでいい。
あとは日本と韓国に任せたいな・・・というのがアメリカの正義。

韓国の立場で考えると
ミサイル発射は挑発行為であり、充分に脅威を感じる。
がしかし、その軌道はまったく韓国とは違う方向を向いていたし
民族として戦時中のわだかまりが残る日本より
同胞である「北」の方がまだ親近感はある。
この1件でライバル日本と完全に手を組むのは抵抗があるから
やっぱりここはアメリカとの関係を強化しつつ
いざという時に備えたい・・・というのが韓国の正義。

そして「北」の立場で考えると
アメリカも日本も韓国も、銃口はすべてこちらに向けている。
安保理の手前中国やロシアにもこれ以上は頼れない。
イランなどは武器を勝ってくれるけど盟友ではないし
自分たちのことは自分たち自身で守らなければならない。
韓国に敵対するのは自分の身内を攻めるようで抵抗あるし、
日本は戦時中からの朝鮮民族全体の敵と認識している。
となるともうアメリカと1対1で取引するしかないじゃないか。
それにはまずアメリカにこちらを向いてもらわなくては。
ミサイルでも射てば無視はできないだろう。
とはいえ孤立は避けたいから中国と相談して衛星にしてみようか。
それにしても、自分たちの国は経済的にも疲弊しており
いつ暴動が起きてもおかしくない状況の中、
仮想敵国を定めて何とか国民をまとめてはいるが苦肉の策。
そんな中でも何とか国家体制を維持しようと思ってるだけなのに
どうしてみんなイジワルするんだろう。
拉致だって戦時中に日本軍が散々やってきたことじゃないか。
とにかくどんな手を使ってでも
何とかこの事態を打開しなくては・・・というのが「北」の正義。

それぞれの国の立場で考えると
悪意を持って他国にちょっかいを出そうとしているわけじゃない。
ただそれぞれの国の立場だけで自分たちを正当化し、
それぞれにとっての「正義」に基づいて行動しているだけのこと。
「正義」という概念はひとつじゃない。
そんな「正義」の名の下にまた人が殺され、環境が破壊される。
哀しい概念「正義」。
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真っ当な私

2009-04-08 | 風屋日記
「真っ当」って何だろう。
普通の大人は自分が為すべきことをちゃんと知っていて
しかも為したいこともちゃんと為す。
そんな人を客観的に見て
「真っ当な大人」「真っ当な生き方」と言うのだろうが、
何を為すべきかわからずに、
ただ「真っ当な人」になりたい、「真っ当な生き方」をしたい
と願っている人は、
だんだん「真っ当な考え方」から外れていくような気がするが。

「真っ当」が「そうあらねばならない正しい様」
という意味であるならば、私は
「真っ当な大人」や「真っ当な生き方」ではなく
「真っ当な私」でありたい。
いかに「いい歳して」とか「いい大人が」とか言われようとも。
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業務連絡(笑)

2009-04-07 | 風屋日記
連日の病院ネタで失礼(^^;

次男坊から突然メールが入ったのは昨日の16時過ぎ。
「イレギュラーが鼻に当たって鼻骨骨折しちまった(汗
 今△△整形だけど、紹介状もらって○○病院行ってくるよ」
おいおい(^^; ちなみにその△△整形は昨日書いた名医さん。
「○○病院って電車なら駅から徒歩30分はかかるぞ。
 今行くからちょっと待ってろ」
たまたま昨日は車で出勤していたから、
盛岡駅で次男を拾い、盛岡市郊外の○○病院へ。
何でも午前中のノックの時に鼻に当たり、
鼻血が止まった後昼メシ摂った後でバッティングしようとしたら
チームメイトから「鼻曲がってんじゃね?」と言われたのだとか。
整形に行ったら骨折していて曲がりを直すには手術だと。

○○病院形成外科では先生が
「たまにいるんだよねー、鼻でボール受けちゃう人(笑)
 まぁ明日の午後には手術できますよ。10日ぐらい入院だな」
次男は「わぉ(-"-;」と言ってたが、先生がいなくなった後で
「10日もかよ。暇じゃん」そっちかよ(呆
「それより10日に履修届出さなきゃならないんだけど」
おいおい、そっちの方が重大だろ。
先生に聞いてみたら
「あ、その頃なら外出してきてもいいよ。
 オペラ座の怪人みたいなマスクつけてるけどね(笑)」
サッカーの宮本みたいでかっこいいじゃん(^^;

