吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

いまや古典(?)、今 和次郎先生の「考現学」に多謝!

2007年02月13日 | Weblog
 子供たちが独立・自立し、親元を離れた。年金受給者年齢になった親夫婦二人が住むのに丁度手頃なスペースの住まいに移ったこの2月、また多くの蔵書を処分した。7~8年前に同じような理由で大半の書籍を古本屋や市民清掃センターに持ち込んだのだが、また思い切って前の残り蔵書を整理することにした。ネット・オークションやブック・オフなどには、全集ものやシリーズものがいいだろうと、マンガ本のシリーズも含め、文化、美術、歴史、民族や社会学系の全集ものを処分した。自分の還暦後のリニューアルというかリステップを考慮してだ。
 
 20代半ばの頃、買い揃えた「今 和次郎集」(ドメス出版)もそのなかの一つだ。考古学が歴史学の補助学的なスタンスで、過去の人類の物質的遺物から”人類のむかし”を研究する学問なら、社会(含、文化、民族)学の補助的なスタンスで、現在(今)の物質的財貨や文化から”人々の生活”を研究するという考今学ならぬ「考現学」を体系化した今 和次郎先生の全集だ。
 「1」考現学、「2」民家論、「3」民家採集、「4」住居論、「5」生活学、「6」家政学、「7」服装史、「8」服装研究および「9」造形論の全9巻だが、川添 登氏や梅棹忠夫氏など各分野の第一人者が、解説や後記を寄せている。私が、ふつうの人々のライフスタイルや生活行動などの研究調査を、マーケティングを考えるベースにしようとした契機をくれた本だ。

 さしずめ英語訳すれば、モダノロジー(modernology) となり、古代学に対する「現代学」のようになってしまうが、今 和次郎氏の考現学は、風俗学や民俗学的な分野に、民族学、文化人類学、社会学的な学問を加え、科学的分析的な研究の前にまず、”観察する”(含、記録、スケッチ、写真)ことを姿勢にした。
 ”あるがままの今”(瞬時の存在)を、自分の目や直感で観察することを出発点にしている。研究対象と自分自身の生活舞台との同一視観や同席観に支えられる学問体系を考えている点で、柳田國男先生と双璧である。柳田先生の目が”現在から過去”に向いているのと対称的に、今 和次郎は”リアルな現実から未来”に目を向けているように思う。そのようなイメージをもっている。

 文字通り当時(約35年前)”モダーン”に映った今 和次郎先生の考現学から(民俗)生活学などは、いまでは”クラシック”に見えるから不思議だ。”あるがままを見る”という自分の出発点である古典「今 和次郎集」に感謝し、後輩にその(全集)本をおくり、つぎの”考える自分”のステップにしたい。
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