吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

独裁的リーダーは、要りません。

2009年12月30日 | Weblog
 最後は「わたしが決める」と言って、決めることを先延ばししたりして、なかなか”決めない”鳩山首相。自民党の舛添さんまで”小沢一郎(民主党幹事長)より独裁的な強力なリーダーが、いまの自民党に必要”などという。世の中、リーダー不在や強力なリーダーシップ待望論が席捲しているが、一国の閉塞感打破や舵取りに、そんなに強力なリーダーシップやリーダーが必要なのかと思う。

 何しろ、わが国は50年、60年という民主主義が定着した国ではないか。そんなに強力なリーダーがいなくても、政治や国の舵取りはできるのではないかと思う。そのときやただいまの自国がどのようなライフサイクル・ステージにあり、よって来る歴史や経験がどのような民主主義&資本主義の発展を踏んできたのか、そしてただいま、どのような問題状況にあるのかが検証したり、自覚できたりすれば、国や政治はリードできるのではないかと思う。

 その国にはその国の国や社会のライフサイクル・ステージがある。導入期、成長期、成熟期、衰退期という成長サイクル・モデルだが、何も成熟や衰退期だからといって、その特性に成長や発展(衰退)を委ねろというのではない。自国のライフサイクル的ステージを自覚(検証)して、現在や近い将来自国や自国の国民を多くの他国との関係において、どのような価値感やシアワセ像でどのようにリードすれば、活力的で希望的な社会が構築できるかがわかろう。特別独裁的で強力なリーダーでなくても、多くの国民が”そう思える”ノリトや旗印を示してくれれば、それで十分なのだ。

 ただいま0.5%以下の人口増加率で65歳以上高齢者が20%を越えている日本、ドイツ、イタリアなどと、1%以下の人口増加率で65歳以上高齢者が10~15%のアメリカ、イギリス、フランスと人口増加率が2%前後でまだまだ人口増加過程にあるインド、中国、インドネシアやフィリピンなどでは、国の(成長)ライフサイクル・ステージが違う。国をリードするスタイルが異なろうというものだ。

 近いうち人口減少過程に入ろうとするドイツ、イタリアや日本とその他の国が、国をリードする価値感や方向性が異なるのは明らかだ。その上でのその国の歴史やあり様およびその国の情況や課題が異なっているのだ。国民を代表して政治に参加している政治家の方々や政府のトップにある方々が、民主主義を尊重して議論し合議して”決めて”行ってくだされば、独裁的なリーダーなど不在で結構なのだ。
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