因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

パルコプロデュース『セールスマンの死』

2022-04-27 | 舞台
*アーサー・ミラー作 広田敦郎翻訳 ショーン・ホームズ演出 公式サイトはこちら 4月29日までPARCO劇場 5月よりまつもと市民芸術館、ロームシアター京都、穂の国とよはし芸術劇場PLAT、兵庫県芸術文化ホール、北九州芸術劇場を巡演 
 本作の最初の観劇は、1989年劇団昴公演、ジョン・ディロン演出、久米明主演の舞台であった。その後同じ昴の久米明のウィリー・ローマンを90年代に二度観劇し、そのあとは2013年冬の文学座公演のたかお鷹主演の文学座公演と、同年秋のBeSeTo演劇祭/鳥の劇場版の2作のみである。久米明はテレビドラマやドキュメンタリー番組のナレーションの印象が強く、おそらく舞台は『セールスマンの死』が初めてであった。かつては大いに稼いだセールスマンが60歳を過ぎて心身衰えたのに、働き続けなければ家や家電の支払いができず、息子ふたりは頼りにならない、職場でも厄介者扱いされた挙句、自死に至る終幕はあまりに痛ましい。互いを思いやっているのにコミュニケーション不全に陥っているローマン一家の噛み合わない会話は聴いていてやりきれないほどもどかしく、ウィリーは献身的な妻の発言をことごとく封じようとする、今で言う「モラハラ夫」であり、息子に対しては過度に期待してプレッシャーをかけたり、自分の価値観を一方的に押し付ける「毒親」でもあり、さらには出張先ではちゃっかり浮気をしたり等々、決して好ましい人物ではない。

 それでも昴の本作を何度も観たのは、久米明のウィリーが、さまざまな意味で古今東西の「父親そのもの」を具現化する存在であり、時代やそれぞれの環境を問わず、観る者に自分の人生や家族というものを考えずにはいられないためだと思う。この舞台を観たからには考えなければ。文学座公演のあと、わたしは「演劇的義務感をひしひしと与える作品」、であり、「このつぎに『セールスマンの死』に出会うのはいつになるのか」と記したが、その当時は想像もしていなかった段田安則のウィリー・ローマンとの出会いを与えられた。

 久米明は自分の父親世代であり、老いて力を失ってゆく親のすがたを思い知らされる子としての辛さを想像した。しかしそれから30年近くが経過し、文学座公演からも9年が過ぎると、自分自身がウィリーの年代に近づいている現実を否応なく突きつけられるのである。演じる段田安則は65歳で、少々年上だが、自分にとってリアルに「見える」将来なのだ。「おまえはいつになったら大人になるんだ?!」友人チャーリーがウィリーにぶつけるこの台詞は、そのまま自分へ向けられる痛い言葉だ。

 今回の舞台はリアリズムを基調にせず、断片的な出来事がウィリーの脳内で起こり、連鎖する形で描かれた。舞台には2本の電信柱が宙づりにされ、中央には大きな冷蔵庫が置かれている。毎月の家や家電の支払いに難儀するローマン夫婦の暮らしぶりを象徴するものであろう。動かないのは電信柱と冷蔵庫だけで、一家のリビングや子どもたちの寝室、職場の社長室や出張先のホテルなどの装置は、都度舞台に移動する。

 ウィリー・ローマンの段田安則は圧巻の演技で、自虐とプライドが代わるがわる顔を出し、過去の成功にすがり、媚びを売るかと思えば居丈高に振舞って、相手の配慮を無駄にしたりと、混乱と痛切の極みをこれ以上ないほど緻密な造形で、これまでの名優たちに連なる堂々たる主演ぶりである。パンフレットの出演者インタヴューには、共演者たちが段田に絶大なる信頼と敬愛を異口同音に語っている。「段田さんと共演できるなんて」と、ここまで喜びと幸せを寄せられる俳優は稀有ではないか。これまで舞台、映像ともに数多の作品に出演し、経験と実績を地道に積み上げ、制作者や共演者と信頼を築いた経験が、実を結んだ証であろう。

 ただ今回の舞台を受け止めるにはいくつか躓きがある。まず全体をウィリーの脳内の出来事とした演出である。リアリズムを基調としても、ウィリーの兄ベンは、現実とウィリーの妄想が倒錯するかのような登場のしかたであるし、長男ビフの過ちやウィリーの不貞の場面など、時空間が交錯する構造を持つ。そこを敢えて、すべてを脳内の出来事の連鎖としたのはなぜなのか。

 最大の疑問は、最後の「鎮魂曲」の場(ウィリーの葬儀あとの墓での場面)をカットした点である。原作を改変するほどの必然性、その演劇的効果は何だろうか。さらに言えば、妻リンダ役の鈴木保奈美の発声はじめ演技はあれでよいのか。ウィリーの雇い主である若社長の衣裳やヘアスタイルは、あの色や形が適切なのか。息子たちとの食事会が台無しになったあげく、置き去りにされたウィリーは、優しく介抱してくれたレストランのウェイターのスタンリーにチップを渡すが、ウェイターはその金をウィリーのポケットにそっと戻すと原作には書かれている。今回は困惑しつつも貰ったままであった。スタンリーの人物像が活かされるところであるのに。

 戯曲を読みなおし、新しいウィリー・ローマンが加わったことを喜びつつ、次なる出会いの備えを始めたい。
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