ってことで、
それから急遽アパートに寄り着替えなど持って次男とともに自宅へ。
思いもよらず花東の決勝戦の録画を見ることができてよかったな(笑)
そして今日は朝イチに病院へ向かい、入院手続きやら検査やら。
鼻骨骨折の整復手術は全身麻酔で行うのだそうで、
検査も注意事項もやたらと仰々しいんだよねー。
合間を縫って私も会社へ行き、バタバタ仕事を片付けた。
昼からまた病院へ。

13時半まで点滴付けながら2人でTV見てたら看護士さんが来た。
「そろそろ行きますよー。手術室の前までお父さんも行きますか?」
「いや、ここで結構です。いってらっしゃーい。
 オレはその間にこの近くで昼メシ食ってくるから」
ストレッチャーの上の次男は
「あ、ちくしょう、いいなー。腹減ったー」
看護士さん達もクスクス(笑)
全身麻酔を使うってことで朝から何も食べてないからねー(^^;

・・・で、朦朧とした状態で戻ってきたのは15時前。
「おーい、元気かー? 具合悪くないかー?」と声をかけたら
目を瞑ってボソボソと「ハラ減った・・・」
看護士さんと大笑いしたけど、まずは順調。よかったよかった。

ということで、ここ数日ドタバタします。
心ならずもエントリーを休んだり、
コメントへのレスが遅れたりするかも知れませんが、悪しからず。
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魔法

2009-04-06 | 風屋日記
クロッカス。
我が家の庭にもようやく春が来た。

    ◇      ◇      ◇

さて、足の故障について以前書いたが、
先週も1週間どうにも痛くて足を引きずって歩いていた。
とにかく右足で地面を蹴ることができない。
歩く向きを変えようと足の外側で地面を蹴ろうとすると
またイライラするような鈍痛が襲ってくる。
そして先週金曜日の朝、
駅から会社へ歩いていた私の横から自転車が突っ込んできて、
ぶつかるのを避け、転ばないように足を踏ん張った瞬間、
言葉にできない重い痛みが臑まで拡がった。
こりゃダメだ。

以前診てもらった外科医院には申し訳なかったけれど
先日ケガした次男も診てもらったという
スポーツ関係の治療で知られた整形外科に改めて行ってみた。
レントゲンの結果は・・・「何ともないですよ」
え!? この前は関節が変形してるって言われたんだけど(^^;
「どれどれ」と若い先生は私の足首のあちこちを押し始める。
「○×△※●!!」外側くるぶし周辺が強烈に痛い。
「ははぁ、水がたまってるワ。痛いのはこれですね?」
と臑の下からくるぶしの後~足の裏の縁までを押していく。
い・痛い・・・(^^; ハイ、それです。

診断は「腓骨筋の腱鞘炎」とのこと。
「以前ひどい捻挫しませんでしたか?」
実は小さい頃から両膝も両足首も捻挫はしょっちゅう。
一番ひどいのは小学校の頃にスキーでやったものだけど、
その後もたびたびやっていた。
もう慣れたもんで「はいはい湿布しとけばOK」って感じで
病院にも行かず、のど元過ぎれば熱さも忘れてしまっていた。
「以前の捻挫で靭帯が伸びちゃってるんですよ。
 グラグラしてる足首の関節を腓骨筋で支えてたって感じかな?
 無理して歩いたり、走ったりして腱鞘炎になったんでしょう。
 ホントは足首に注射するか、靭帯の整形しなきゃいけないけど
 痛いのはイヤでしょ?」
ブンブン首を縦に振るワタシ。
「じゃとりあえずテーピングしてサポーター巻きましょ。
 それで2週間ぐらい様子見て下さい。それでダメなら注射だな。
 言っときますけど、腱鞘炎の治療はしてませんからね。
 靭帯支えて自然治癒を待つって方法ですから」
テーピングとサポーターを巻いてもらい、
自分でもそのやり方を教わって病院を後にした。

駅まで歩く。全然痛くない。
方向を変える時にちょっとズキンとするぐらいで
まっすぐ歩いている分には足を引きずらなくても大丈夫。
へぇー、テーピングしただけで痛みが取れるって魔法みたい。
家に帰り、風呂に入ろうとサポーターやテープを外すと
また風呂までは足を引きずる格好になってしまう。
翌朝テーピングするとまた痛みは消える。
不思議だなぁ。
「2週間経って痛くなければもう来なくてもいいですよ」
と事も無げに言ってた先生。あなたは名医だ!!
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ますます…

