吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

のれんや伝統の功罪?

2006年03月11日 | Weblog
 二宮尊徳は、わが国のマーケティングの元祖のような人です。小学校の銅像からみた二宮金次郎は、勤倹節約や親孝行の手本で、薪を背に運びながら「本」を
読んでいるほどの勤勉家ですが、とてもそのように山道を歩きながら「本」を読むことなど出来ないということは、やってみれば解ります。もっともっと現代に生きる私たちの暮らしや生活や社会のあり方の基になるような理論や体系のようなものを、後世にのこした大変偉い人なのです。
 人というか人間が逆立ちしても敵わない「天地自然」を崇高なものとして仰ぎ、謙虚にいきることを諭し、「天の理(ことわり)」「人の道」を説きました。エコロジーや環境マーケティングといって、ただ「自然や生物など」に触れることなく、当らぬ神にたたりなしよろしく、受動的に過ごすだけをもって自然(天)に対して謙虚だと言っていては、人間の生存や生命および生活が成り立たないことになりますから、ここに「人の道」を諭したのでした。
 樹木を伐採して住宅をつくり、海や川の魚を獲って食べたりすることも「人の
道」として受け入れていますが、言ってみれば人の道は、人間が生存していく
ためのリビング・ミニマムみたいなもので、天の理(地球や自然のサステナビリテイ)との”すり合わせ”を諭しました。
 報徳仕法(事業やマーケティング手法)の根幹にある推譲の理論は、この
リビング・ミニマムを「分度」として節約節制して暮らすように言い、分度を越えた部分を推譲しなさいと諭しました。この推譲を自分や家族のために蓄える自譲と
他人が困ったときに資する他譲として貯蓄(後者は共済相互保険)し、将来や災害に備える体系をつくりました。
 二宮尊徳の飢饉天災60年周期説は、いまも政治や行政に考慮されているようですが、ヨシザワの企業100年ライフサイクル説は、あまりおすすめできる説では
ありません。100年も歴史を刻むと、企業や会社といわれるところにも、その文化や風土が出来、これが組織やそこに働く人々をお役所よろしくマンネリ化や硬直化やビューロクラシーを生み、結局枯木の倒木みたいに朽ちていくようになります。長い歴史やのれんや伝統のある企業の産業再生機構入りやファンドの傘下に入る姿をみるに、柔軟性や柔らかさの大切さが解ろうというものです。
コメント
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