吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

内も外も「先送り」症候群

2007年12月16日 | Weblog
 問題は課題化されなければ解決へ近づくこともできない。問題状況がますます悪化する。不作為の罪作りにもなる。このところの”先送り”の問題だ。

 「不都合な真実」のゴア(前)米国副大統領は、政府の不都合な”先送り”にもかかわらずノーベル平和賞をもらった。辞退すべきが、まともな感覚だ。京都議定書自身、その実行行動の先送り情況にある主催提案国日本も同罪だから、アメリカを責めることもできない。ポスト京都の枠組みを作ることを目的に激論(バリ島)されていた世界的な温暖化対策国際会議COP13も、目的とした数値目標”先送り”だ。

 核廃棄を中心課題とする北朝鮮問題(6カ国会議)も、イラク戦争後の(国際的)処理も、日本自衛隊のインド洋上給油問題もテロ特措法も、すべて”先送り”になっている。

 10年20年と”先送り”してきた年金(不照合未照合)問題や小さな政府歳出削減と財政再建問題なども、すべて先送りの連続。不作為という罪にさえ昇格している。C型肝炎(訴訟/救済)問題や和解問題も”先送り”している。先送り不作為のたびに死者が出ているというのに、罪も責任もない不思議だ。

 消費税増税や法人税を含む所得税の見直しなど、政府の財政再建や国債削減が急務にもかかわらず”先送り”している。地方への税源移譲や独立行政法人の削減も先送り状況だ。すべて、よく議論を重ね、着実に実行していくと言って”先送り”する。

 拙速でもいい、即断即決で”ヤル”為政者はいないのか。うまく行かないこともあろう。効果が出ない状況も出よう。レビューしたり、チェックして”ダメだ”と思ったらやり方を変えればいいぐらいの感覚はいけないのか。”不作為”こそ、失敗や責任が問われない最も確実な方法だと言い聞かせて公務員や政治家になったのですか。先送りが症候群化しないことを願う。
コメント
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