2009-04-05 | 風屋日記
あのセンバツ決勝選が4月2日。
ナインが花巻に帰ってきて、
たくさん集まった市民の前で報告会を開いたのは3日。
そして昨日の4日、
私はいつもの週末のようにトレーニングに行った。
花巻市総合体育館は花巻東高の隣、
すぐ脇は野球部のグランドだ。
1時間のトレーニング後、
何気なく窓の外を見た私の目に飛び込んできたのは、
全部員でグランド整備をしている花巻東野球部。
外野では草取りしている選手たちもいる。

甲子園で精一杯戦ってきたナインたち、
正直言って数日のオフがあると思っていた。
寮の子たちも両親と話したかろう。
1~2日ゆっくり体を休めるのも大事だ。
しかし彼らはもう夏に向けて走り出していた。
しかも丁寧なグランド整備から。
全くの1からのスタートだ。
この様子を見て、
なんだかますます花東を応援したくなってきたなぁ。
まずは春、そして夏。
これからの更なる活躍が楽しみだ。
…あ、もちろん一番応援してるのは
我が家全員の母校である花巻北だけどね(^-^)
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慌てるな

2009-04-04 | 風屋日記
慌てるな。
騒ぐな。
煽るな。
なにも弾頭つけて火薬を積んだミサイルが
一直線に日本を目指して飛んでくるわけじゃない。
「仮に」衛星ではなくミサイルだったとして
「仮に」それが軌道を外れたとして
「仮に」外れた軌道が日本に向かった時のため
粛々と対応準備をすればいい。
慌てれば慌てるほど、騒げば騒ぐほど、
相手の思うツボ。

泰然と構えていれば良いのに
TVや新聞や週刊誌は視聴者、読者を煽り続ける。
マスコミに煽られてみんな右往左往慌てる。
慌てついでに誰かのせいにして騒ぐ。
戦前、戦中、新聞やラジオに煽られて
冷静さを忘れて浮き足立った歴史を忘れ、
また同じことの繰り返しだ。
あまり慌てると、
迎撃しなくてもいいものを迎撃してしまい、
よけいにややこしい事態がおきないか、
どちらかといえば私はそっちの方が心配。

昨日の日経の「私の履歴書」に書いてあったが
戦時中繰上げ卒業となった当時の東大生は
自由な今よりもっと冷静に大局を捉えていた。
報道を鵜呑みにせず、今一度よーく考えてみよう。
本当に今われわれは危ないのか?

「飛翔体」が上空を通過するといわれる岩手は
花巻東が咲かせた大輪の花に続き
いよいよ本当の花の季節を迎えつつある。

白鳥

田起こし前の田んぼには白鳥が1羽。
北へ帰る前に一休みかな?
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懐球

2009-04-03 | 風屋日記
大正12年生まれだった今は亡き親父は
改装前の土盛りしたスタンドに囲まれていた旧花巻市営球場で
戦前、東京巨人軍とオール岩手の試合を見たことがあったそうだ。
(当時県内には花巻にしかまっとうな球場がなかったとのこと)
まだプロ野球のリーグ戦方式が確立していなかった頃のことらしい。
チームを2つか3つに分け、青森、秋田、岩手で
それぞれの地元チームとの試合を組んでいたのだそうだ。
今では伝説の沢村投手は来なかったものの、
川上哲治選手のプレーを見たというのが親父の自慢だった。

同じ市営球場で行われた夏の高校野球花巻地区予選にて
花巻北vs花巻商業(現在の花巻東)の試合を見に連れて行ってもらったり、
盛岡市営球場での北奥羽大会(当時は岩手・青森で1代表だった)に
三沢高校の太田投手を見に連れて行ってもらったり、
県営球場に来た大洋ホエールズvsヤクルトアトムズも見に行ったなぁ。
大洋にいた小太りの小谷投手のカーブがやたら印象に残ってる。
「太田ってピッチャー速いなぁ」「小谷のカーブ見てご覧、すごいよ」
親父の声がまだ耳に残っている。
そんな時はたぶんお袋と妹は盛岡のデパートで買い物だったろう。
私と親父だけが麦わら帽子とランニングシャツ姿でスタンドにいた。

もちろん私のキャッチボール初体験は親父と。
私のグラブと、なぜか親父はグラブではなくキャッチャーミットを買い、
家の前の道路で時々キャッチボールをしたものだ。
それも小学校2~3年生ぐらいまでの間だけだったけれど。
10代の頃から体が弱かった親父はスポーツ経験がほとんどなく
幼い私とのキャッチボールでもすぐに息が上がっていたから。

