吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

何かを想像し、何かを思いめぐらすことの大事。

2012年07月15日 | Weblog
最近はやりの”力”(何々力)は好きになれない。あまりにも何々力という言葉が乱発されていることにもよる。いま多い仕事力や女子力ぐらいまでは何とか受け入れても、直感力に相対する鈍感力や女性力や人間力などの言葉が出てくると、もう受け入れがたい。なぜ、何にでもこう○○力とするのか不思議だ。

もともと、この”力”は何かの能力や知恵やハウツーをさしていたのだろう。動力や学力や活力および分析力や企画力ぐらいまではわかりやすかったが、老人力や男性力などと言われるとダメだ。しかるに、このところの自分は 発想力からくる想像力や創造力の向上に努めている。実際は あまり”力”を接尾していない。何かを思いめぐらし、何かを創り出すことに傾注している。

日々のくらしに欠かせない五感を超えて想像し思いをめぐらし、コトや何かに対処しようと努めている。視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚なる五感を超える感覚を大事にしと言っても、理屈抜きの単なる直感でということでもない。思いめぐらし、見えないものを想像し、まだ見えないモノやコトを着想し、創造したいとトライしている。少しでも加齢を遅らせようとする日々なのだ。

ヒトの痛みや何か見えないことに思いをめぐらすことが、結局想像→創造になると信じている。遠い場所や見えないところにあるもの、いまいる地球の反対側や行ったことのない地域の人々や生活、小さすぎて見えないものや架空のもの、他人の思い描いていることや心の中などを想像し、そのようなことに役立つ何かを考えることに関心を持って日々している。

想像力でなく想像する習慣やクセを、創造力でなく思いめぐらす習慣やクセを身にしたいと願っている。一番大事だと思うのは、ヒトの痛みやヒトの思いに思いをめぐらすことだ。
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