あれはまだ私が結婚した後の20代なかば過ぎの頃のこと。
居間の茶箪笥の上に、
「○○(私の名)30歳の誕生日に」と書いてある薄い箱置かれていて、
実家を訪れるたびにすごく気になっていた。
何だろう・・・30歳にならなければ渡せないもの・・・気になる。
30歳も間近の頃、
ふと思いついてお袋に「あれ、何?」とさりげなく尋ねてみた。
「あぁ、あれ? いただきもののビジネスソックスセットなんだけど、
お父さんはあの通り(入退院状態)だし、今のあなたには地味だし
あなたが30歳になれば履くかと思って・・・」
何だか中を見たくて我慢できなくなり、
玉手箱を開けたら煙しか出て来なかったというキブンだった(笑)
あるいは昨日まで読んでいた
「FINE DAYS」本多孝好(祥伝社文庫)の中の「シェード」に出てくる
ガラス職人が奥さんの貝殻つきの小箱を開けた時のキブンかな?
まぁ「なーんだ」という話。
でもね、今になって考えることがある。
当時のお袋たちの感覚では30歳は立派な大人。
ブンガクだとか、ましてライブなんぞにうつつを抜かすことなく
仕事に打ち込みつつ、男として家族をしっかりと守る歳。
そう考えると、あれから20年経った今の私はどうなんだろう。
小さい頃は自分が40歳を超える歳になるなんて信じられなかった。
だってノストラダムスさんによれば
1999年には空から大王がやってきて人間は滅びる予定だったから。
1960年生まれの私が40歳になるのは2000年。
その誕生日を迎えられるわけがない(笑)
・・・という感じのことを重松清さんも
「うちのパパが言うことには」(角川文庫)なの中で書いていた。
「自分がそんな歳になるわけがないじゃないか」と。
ノストラダムスはともかくとして、
確かに自分が30歳になるであろうことすら信じられなかった。
子どもの頃は、今その時間がいつまでも続くような気がして
時間の歩みの遅さにイライラしたりしていたものだ。
未来には壁掛テレビがあり、いつでも持って歩ける電話があり、
縦横無尽につながる高速道路をガソリンを使わない自動車が走る。
買い物や仕事、もちろん勉強も家に居ながらコンピュータでできてしまう。
好きなようにいつでも外国に出かけられる。
そんな夢のような未来が待っており、早くそんな世界が見たかった。
21世紀はそんな時代であるはずだった。
それらほとんどすべてが今実現している。
まだなのはリニアモーターカーぐらいなものかな。
そして私は、あの頃には想像すらしていなかった年齢、
数年後に50歳を迎えようとしているわけだ。
私は大人になれたのだろうか。
現代はあのころ夢に描いた未来の姿になれたのだろうか。
1970年代型の子ども達は、2000年代型の大人になれたのか?
・・・と重松さんも本の中で問うのだ。
居間の茶箪笥の上に、
「○○(私の名)30歳の誕生日に」と書いてある薄い箱置かれていて、
実家を訪れるたびにすごく気になっていた。
何だろう・・・30歳にならなければ渡せないもの・・・気になる。
30歳も間近の頃、
ふと思いついてお袋に「あれ、何?」とさりげなく尋ねてみた。
「あぁ、あれ? いただきもののビジネスソックスセットなんだけど、
お父さんはあの通り(入退院状態)だし、今のあなたには地味だし
あなたが30歳になれば履くかと思って・・・」
何だか中を見たくて我慢できなくなり、
玉手箱を開けたら煙しか出て来なかったというキブンだった(笑)
あるいは昨日まで読んでいた
「FINE DAYS」本多孝好(祥伝社文庫)の中の「シェード」に出てくる
ガラス職人が奥さんの貝殻つきの小箱を開けた時のキブンかな?
まぁ「なーんだ」という話。
でもね、今になって考えることがある。
当時のお袋たちの感覚では30歳は立派な大人。
ブンガクだとか、ましてライブなんぞにうつつを抜かすことなく
仕事に打ち込みつつ、男として家族をしっかりと守る歳。
そう考えると、あれから20年経った今の私はどうなんだろう。
小さい頃は自分が40歳を超える歳になるなんて信じられなかった。
だってノストラダムスさんによれば
1999年には空から大王がやってきて人間は滅びる予定だったから。
1960年生まれの私が40歳になるのは2000年。
その誕生日を迎えられるわけがない(笑)
・・・という感じのことを重松清さんも
「うちのパパが言うことには」(角川文庫)なの中で書いていた。
「自分がそんな歳になるわけがないじゃないか」と。
ノストラダムスはともかくとして、
確かに自分が30歳になるであろうことすら信じられなかった。
子どもの頃は、今その時間がいつまでも続くような気がして
時間の歩みの遅さにイライラしたりしていたものだ。
未来には壁掛テレビがあり、いつでも持って歩ける電話があり、
縦横無尽につながる高速道路をガソリンを使わない自動車が走る。
買い物や仕事、もちろん勉強も家に居ながらコンピュータでできてしまう。
好きなようにいつでも外国に出かけられる。
そんな夢のような未来が待っており、早くそんな世界が見たかった。
21世紀はそんな時代であるはずだった。
それらほとんどすべてが今実現している。
まだなのはリニアモーターカーぐらいなものかな。
そして私は、あの頃には想像すらしていなかった年齢、
数年後に50歳を迎えようとしているわけだ。
私は大人になれたのだろうか。
現代はあのころ夢に描いた未来の姿になれたのだろうか。
1970年代型の子ども達は、2000年代型の大人になれたのか?
・・・と重松さんも本の中で問うのだ。