吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

持続的可能性と調和性探求への旅立ちの年の2010年

2010年01月03日 | Weblog
 自分の立つ位置と目標を少し変えたい。つい最近までの自分は、ひたすら何かの利便性を探求してきた。人々の受容性や簡便性の総和を持って需要性と考えてきた。人々のウォンツ(欲求)の総和を有益性や需要と思ってシゴトしてきた。客観的といって自分の責任を回避してきたような反省もある。

 有益性といって人々の個人的なウォンツや希望することの総和を求めることが、時代やただいまの自分の大義なのかと自問している。どのように有益性追求から公益性追求に、よって立つ自分の位置を変えようか迷っていた。企業や業界や市場との良好な関係を求めてきた自分を、地球や社会や地域とのそれを追及する自分に変えたいと思った2010年元旦だ。

 一所懸命消費者との良好な関係を求めた1980年代とグローバル化や勝つことを追求した1990年代は、この10年の時代と地球の環境変化で変わった。消費者との良好な関係づくりや新需要創出ということでは人々や社会の支持や受容が得られない時代になった。社会性や公益性が問われる時代になった。人類がずっと生き、暮らしてきた地球の持続的可能性を高めて生きることが大義になった。地球や空間や暮らしの環境と隣に暮らす人々や生き物との調和や共生が大義になった。

 個々人の利便や欲求以上に、公益性や大義が価値基準になった。地球の持続的可能性(サステナビリティ)や何かのニーズ(必要性)との調和や同期性が、自分たちの目標や大義になった。それだけ、地球が加齢し、傷んでいるがために、低下している地球の持続的可能性を高めることこそ、人類共通の大義になった。至近では、地域社会が高齢化し、健やかで幸せな地域高齢者社会の構築が課題になった。

 企業のナショナルブランドや流通のPBなどのシェアアップやサクセスを考えたりすること以上に、中山間地地域のお年寄りの知恵の商品化や特産物の流通化を考えることの方が公益性にかなうと思うようにもなった。小さなことを完成させることが、大きな地球の公益性に寄与することにもなると思うようにもなった。きれいな落ち葉やきれいな川や小さな生き物を愛でることの大義性を感じるようになった。

 トシが変わっての2010年が自分を変えてくれそうに思った。新しい時代に向けて自分を鼓舞してくれている2010年の旅立ちに感謝したい。できれば、このブログを読んでくれている皆さんとこのような旅立ちが共有できれば、それこそ多謝です。
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