吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

セレモニー化した意見聴取会やパブリック・コメント

2012年07月16日 | Weblog
テレビや新聞各社の内閣支持率調査や世論調査の多くにも”ハテナ”が多い。ほとんどが、ランダマイズされた対象者集団から1500人ほどを抽出し、その方々に電話インタビューをし、各社きまったようにn=1000(人)ほどのアンケート結果を公表する。大体、どこもいつでも65%ぐらいが回答回収率なのだ。

無作為抽出で大体n=1000(人)ぐらいなら、対象集団を代表した意見になる。大方の誤差率は50%ぐらいの回答値にたいして±10%(相対で20%±)ぐらいだという。このような設計で支持率や賛成者が上がった下がったと、一喜一憂する。何とも適当な世の中ではないか。この1000人がどのような人たちであるかに心がおよばない。電話を受けて、アンケート・インタビューに答えられる人たちの特性を考えてもみない。

このような世論調査や支持率調査よりもタチがわるい意見聴取会やパブリック・コメント(公募意見)が、最近の政府行政や公的機関のセレモニーになっている。民主主義の世の中だから、国民の声や関係地元の声をよく聞くことは大事なのだが、制度がセレモニー化した格好では何が目的なのかわからない。この間の大飯原発のストレステストの意見(委員)聴取会で聞こえたヤラセも、このたぐいだ。

今回(7/15)の仙台における原子力発電依存率についての意見聴取会も、この手だ。地域対象集団からランダムに抽出したという100人やそこから意見を述べてくれる9人の選び方も、理屈に合っていて問題がないように見えるが”問題”だらけなのだ。ここ10年の原子力依存率は、大体17~18%で、火力や水力(あわせて、80%強)を別にした再生(自然)発電は1%ぐらいが現状なのだ。

原発依存率0%、15%、20~25%を各3人のクォータにしての意見聴取や討論自身はよいとして、このクォータに当事者が入っていた稚拙が、どうしようもない。「ランダムに抽出したら・・・という」言い訳がどうしようもない。たまたま当っても除外してその分再抽出するのが”まとも”な感覚(公平)なのだ。それが、目的的科学でふつうの理屈なのだ。

最近はどうも民主主義や公平がセレモニー化し、お役所や主体側が手続きとして”やっていること”を示せばいい程度に思っているようにみえる。再考し、改善してほしい。
コメント
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