風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「古田織部の正体」

2015-10-15 | 読書

利休の教えは「茶にマニュアルは無い」というものだった。
それまでの室町茶の湯で確立された
格式張った形式や定められた道具立て、
金をかけられる人間にだけ許された高価な趣味だった茶の湯が
時代のイノベーター千利休によって変革の時を迎え、
「形の追随」から「美の追求」、「名物」から「見立て」へと
桃山茶の湯は変化していった。

ちょっと話はそれるが
その利休の創意工夫を「形式」にしてしまい、
利休が愛でた道具を「名物」と持て囃している現代の茶の湯は
実は利休の理念から離れて行っているのではないか?
「教科書通り」の茶に縛られる現代茶人たちを
泉下の利休は苦笑いしながら眺めていることだろう。
そういう意味では、名も無い普段使いの道具にこそ美を見た
柳宗悦や白洲正子こそが利休の正統を継いでいると思う。

さて織部。
本書は古田織部の伝記でも称賛本でも無い。
「へうげた道具」で更にイノベーションを起こした織部について
長い歴史の中で人物そのものが「へうげた人間」として誤解を受け
やれ墨跡をわざと破ったとか、茶碗をわざと破って修復したとか
いわば奇人変人扱いされてきたきらいがある。
織部が本当に目指したものはなんだったのかを
本書では文献や織部が愛した道具を見ながら検証している。

「数寄ト云ハ、違而スルガ易ノカカリナリ。
 此故ニ古織ハヨシ。
 細川三斎ハ少モツガハテ、
 結局ソレ程ニ名ヲ得取リ不給ト云フ」
同じ利休七哲のひとりだった細川三斎は
利休(宗易=易)の通り真似て茶の世界では大成しなかった。
織部は自分なりの創意工夫ができたために天下の宗匠となれた。
奈良の塗師による書物に書かれたこの言葉がすべてを物語る。
墨跡を破ったのも訳あって手続きを踏んでのものであったし、
破った茶碗も決して名物では無いものに新たな美を作り上げる
いわば創作活動であった。

なにより織部の功績は
中国や朝鮮からの名物陶器磁気ばかり有り難がる風潮に背を向け
利休譲りの今様(古いものではなく新品)を重んじたこと。
それにより瀬戸、美濃は元より
有田、伊万里、唐津などの、現代にも続く生産地が生まれた。
(佐賀の焼き物は朝鮮出兵により当地の陶工を連れてきて誕生)
イノベーター、コーディネーター、キュレーターとしての
あるいは本当の意味での利休の哲学継承者としての
古田織部の姿が本書にあった。
「茶は飲みよきように」
真の「お・も・て・な・し」の心が利休哲学の真髄。

「古田織部の正体」矢部良明:著 角川ソフィア文庫
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