因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

おにぎり、ください『山の中、みたらし』

2019-03-16 | 舞台
公式サイトはこちら 東中野・RAFT 18日終了
 窪寺奈々瀬(AURYN)と、×フジタタイセイ(劇団肋骨蜜柑同好会 1,2,3,4,5,6共演10回記念二人芝居公演で、当日リーフレットによれば、窪寺がプロットを書き、台詞をフジタが書いて、稽古場でブラッシュアップする工程で作り上げたとのこと。つまり共作なのだが、どちらも書き、演じ、演出するもの同士での創作は刺激的だったようである。演劇は一人では作れない。
誰かと出会い、交じり合い、ぶつかり合うことによって生み出される。それは喜びでもあり、文字通り産みの苦しみでもあるだろう。

 本作のキーワードのひとつは「タイムカプセル」だ。自分に体験はないが、たとえば小学校の卒業記念として、作文や絵や、未来の自分への手紙などを校庭に埋め、大人になってからクラスメイトが集まって、一緒に掘り出すというイベントである。埋めた当時は無邪気であっても、大人になってから、何らかの事情で開けたくない、知られたくなかったり、実は非常に深刻な内容を孕んだものを埋めていたり…といったテレビドラマを見た記憶もある。本作も、ある面では「タイムカプセルあるある」風の話である。そこにもうひとつのキーワード、映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』(Wikipedia)が加わるのである。

 実は観劇しているとき、物語の構造を把握することができなかった。終演後に上演台本を購入して最初のページを開くと、本作の「年表」が記されており、そこではじめて「そういうことか!」と理解した次第。

 さらにブラッシュアップして2時間の物語にすること、逆にもっとそぎ落として1時間以内の短編にすること、どちらも可能な舞台であると思われるため、物語の詳細は控えておきます。

 映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』が好きという人は多いと思う。自分もそうである。テレビ放映があると、ほかにすることはたくさんあるのに、何度も見ているのに、どうしても見てしまう。結末を知っていてもそうさせる魅力は何だろうか。

 人生の時間を巻き戻し、過去に戻ってやり直すことはできない。この絶対的な現実を思い知っているからこそ、ティーンエージャーであった両親の時代に戻り、二人が無事結ばれるよう苦心惨憺する主人公(マイケル・J・フォックス)に、もはや叶えられようもない自分の夢を託してしまうせいもある。それを思うと少し切ないが、見るたびに清々しく、新鮮な楽しさと夢が溢れる傑作だ。

 『山の中、みたらし』は、映画よりも苦みが残る。人の心の暗部に切り込んでいることもあり、過去に戻るというSF的な設定で舞台を運ぶのは、あんがいとむずかしいのではないだろうか。劇中、フジタ演じる牧原の言動のところどころ不審な点があり、その理由が「バック・トゥー・ザ・フューチャー」という種明かしをどう捉えるか。「なるほど」と膝を打てるか、やや肩透かしととるか。

 窪寺奈々瀬とフジタタイセイであれば、もっと現実的なところに話を落とすこともできたのでは?そうすると、後味の悪い話になる可能性があるが、むしろそちらを見てみたいのである。

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