バリバリ昭和の戦後少年だった私は、毎日暗くなるまで草野球だった。
夏の夕暮れ、まだ薄明るい中で野球に興じていると
60mほど離れた自宅から親父が「メシだぞぉー」と叫ぶ。
「はーい」と言いながらも、野球ってのは3アウトにならないと終わらない。
5分もしないうちに下駄をつっかけた親父がゆっくり歩いてきて
「コラッ!! もう何時だと思ってるっ!! いいかげんにしろ」と怒鳴る。
仕方なくわれわれの試合はサスペンデッドとなり
グラブをバットに引っ掛けて肩に担ぎ、親父と並んで家路につく。
すると親父が前を向いたまま「さっきの、いい当たりだったな」と
夕暮れで表情が見えない中ポツリと言ったりするのだった。

実は中学校入学時、私は野球部入部を親父に猛反対された。
私が順調に高校~大学へと現役で進み、
4年で卒業した年に定年退職となる年齢だった親父が
先々のことを案じていたのは後から知るところとなるのだが、
何せ当時の私は反抗期真っ盛りの血気盛んな中学生。
同級生達からは少し遅れたものの、勝手に入部を決めた。
グランドでの練習を1度偶然目にしたことがあったらしいが
帰ると親父は「ぜんぜんダメだ。辞めた方がいいんじゃないのか」と
吐き捨てるようにひとこと言うだけだった。

中3の時の最後の中総体でわれわれは地区予選で優勝し県大会へ。
県大会も勝ち進み、とうとうBEST4に残り準決勝。
いままでまったく試合に興味を示していなかった親父の姿を
なんとスタンドに見つけた。
試合は残念ながら負けてしまい、私たちの中学校最後の夏は終わったが、
親父が同僚からカメラを借りてきてこっそり撮ったという
8mmフィルムが今も家に残っている。
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決戦は木曜日

2009-04-02 | 風屋日記
風屋日記は基本的に
あまり話題が偏らないように一応意識はしている。
風景の後は社会、その後は読書、音楽、神楽等などナド・・・。
でもね、ここんとこ毎日この話題、今回だけは許してね(^^;

いよいよ高校野球史を、いや岩手の歴史を変える日。
選手達は疲れてると思うけど、もう一踏ん張り頑張って。
これまで甲子園と言っても1回戦を突破するかどうかだったから
こんな時にどうやって喜びを爆発させればいいかわからずに
おずおずとバンザイしている
普段は野球ファンでもない普通の岩手県民達がとてもかわいい(笑)
何しろスポーツ音痴のうちのお袋でさえ中継にかじりついている(^^)
レギュラーの出身中学を見ると
見前、見前南、大迫、宮古、水沢、金ヶ崎、北松園・・・
県内あちこちの、でもすべて県内の中学出身者たちだ。
全県挙げて、アルプス席から、岩手の地から、散らばってる全国から
今日は大きな声援を花巻東ナインに送る。

昨年は大きな地震が2度もあった。
いまだに大きな傷跡が残っていたり、
風評被害によって観光客が激減したり、厳しさが残る。
宝くじ当選金にまつわる殺人事件や10代の女性の殺人事件もあった。
花巻でも昨年に続き、つい数日前に事件があった。
誘致企業を中心に金融不況はこんな田舎も直撃しており、
派遣切りはもちろん、正規雇用者も身分が危うくなっている。
(リストラは地方の生産部門から・・・が常識)
為替相場の影響によって
せっかく増えてきていたアジアから岩手への観光客も減った。
そこへもってきて胆沢ダムが妙な注目を浴びている。
暗いニュースが続く岩手に差した一筋の光。
花巻東の溌剌と明るい姿に県民みんなが励まされている。
ヘンな荷物を背負わせるつもりはない。
自分たちの野球をいつも通り元気に全うすればいい。
それだけで県民みんなが力をもらえるのだから。

チャンスでもピンチでも笑顔で元気いっぱい、
とにかく試合前から相手に負けない声を出し続ける花巻東ナイン。
攻守交代は全力疾走、キビキビ動く若さが眩しい。
岩手に関係する人たちだけじゃない花東ファンも増えてきたようだ。
いつもは母校の応援に力を込める私も、
今日は1花東ファンとして精一杯の気持ちで応援させてもらおう。

↓ 試合後ここに結果を追加予定です。さてどんな書き込みになるかな。

清豊 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1
花東 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

