風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

日本大学

2018-05-31 | 世界・平和
私が出たのは日本大学文理学部国文科。
確かに、目指した大学ではなく、
まぁいろいろあって結果的に入ることになった大学だし、
微妙に希望する路線とは齟齬があったので、
そういうこともあって初めからロクに勉強もしなかったけど、
それでもそこで言語地理学や語彙史という国語学の1分野に出会えたし
私とは違って、真剣に勉強している学生もたくさんいた。
文理学部はかつて旧制の日本大学師範部だったので
(だから文と理が一緒になっている)
その流れから教員を目指す学生もたくさんいて
実際全国的には教員となったOBがたくさんいる。

日大は学部ごとにキャンパスが違い、別々のカレッジのようだが、
当時の運動部の連中は文理学部体育学科所属が多かったので、
文理学部構内では野球部も、相撲部も、アメフト部もよく見かけた。
(相撲部とアメフト部は体格が違うのですぐわかる)
阪神タイガースの現和田SDや、ロッテドラ1だった石川投手も
私と同じ時期に同じキャンパスで過ごしている。
(当時は野球部のグランドもキャンパスの道路向かいだったので
 外野フェンス越しによく練習を眺めたものだ)
夏休みの体育集中授業ではサッカー部の人たちのお世話になった。
要はサッカー部の練習の一部に参加させてもらったのだが
みんなニコニコ優しい部員たちだった。

神宮球場へ大学野球の東都大学リーグ戦の応援に行ったこともある。
大学ラグビーのリーグ戦は時折中継されるテレビで応援した。
他にも強かったゴルフ部や相撲部、バスケ部のことはあまり知らなかったが、
アメフト部「フェニックス」は誇りだった。
学内で買ったフェニックスの赤いTシャツは、35歳ぐらいまで着ていた。
はじめはフェニックスOBで結成されたという
社会人アメフトクラブチーム「シルバースター」も応援した。
20代後半に、盛岡のアメフトクラブチームに所蔵してプレーを齧ったのは
80年代半ばの日大vs京都大の死闘を見たのがきっかけだった。
競技を覚えるために買った教本は、
当時の日大監督でアメフト界カリスマだった故篠竹さんが書いたものだった。

政治、経済、学術、医学、芸術、マスコミ各分野で活躍しているOBがたくさんいる。
同学年だと文理学部の角松敏生さんと芸術学部の真田広之さんが私と同級生。
みんなみんな頑張って名を成した方ばかりだ。
他のOBたちも、現役の学生たちもそれぞれに頑張っている。
現在の大学当局首脳部は、そんな偉大なOBたち、現役生たち全員を貶めている。
正直がっかりだ。
OBや現役生の方々がみんな、大なり小なりそう感じているだろう。
この際、大学の体制そのものを一新して
建学の精神に基づき「文化の華」を咲かせて欲しいと切に願う。
コメント
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