因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

さくらさろん vol.45 オンラインライブ

2021-06-12 | 舞台番外編
山本さくらによるパントマイム公演。6月12日ライブ配信後、アーカイブあり(1,2,3)。春の『創造の翼を』に続いて、およそ60分のステージを視聴した。

1.「スクエア」…イベントパフォーマンスと銘打った最初の演目は、山本さくらが青い大きな布にくるまって登場する。1枚の布からいろいろな動物が生まれる。まずは恐竜、それがみるみるうちに蛙になる。「蛙だ、蛙になったよ!」と喜ぶ子どもたちの歓声が響いてくるようだ。最後は「鶴だー!」わたしも子どもたちといっしょに叫べたなら!それにしても布の大きさ、材質、切れ込みの位置等々、どれほどの試行錯誤があったのか。
2.「クレヨン」…リュックサックを背負うとき、背中から下ろすときのからだの動きに惹きつけられた。質感があるというのか、わたしたちの実際の動きをほんの少しゆったりめに、しかし腕の伸ばし方からからだの傾け方まで寸分の違いもなく、リュックという「もの」無しに、リュックの大きさや重さまで想像させるのである。
3.「夜の水族館」…これを着るために2か月間ウェイトコントロールを行ったというグレーのワンピースに身を包み、タイトルの通り、夜の水族館を訪れた女性がしばし夢見る幻想的な世界。BGMはフォスターの「夢見る人」だが、自分の頭には、つい先日聴いたサン・サーンスの「動物の謝肉祭」の7曲め「水族館」が流れ続けていた。
4.「指揮者」…オーケストラの指揮者が堂々と棒を振り始めたものの、曲調が鎮まるにつれて眠気を催し、やがてあらぬ方向へ大暴走したあげく、最後は指揮者に戻ってみごとにステージを終えるまでをダイナミックに描いている。山本さくらは音楽に造詣の深い演者だ。音楽の捉え方が立体的というのか、耳だけではなく、全身で受け止めて、それをからだで表現している。
5.「ハーメルンの笛吹き男」…ドイツの町で13世紀に「起きたとされる出来事」が、グリム兄弟をはじめ複数の書き手によって現代まで伝わっていることや、もともとの伝説の起源についても諸説あるなど、非常に謎が深く、猟奇的な一面を持つ作品である。本作は過去に上演したことがあり、このたび「なぐらあゆみ」(ネットで検索したこの方であろうか)の朗読の加わった改訂版であるとのこと。物語がフルに読まれるわけではなく、むしろ「音声が途切れたのか?」と心配になるほど最小限である。また笛吹き男が笛を吹くとき、音楽は使われない。どんな笛の音であるかを観客に想像させるのである。照明の妙もあり、謎めいて不思議なステージとなった。

 公演は今年いっぱい無観客のオンラインで行うとのこと。残念ではあるが「舞台とは違う事が出来て面白いのです」(ライブ案内葉書より)と記されている通り、創意工夫に富んだステージは濃密濃厚。とくにこのたび新たに気づいたのは、見入っているうちに、何とも不思議な観劇の感覚を呼び覚まされることであった。たとえば「スクエア」では大勢の子どもたちが目を輝かせて身を乗り出し、「指揮者」では老若男女が大笑いの空気が醸し出され、そして最後の「ハーメルンの笛吹き男」では、客席に自分がたった一人であるかのような寂寥感を覚えたのだ。

 オンライン観劇は味気ない、いつになったら劇場に活気が戻るのかと嘆き続けていては、心身が参ってしまいそうだ。今回のように、これまで味わったことのない新鮮な感覚を得られることもある。それはどこに理由があるのか、リアルな観劇との違いは何かなどを考え、劇場で山本さくらに再会する日に備えたい。
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