風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「女の名前」

2015-10-22 | 読書

昭和1桁生まれの元中学校教員が
約20年前に上梓した自費出版のエッセイ集が
なんと今になって文庫となって蘇った奇跡。
直木賞作家の桜木紫乃がひょんなことから手にし
感銘を受けて強力にプッシュ。
とうとう文庫でメジャー出版されたものだという。
当然解説も桜木さんが書いている。
「歴史的な出来事は語り継がれるが、
 この世にひっそりと生き
 歴史の末端を支えたひとの名前が
 長く語られることは現代でも少ない。
 それゆえ、誰が死人となった人間の
 『善き過去』に思いをはせてくれるだろうか、
 という問いがこの一編に込められている気がする。
 (中略)
 小野寺苓さんは、
 そうした時代を厳しくかつ柔らかく見つめ、
 女の矜持でたおやかな言葉を綴っている」

6歳の時に亡くなった生母。
亡夫との実子を前の嫁ぎ先に預けたまま
著者の父親の後添えでやってきた新しい義母。
幼い頃は関係がよくわからなかった
複雑な人生を歩んできた祖母。
父親が若い頃世話になった実業家の未亡人。
自分の嫁ぎ先の姑・・・
この本の中にはたくさんの女たちが出てくる。
みんな時代や運命に翻弄されながらも
しっかりと地に足をつけ、ひっそりささやかな人生を歩む。
そんな女たちへの著者の目は暖かい。
恐らく精神を病んで病院を抜け出した若い女性へも。

しかし著者は、偶然目にした菩提寺の過去帳に
女たちは男と違って俗名が書かれておらず
戒名のみである事実を知る。
本書のタイトル編「おんなの名前」だ。
今となってはなんという名だったのかわからない女たちが
家庭を支え、男たちを支え、何代も続いて自分に至る
その知られざる歴史に思いを馳せる。
嫁いだ先で黙々と働き、
ささやかだった人生の幕を閉じた女たちの息遣いが
本書を読んでいるとリアルに感じられる。

著者小野寺苓さんは、実はワタシの母校の大先輩であり
県内では知られた詩人、エッセイストだ。
そしてウチの母親と恐らく同い歳で同じく元教員。
まだまだお元気で、母校の同窓会にも一関から出席される。
著者の父親が通ったという師範学校には
ウチの母方の祖父が通い、その後小学校の教員を務めた。
そういう意味で(話したことはないが)
著者は個人的に親近感を以前から持っていた方だ。

うっかり電車の中で本書を読み始めたが
それをすぐに後悔することになる。
祖母、生母、義母など著者の周りの人たちの思いが感じられ
涙が出てきて仕方なかったのだ。
亡くした実子に読んでやったグリム童話の本をこっそり隠し持って
再婚先に嫁いできた義母。
夫も子も亡くし、流浪の末麹屋の隠居となった祖母。
女子師範出の伯母と仲の良かった、恋の歌を口ずさむ老婆。
真昼間風呂に入りたがった呆けた姑。
それらの人たちへの著者の暖かい目が涙を誘う。
みなもう生きてはいない。それぞれの人生。

「私はそのとき、義母の味方になっていた。
 安定剤を飲ませた施設に腹を立て、
 老人福祉の在り方に疑問を持ち、
 それから自力で生きることのできなくなる
 人間の老いを悲しく思った。
 老人と共同生活をしていない人の
 もっともらしい発言を私はいつも斜めの気持ちで聞くのだ」

「口伝として
 嫁ぐときは死人の真似をして白いものを着て家を出、
 輿が出た後に門火を焚くとあるが、
 これは帰らぬ道を意味し、
 他家に嫁したからには二度と戻ってくるな
 という悲しい覚悟を教えたのである」

「長い年月の間にすっかり黄ばんでしまった
 和紙の綴りはずっしりと厚く、
 じっと戒名を見ていると、
 たしかにこの世に存在した人たちの妖気がにわかに目覚めて
 その一つひとつが立ちのぼってくるような気さえする」

「『爽やかに生きてください』と鈴木氏は私に言った。
 暗さを抜け出て爽やかに生きよ・・・」

「子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼
 (子のたまわく、
  知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず)」


「女の名前」小野寺苓:著 小学館文庫
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