因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

初夏の新派祭

2024-06-15 | 舞台
*公式サイトはこちら 三越劇場 23日終了
 日本橋の三越劇場では何度か観劇しているが、昼間にゆとりをもって訪れるのは初めてかもしれない。思いのほか小ぢんまりした作りながら、二階席の重厚な内装など、落ち着いた雰囲気はとても居心地が良い。
 
『螢』・・・久保田万太郎作 成瀬芳一演出 これまでの本作観劇の記録は、2003年冬の文学座勉強会(blog記事無し)、2016年夏 文学座自主公演、2017年春 劇団朋友リーディング公演、2020年秋 座☆吉祥天女公演。ときとしげを同じ俳優(河合雪之丞)が早替りの二役で演じる新派型を初めて観る。早替りが自然に進行するよう、家の裏手を設定したり、重一(喜多村緑郎)としげが寄り添い、しげに先へ行くように促したあと、重一が裏窓の明かりをじっと見つめるなど、無言ながら思い入れをしっかりと入れる演出で、しげ役からとき役へ戻る時間を不自然にしない工夫が凝らされている。

 しかしながら、二人の人物が一卵性双生児のように「そっくりである」ことと、「そっくりに見える」ことは何かが根本的に違うのではないだろうか。重一が愛してやまないのはときである。出所して親方の肝いりでよし子(瀬戸摩純)というこの上も無い女房を得ても、やはりどうしてもときが忘れられなかった。その心の穴に嵌まったのがしげである。よし子は自分から惚れたわけではないから、ときには似ていない。重一が相手に求めているもの(つっかい棒)が、二人の女を「そっくりに見せてしまう」のではないか。それを文字通り、同じ俳優が演じると、そっくりなのは当たり前で、戯曲の落としどころ、人間の心の機微が変容してしまうのではないだろうか。

『お江戸みやげ』・・・川口松太郎作 大場正昭演出
 客演の渡辺えり大奮闘のお辻と、波乃久里子のおゆうの掛け合いがおもしろい。別室で二人きりなったお辻が、栄紫(喜多村緑郎)の肩を揉んでやる。からだだけではなく、心もほぐされたのだろう、思わず泣いてしまう栄紫の気持ちを考えた。またこれまでお辻がどんな人生を歩んできたかを想像するに、華やぎや潤い、ぬくもりとはあまり縁が無かったのではなかろうか。一文無しになって故郷へ帰り、このあとどんな人生を送るのか・・・と、人々の「これから」を考えると、あまり明るい気持ちにはなれない。この『お江戸みやげ』はなかなかに複雑で辛い物語なのである。俳優によってこの味わいがどのように表出されるのか。自分は早くも波乃久里子のお辻を観たくなった。

 新派おなじみのカーテンコールは、写真撮影OKの大サービスである。幹部、客演俳優が一人ひとり挨拶するが、毎日同じではないらしく、賑やかで楽しい。河合雪之丞は「ハッシュタグってんですか、それをつけて宣伝してください。パンフレットも2冊、3冊お買い求めになってご近所へ配ったり、台詞の解説も載ってますから、それを読んでもう1回観に来てください」と『お江戸みやげ』の強欲な常磐津の師匠・文字辰顔負けの圧の強い挨拶で客席を笑わせ、なごませる。

 現代劇のカーテンコールで出演者がいろいろ話すのことはしばしばあるが、残念ながら身内褒めや宣伝、拡散の執拗なお願いに引いてしまうことが少なくない。新派の嫌みのなさ、さっぱりとした気持ちよさはどこから来るのだろうか。さまざまなキャリアの俳優を受け入れて共に舞台を作る懐の深さ、豊かさ、大らかな優しさが伝わる。いつも最後に久里子(あるいは八重子)が、「これからも末永く新派をお愛しくださいますよう」という言葉にも、「愛しますとも」と心のなかで応えてしまう。耳慣れない「お愛しください」という言葉も、新派の舞台で発せられてこそ、作品に対する誠実な姿勢、客席への感謝の気持ちが感じられるのである。
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