因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

クニモリカンパニー 第1回公演『十二人の怒れる男』

2024-05-18 | 舞台
*レジナルド・ローズ作 額田やえ子訳(劇書房刊) 川口典成(ドナルカ・パッカーン/川口演出舞台のblog記事→1,2,3,4)演出 高田馬場プロトシアター 19日終了
  本作(Wikipedia)は1954年のテレビドラマに始まり、ヘンリー・フォンダ主演の映画にリメイクされて、舞台作品としても繰り返し上演されている法廷劇、議論劇の傑作である。自分の初観劇は1983年の渋谷・パルコパートⅢでの石坂浩二演出版ではないか。たしか1985年の再演以来、記憶にある限り、なぜか一度も観劇していない。ほぼ40年ぶりに怒れる男たちとの再会となった。

 直前に陪審員2号役の阪本修が体調不良で降板という困難に見舞われ、台詞のカットや変更などを行って『十一人の怒れる男』に改訂しての上演となった。被告人の有罪無罪を数で決定する内容であるから、この改訂は大きな決断であったと想像する。しかし目立った綻びはなく、無事に公演を続行したことに敬意を表したい。

 プロトシアターには今回初めて足を運んだ。高田馬場駅から徒歩15分程度だが、駅前の喧騒を離れた閑静な住宅街の一角にあって、静かな日常の暮しから、ふと別の世界に迷い込んだかのような感覚に陥る不思議な空間だ。天井が低く、壁や床もグレーのシンプルな作りで、ガランとしたステージには大きさや形の異なる椅子が壁に沿って置かれている。中央に長テーブルがあり、ペットボトルの水が何本も並ぶ。

 客席通路を通って陪審員たちが登場し、喧々諤々の議論が展開する。殺人事件の起こったアパートの見取り図を奥の壁に映写したり、場面によって照明の色合いを大きく変えるなど、めりはりのある演出だ。若い陪審員5号が語る場面で、通常の台詞と独白が入り混じるような口調になるところでは、微妙な違和感と困惑があって、それも含めて演出の意図なのだろうか。

 陪審員一人ひとりの背景や事情、心の奥底が炙り出され、曝け出される様相は残酷であるがスリリングであり、最初は絶対多数だった有罪が、少しずつ無罪に傾いて遂に逆転する展開は、わかっていてもぞくぞくと前のめりにさせられる。頑なな偏見や思い込みに至るには、その人にしかわからない(もしかすると本人に自覚がない場合も)理由があり、それを自覚し、告白することは簡単ではない。辛いことである。しかしそうすることによって、被告人である少年に誠実に向き合い、ひとつの結論を目指す姿に心を打たれるのである。

 プロとアマチュアの混成の座組であり、前述のように台詞の改訂を余儀なくされながらも、作品に対する地道で誠実な姿勢が強く伝わる舞台であった。行きは初夏の強い日差しを避けながら期待を高め、帰りは心地よい夜風に吹かれて心の高鳴りを鎮める。道のりを含めたプロトシアターという劇場の魅力が作品に演劇的効果をもたらしたことを実感する佳き日となった。
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