風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

大人

2009-04-14 | 風屋日記
桜開花。

    ◇      ◇      ◇

タイの正月は今時分。
ソンクラーンと呼ばれる水かけ祭として有名だ。
どこでも誰彼構わず水をかける楽しそうなイベントだ。
そんな心躍る季節なのに
バンコク市内は反政府赤派によるデモや恣意行動が続き、
とうとうパタヤでのASEAN+2カ国会議も中止に追い込まれた。
以前も反対勢力の黄派によって注視に追い込まれたばかりであり、
どうやらタイ国内の争乱はまだまだ続きそうな勢いだ。
どちらの主張についてもよくわからないというのが今回の特徴であり
私ごときがどうこう言うことはできないけれど、
以前も書いたけど、これらの行動は自分の首を絞めるばかり。

さて、実はここんとこ
夫婦してマンガ「20世紀少年」にハマっている(笑)
長男の部屋に20~22巻と「21世紀少年」上・下があり、
映画の話題につられてふと手に取ったのがウンの尽き。
私はところどころ読んでたから大体のストーリーは知ってたけど、
母ちゃんはまったくの初体験。
ということで、母ちゃんはさっそく1~19巻をレンタルで借りてきた(^^;
私もところどころ読んだだけではわからなかったことが
1巻から続けて読むことによってわかってきて、もう夢中(笑)
以前から「パイナップル・アーミー」や「モンスター」は見てたけど、
このストーリーを考えた浦沢さんはすごいワ。

なによりケンヂたちが私たちと全く同年代というところに共感。
駄菓子屋、秘密基地、オバケ屋敷、1970年の大阪万博、
平凡パンチのヌード(笑)と、そしてともだち。
まったくそのまま私の子ども時代じゃないか。
万博には行けず、ガイド本買ってきて何度も読み返した経験は
ケンヂ同様私にもあるし、秘密基地も作ったものだ。
「よげんの書」というタイトルじゃないけど
未来の英雄譚は夜ノートに書き付けたこともある。
それがそのまま現実に起きるというのは
仮にそれが悲劇的なことであったとしても
書いた本人にしてみれば、どこか胸に迫るものがあると思うのだ。

「血の大晦日」までのケンヂやマルオ、ケロヨン、ヨシツネたちは
何ものかになろうとしてなれず、平凡な大人に軟着陸していた。
モンちゃんは常にチャレンジし続けるうちに失ってきたものに気づき、
オッチョは文字通り大切なものを失って自分を捨てた。
ドンキーが一番地道に自分の目指すべき道を愚直に歩いていたんだろう。
私は? 何ものかになれたのだろうか?

平凡に日常を送り続けることが「大人」だと誰が言った?
「血の大晦日」以降立ち上がり、地下に潜って活動を続けた後の方が
彼らはずっと「大人」になっているのではあるまいか。
仲間を信じ、信念に基づいき、
自分の頭で善悪を判断して行動することこそ「大人」じゃないの?
そう考えると、簡単に「ともだち」を信じてついていった大衆、
リアル社会で言えば、
例えば指示する人や政党を盲信するタイの赤派、黄派ともに
「大人」の行動とは言えないのではないかと思うのだ。
日本でも他人事ではない。カルトばかりじゃない。
簡単にマスコミや政治家に騙されてはいけない。
コメント (2)
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