1958年これから(戦後)復興期という昭和33年、わたしは小さな村の中学校を卒業した。15歳。2クラス、約90人の同窓生だ。卒業54年目の同窓会への出席者29人は、全同期生90人の3分の1。故郷地元から半分、東京方面から半分の出席で、男女も半々といったところだ。
小さな農山村だった村は、いまは”市”に格上げされ、地区は町になった。古希同窓会の会場は、少し離れたが昔懐かしい北関東自動車道のはずれの大洗。新設那珂湊大洗港に近い”かんぽの宿大洗”が本日の会場だ。雨模様の中、上野発13:00のスーパー日立で一路水戸方面に向かった。
風混じりの少々荒れた天気はやたら寒く、とても5月下旬とは言えない。途中一緒になった旧友と水戸でコーヒー・ブレークし、大洗鹿島線の電車で目的の大洗に向かった。宿の車でかんぽの宿大洗に入ったのは午後4時すぎ。すでに、何人かの旧友たちと幹事連が来ていた。
そろっての挨拶や顔合わせもそこそこに、温泉浴場。そして、宴会。もう、昔のクセや忘れかけの当時のトピックスを肴にして、何が何やらわからなくなっていた。宴会なのかカラオケなのか、ごちゃごちゃの昔中学少年たちの喧噪になった。70歳のオトコ13人、オンナ16人のやや女性上位は、いまも昔も変わらない空気だ。
翌23日、東京に帰るオトコ3人組は、コバヤシのつよい希望により大洗アクア・ワールドのサカナたちとアザラシやアシカやオットセイたちに挨拶し、那珂港やひたち海浜公園を経て、東京に帰った。みなさん、お疲れ様でした。多謝。
小さな農山村だった村は、いまは”市”に格上げされ、地区は町になった。古希同窓会の会場は、少し離れたが昔懐かしい北関東自動車道のはずれの大洗。新設那珂湊大洗港に近い”かんぽの宿大洗”が本日の会場だ。雨模様の中、上野発13:00のスーパー日立で一路水戸方面に向かった。
風混じりの少々荒れた天気はやたら寒く、とても5月下旬とは言えない。途中一緒になった旧友と水戸でコーヒー・ブレークし、大洗鹿島線の電車で目的の大洗に向かった。宿の車でかんぽの宿大洗に入ったのは午後4時すぎ。すでに、何人かの旧友たちと幹事連が来ていた。
そろっての挨拶や顔合わせもそこそこに、温泉浴場。そして、宴会。もう、昔のクセや忘れかけの当時のトピックスを肴にして、何が何やらわからなくなっていた。宴会なのかカラオケなのか、ごちゃごちゃの昔中学少年たちの喧噪になった。70歳のオトコ13人、オンナ16人のやや女性上位は、いまも昔も変わらない空気だ。
翌23日、東京に帰るオトコ3人組は、コバヤシのつよい希望により大洗アクア・ワールドのサカナたちとアザラシやアシカやオットセイたちに挨拶し、那珂港やひたち海浜公園を経て、東京に帰った。みなさん、お疲れ様でした。多謝。
帰っての翌日、のどがハシャレ声!
そんなに騒いだのかな…トホホ!
翌日は天気も持ち直してよかったね!
素敵な写真拝見しています。
オグリ君も宿泊すれば…と、後悔!先に立たず!
でも楽しかったですね!
また機会があったら、楽しみましょう!
By オグリ君
そうだね、一緒に宿泊したかったね。
この次は・・だね。