風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

人生に無駄はない

2018-05-26 | 風屋日記
学生時代はテレビ局でADをやった。
メディアのコンテンツはどう作るのか、
広告代理店とスポンサーとメディア会社の関係は
どういう関係性なのかなどをぼんやり学んだ。

20代の頃は営業を経験した。
半年間のドアtoドアのエリア営業の後
抜擢されて岩手県を含む地方自治体や大手企業など。
当時はもうPCやWPも普及していたけれど
あえて手書きで企画書や提案書を書きまくった。
イラスト描いたり、切り貼りしたり
どう表現すればいいたいことが伝わるのかを考え
結構なページ数の企画書を書き、全国でも表彰されたものだ。

30歳で転職してからは最初システム構築に携わった。
まだまだ地方の製造業ではオフィスコンピューターの時代。
社内の仕事の流れやデータをかき集め、
設計しては業務改善のための仕組みを考えた。
Windowsが無かった当時(MS DOSの時代)に
まだ極めて少数派だったMacを初めて社内で使ったのは私だった。
SE30にビデオカードを差し込み、グレートーンの画面で
手探りで使い方をマスターしていった。

その後は人事・労務・広報・法務を次々に経験。
ほぼそれらの業務をひとりで(サポート役の部下ははいたけど)
素人からひとつひとつ勉強しながらの仕事だった。
就活生への講演から説明会などの採用活動をはじめ
就業規則の改定や人事評価制度の新規導入、
そしてCI、VIなどの推進など、
カンパニー業務のほとんどを担当しつつ
社員の健康管理や生活トラブルフォローなどにも携わった。
「会社は人でできている」を肝に銘じながら。
ここに書けないこともたくさん経験した。

そして昔からの大ベテランが次々に引退すると同時に
財務も担当するようになっていった。
数字が苦手で文学部系を専攻していた自分がなぜ?
・・・と苦笑いをしながら、銀行対応なども面白く行った。
それまで付き合いの無かった金融機関に新たに口座を設けて
営業上の情報も得たりしつつ。
それらの業務の延長線上でカンパニー組織改編や
長い歴史(のある会社だった)の間に澱のようにたまった
負の資産の整理なども、税理士や弁護士とともに手がけたりした。
長い歴史といえば、創業100周年事業の時も事務局として
式典や祝賀会の指揮も取らせてもらったし、
記念出版にも深く関与したものだ。

そうこうしているうちにどんどん守備範囲は広がっていく。
それまでも「総務部長」の名刺を持ちながら
時々営業したり、新規物件の企画を考えたりしていたが
出版物のゴーストライターやプロデュースもするようになった。
そして役員となってからは営業も担当することに。
ローカルメディアを強く意識し始めたのはこの頃だ。
雑誌プロデュースのため、広告代理店や地元媒体との間を
それこそ東奔西走したりしてなんとか軌道に乗せられた。

最後の4年間はそれまでの担当業務から完全に外れて
営業と企画を全面的に担当することとなった。
同時に東京への単身赴任。
新規分野への開拓をすべく、東京の出版社や編プロ、
そして広告代理店などの方々と公私を超えてのおつきあい。
新しい世界を垣間見ることができ、
得た知識や人脈も大きかった。

東京から盛岡の本社に異動とほぼ同時に
すべて引き継ぎしてしまったタイミングだったので退職。
今に至る。
何を言いたいかというと、人生に寄り道は無いということ。
これまで40年近くいろんなことをやってきたけど
すべて今に活きている。
「自分がやりたのはこんなことじゃない」
と感じながら我慢してしのいだ時期もあるけれど
そこで経験したことが余計に今役立っている。
人間の人生ってのは面白いなぁ。
コメント
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