紙一重の差で負けたけどいい試合だった。
昨年から下を向きがちになっていた岩手県民は
花巻東ナインに夢と勇気をもらった。
夢をありがとう。

さぁ次は大学野球。
北東北リーグは18日に開幕。
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エイプリル・フール

2009-04-01 | 風屋日記
ご報告します。
ワタクシこの度、次の衆議院選挙に出馬が決まりました。
解散も間近と思いますので、今大急ぎで選挙の準備中です。
政党なんぞアテになりませんし、
基本的に他人の言う通りに動くのがキライなワタクシですので
当然のことながら無所属での出馬と相成ります。
当選の暁には教育と福祉・社会保障政策を中心に
下記マニュフェストの実現に精一杯取り組みます。

1.教育費を大幅に増額します。
  教育への投資は国の将来への先行投資。
  まず国公立幼稚園~小学校~中学校~高校の
  入学金、授業料をはじめとした経費をすべて無料とします。
  私立高校、私立大学への補助金も厚くし、奨学金制度拡充も含め、
  経済的に進学が困難な状況をできるだけ解消します。
  国公立大学も入学金、授業料とも現在の1/3程度まで下げます。

  その上で就学前教育として公立幼稚園の拡充を図ります。
  ここではコミュニケーションの基本を身につけてもらうと同時に
  「肌で感じる」教育を充実させます。
  義務教育については各地域の実情を踏まえた学校設置を基本に
  教員数を現在の2倍にして少人数教育を実現します。
  加えて、知識詰め込み型教育を見直し、
  読書や体験を基本とした「考える力」を育てます。
  高等学校では「哲学」をはじめとするリベラルアーツを基本に
  教養を身につけることに重点を置きつつ
  社会体験もふんだんに盛り込みます。
  大学教育には国公立を中心に補助金を厚くし、
  経済格差が学歴格差にならないよう
  高度専門知識を身につける場を提供します。

2.福祉や社会保障費を大幅に増額します。
  安心して暮らせる社会保障の充実こそ最大の経済政策と考えます。
  まず現行の国民年金制度を全面的に見直し、
  全国民が60歳から生活に必要な年金を受給できるよう
  すべて消費税で賄う「100%税負担方式」に切り替えます。
  また12歳以下、60歳以上の高齢者、障がい者に対し
  医療費の自己負担を無くす医療制度を確立します。
  それ以外の方々の自己負担分1割としますが、
  一方で地方に勤務する医師への医療費は手厚くし、
  医師の地域偏在解消を図ります。
  障害者の就業支援のためのジョブセンターを設立し、
  シングルマザー、ファザーのための支援センターも整備します。
  また、就業希望者に対しては能力開発のための補助金制度を、
  また起業希望者へはベンチャーキャピタルの拡充整備及び
  雇用を伴う地方での起業者に対しての優遇税制を導入するなど
  雇用を重視した経済政策を打ち出します。

3.以上の政策を実現する財源として、
  まず国家公務員を3割減員することに加え、
  補助金を必要とする各種公共団体の70%を削減します。
  また防衛費は防衛設備、武器などの予算を5割削減し、
  一方で自衛隊の中に災害救助隊を組織して人件費を1割増やし、
  災害時の国際援助を行うとともに若い人たちの雇用の場とします。
  消費税は社会保障勢化した上で10%としますが、
  単品で1万円以下の食料品や5万円以下の衣服は無税とします。

4.その他、途上国や紛争中の他国への援助は
  武器を持った自衛隊員を派遣するのではなく
  またODAだけに頼るのではなく、
  技術者、教育者、専門家、医師などによる技術支援、復興支援を
  日本独自の手法として行うことにします。
  公的援助で不足する部分を細かいところまで補完してもらうため
  各NGO間のネットワークを強化した上で補助金を厚くします。

5.国会議員に対しては企業献金をすべて禁止し、
  財政健全化のために歳費も3割カットすることとします。
  その代わり阪神タイガースの年間シーズンペアチケットと
  クラプトンコンサートへの永久無料ご招待券を付与します(^_^)


・・・なーんて夢物語は4月1日にしか言えないんだなぁ(笑)
ちなみに最初の1行目からすべてウソです。念のため。

ところで風屋日記では毎年エイプリル・フールに
様々な記事をUPさせてきたが、
2005年2006年2007年2008年
いまだに何ひとつ実現していないなぁ・・・。
花巻東のセンバツ優勝だけはエイプリル・フールにしたくない(笑)
コメント (11)
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