風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

ひとは見えている部分だけじゃない

2018-08-20 | 風屋日記
寝る直前、高校時代を思い出していた。
ベッドに入ってからもしばらくの間はそれを反芻した。

昨夜、映画「君の膵臓をたべたい」をなんとなく見た。
本は読んでいたけれど、
まぁ映画まで見るほどじゃないと持っていたので、
たまたま合っていたチャンネルのまま流していたというのが正しい。
その中で、ふと耳に残ったセリフがあった。
「誰とも関わらず、強い人だね」
強いのかな。でもネガティヴなことでもないな。
それは自分にもわかる。

高校1年の頃は、それなりに部活に力を入れた。
しかし中学校で超体育会系の野球部だった私にとって
どんなに力を入れようと、文化部の活動はぬるい感じだった。
だから誘ってくれ、お世話になった先輩が卒業した2年からは
部活から段々足が遠のいていった。

今も応援団幹部がバンカラな母校だが
当時は一般生徒も下駄や足駄を履き、腰に手ぬぐいを下げて
それなりにバンから高校生を気取っていた。
中でも私は、他の人たちとは違う白い鼻緒の足駄を履き
髪を伸ばし、無精ひげを蓄えて、ことさら目立つ風体だった。
休み時間には仲間たちとワイワイ大きな声で話し、笑い、
今思えば他の真面目な生徒たちには迷惑な存在だったに違いない。
(同級生ながら当時は言葉も交わしたことがなかったウチの家内は
 「あんな人とは関わりたくない」と思っていたらしい。
 その頃の彼女の理想は「チッチとサリー」のサリーだったらしいから
 正反対の私にそう思うのは当然のことだ 笑)
文化祭でも、体育祭でも、
仲間たちを誘い、煽っては大騒ぎしていた。

しかし、放課後になると友人たちはそれぞれ部活に行ったり
生徒会に入ったり、応援団幹部になったり
忙しそうにみんな散っていく。
放課後ひとりになった私は毎日のんびり自転車を走らせる。
向かうのはいつも繁華街にあった書店。
小遣いで買える文庫本や新書の棚を隅から隅まで目を通す。
様々なジャンルの本はひと通り見るのだが、
特に手に取ってページをめくるのは小説や詩集、哲学、評論。
ヘルマンヘッセ、アンドレジイド、トマスマン、アルフォンスデフォー、
ボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、マラルメ、
中原中也、高橋新吉、八木重吉、大手拓次、まどみちお、大岡信、川崎洋、
サルトル、キェルケゴール、カント、デカルト、ルソー、
倉田百三、西田幾多郎、柳田國男、阿部次郎などなど。

その中から1冊、小遣いが残っていれば2冊買い、
そのままひとりで喫茶店に入る。
ぐがーんだったり、サントスだったり。
ジャズ喫茶のエル・グレコは、マスターと話したり音楽聴いたり
本を読む環境ではなかったので、時々気分転換に行ったので、
ひとりで本を読みたい時は静かな店を選んだ。
もちろんそこでは読み終えられないので、続きは帰ってから夜中に。
そんなひとりに時間が至福の時だった。

友人たちと騒いでいるのも自分。
仲間たちと何かを計画して実行するのも自分だが、
ひとり本を読むのも、紛れもなく自分だった。
誰かと一緒じゃないから寂しいとかも思ったことはない。
もしかしたらそんな時間を持ちたくて、
あえて運動部に入らなかったのかもしれない。
中学校の野球部時代は忙しくてなかなか本も読めなかったから。

人は一面的じゃない。
当時の仲間たち、同級生たちは
騒がしい私のイメージしか持っていなかったかもしれないし、
もちろんそんな時間も楽しくて仕方なかったが、
その裏側にまた別な自分がいるのだ。
そんなことを、この映画を見てふと考えたりしていた。
コメント
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