吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

考え、汗し、人類に役立つ”モノづくり”国家でいいじゃないか、日本!

2007年02月15日 | Weblog
 知識社会、富の体制が知力になるということと、”頭を使い、汗しない”ということは異なる。考え、発想や知恵を動力に、新しい暮らしや文化に資する財貨やサービスをつくるというモノづくりや創造経営を進めなければならないことは、いつの世も同じだ。
 とかく、知的経営や創造経営といったり、知識社会というと、汗しない知的創造力イコール金融や投資による資産増殖を考えがちだ。このところの国際経済における貿易収支を上回る所得収支などから、所得収支の黒字拡大のための有望な海外投資こそ、資源や人口の減少傾向にある日本の道のように言われる。国内においても、汗しないITやITなどへのファンドの投資やファンド・ビジネスとしての企業への投資やM&Aなどがはやりだ。

 モノづくり国家は、何も物質的財貨のみを”モノ”と言っているのではない。サービス、情報、システム、技術、知識やノウハウも含め、人々の生活や暮らしやすい社会に資する”モノやコト”を考えてつくる全体を指している。株式やファンドのように資金を投資して、配当や利益回収および売買差益を事業とする金融投資をもって、汗や資源およびモノづくりという工業立国を脱皮して金融立国しようとする傾向は、文字通り砂上の楼閣のような気がする。

 価値イコール金額ではないとする体系や体制が出来ていないところにも問題があるが、”モノづくり”から離れようとする傾向は危険だ。自分たち日本人の特徴を自分たちが捨てていくことになりそうだからだ。

 農業国日本が、いつの間にか工業国日本になり、地球資源を大量に消費し工業加工し、工業製品や生活用製品をつくり、大量に消費し、輸出する国になっている。もともと、日本人の高い技術や高い品質の製品をつくる素質は、農業すなわち農耕型の発想や知恵から生まれた。大自然を、すべての自然のものを神と仰ぎ、山林や田畑を「開き、耕し、蒔いて、育てて、刈る」という辛抱強い工程を、丁寧に踏む農耕型思考や行動が、技術や製品開発および製造という作業にも注がれる。この農耕型アプローチこそ、”モノづくり”日本の思考や文化の原点なのだ。

 ファンド・ビジネスや金融投資などが、いかほどに価値増殖率が高いか知らないが、右のモノを左に、お金を出して利益回収と”マネー・ゲーム”姿の経済基盤をつくることが、20世紀の大量生産、大量消費のあまりよくない遺物や問題を解決する方向なのかどうか。地球や人類の持続可能性を高める方向として、日本が世界の模範やリード役を受けるなら、今こそ農耕型の文化やライフスタイルおよび思考方法を世界の国々に広めていくことが大切だと思うのです。
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