お寺さんぽ Ver.03

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大岩毘沙門天 最勝寺 (栃木県・足利市)

2010年04月11日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は栃木県足利市の「大岩毘沙門天」こと「最勝寺」です。

「織姫公園」からのハイキングコース途中にある「大岩毘沙門天」こと「最勝寺」ですね。
真言宗の古刹で、正式名称は「多聞院最勝寺」となります。

天平十七年(745)ということで、奈良時代。
付近の「行道山浄因寺」と同じく、東大寺(奈良)の大仏制作にも活躍した「行基(ぎょうき)」の開山と言われています。

ただ…「行基さま」の主な活動は近畿地方。
うーん、ちょっと違うのではないかなぁ。
「聖武天皇」の勅命によって「行基菩薩」が開いた~という事なので、単に名前貸しみたいな感じかな。
あるいは指揮・監督なのかも。



なお、こちらのお寺には、興味深いエピソードがありました。
本尊はあのいるか、いないかという「聖徳太子」作と言われている、純金の毘沙門像。
どこに祀ったら良いのか、当時の「行基さま」は色々と考えを巡らせていたようです。

それがためか、眠った「行基さま」の夢には神人が現われて…

大岩山が良いでしょう~♪

と言ったか、どうか。
ともかく、そうした夢から大岩山をチョイスしたんだって。

当時はなかなかの勢力を誇り、本堂、経堂、釈迦堂ほか十二坊で賑わいを見せていたようです。
実際に発掘調査では、平安から鎌倉時代のものとされる瓦が出土していました。

「大和・信貴山」「山城・鞍馬山」と並ぶ日本三大毘沙門の一つ。
(※上の写真はお寺置いてあったペーパーからのものです)
中期頃には、「足利尊氏」やその三男。
初代鎌倉公方である「足利基氏」など足利一門が厚い信仰を寄せていました。
境内には樹齢六百年という、巨大な杉もありましたよー。



本堂は宝暦十二年(1762)の再建。
こちらが重文。
確か開いている日が決まっていたと思ったんですが…ごめんなさい、忘れてしまいました。
毎月一日が御縁日~とありましたんで、たぶん各月一日は開いている筈です。

山門は元禄六年(1693)の改築。
こちらにある仁王像はなにげに「運慶」の作品でした。いちおう。

ちなみに、毎年の大晦日には”互いに悪口を言い合う”という奇祭「悪態祭り」があるそうです
行きかう人に「バカやろう」とか大声をあびせるのだとか。
物騒なお祭りですねぇ。


[住所]
大岩毘沙門天 最勝寺 栃木県足利市大岩町207

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※バカ~ということで、こちら。
 納得する部分もちらほら…。

三千院 (京都)

2010年02月14日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は歌でもお馴染み、京都大原の「三千院」です。

京都からやや離れた、大原の地。
豊かな田園風景の広がるこちらはもともと「魚山(ぎょざん)」と呼ばれ、仏教音楽(声明)発祥の地でした。

その「声明(しょうみょう)」というのは、もともと古代インドの一般教養。
学問「五明」のひとつで、習得すべき五つのうちの一つとされていたものです。
(※簡単には、文法(←コレ)、工芸、医療、倫理、仏教)
簡単には、儀式の際に用いられる音楽
当時は楽譜などがなかったため、「伝教大師」こと「最澄」が持ちこんだ後に、それぞれ宗派にて自由に発展していきました。

平安時代には「慈覚大師」こと「円仁」が「来迎院(らいごういん)」を建立してここを声明道場とし、そちらを「良忍」が再興して発展。
この付近が「魚山」と呼ばれているのは、発祥の地に因んでのものでした。
(※三国志がお好きな方にはお馴染み、魏は「曹植(そうしょく)」の体験によるものです)



いきなりややこしい話で失礼しました。
そうした訳で、山号「魚山」という、正式名称「三千院門跡」のこらち。

もともとの創建は、先ほども登場しました「伝教大師」こと「最澄」です。
比叡山・延暦寺建立の際に結ばれた草庵が起こりとされています。
その後京都を転々とし、その度に「梶井門跡(かじいもんぜき)」、「梨本門跡(なしもともんぜき)」などと名称はコロコロ変化していたようなのです。

元永元年(1118)
時代は平安後期。
武士が好きな人のため源氏で言うと…「八幡太郎義家」の孫「源為義(みなもとの・ためよし)」な頃ですね。

「堀河天皇」の第二皇子である「最雲法親王(さいうん・ほっしんのう)」が継いだ以降は門跡となり、こちらは皇族が代々住職を勤めるようになりました。
(※天台宗・五箇室門跡(ごかしつもんぜき)の一つ)
この時は東坂本付近にあったようです。
同じ頃に「来迎院」、「勝林院」などのお寺を管理するため、大原には政所(まんどころ:経営・雑務を行う部署)が設けられました

坂本で火災に遭ってまた各地を転々とし、また京都寺院には避けて通れない「応仁の乱」の被害を受けた後、仮御所としてその政所に移り、ようやくこの地に落ち着いたというのでした。
平安時代には「龍禅院」と呼ばれていたという客殿がそれ(政所)のようです。

そうした歴史がためか、現在の「三千院門跡」という名称になったのは、なんと明治四年のこと
…ずいぶん最近なんですねー。
ちょっと意外でしょ。



超有名な国宝「阿弥陀三尊」を本尊とし、建物自体も重文という「往生極楽院」
もともと三千院とはまったく関係なく、浄土真宗七高僧(しちこうそう)の一人「源信僧都(恵心)」が父母の菩提のため姉「安養尼(あんように)」と共に寛和二年(986)に建立したものでした。
現在のものは江戸時代に修理されたもの。
(※内陣はもともとの姿なままであるみたい)
三千院に取り込まれたのも、明治時代なんだって。
なお、そちら「阿弥陀三尊」の詳細については別にやります。

ほか、「伝教大師」作と言われる秘仏「薬師如来」を本尊とする「宸殿(しんでん)」、「智証大師」こと「円珍」作と言われる秘仏「金色不動明王立像」のある「金色不動堂」などが境内にあります。
また「金色不動明王立像」は平安期の立像だそうです。
公式HPにてお姿が見れますので、ぜひどうぞ。
非常に良いトコロでした。


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※さすがは有名寺院。
 DVDなんてありましたよ。

「臨・兵・闘・者…」でお馴染み、九字の印 (密教)

2009年12月03日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は…歴史ネタがまだどうにも書き終わらないため、急遽でっちあげの企画です。

よく漫画・映画などで、「臨・兵・闘・者…」とか言って退魔するようなシーンがあるじゃーないですか。
本日はそんなんについて時間のある限り、ざーっと書いてみたいと思います。

…あらかじめ。
薄い専門知識で時間の無い中の記事なので、”だいたいそんなもん”程度でお願いします。
なんちゃってブログですからね(笑)
詳しく知りたい方は、専門サイトか紀伊国屋さんへれっつごー!

印と真言の本―神仏と融合する密教秘法大全 (New sight mook―Books esoterica)

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「九字の印をきる」
そう言ったりする、密教・修験道などで用いる基本的な実用技法です。
身にふりかかる邪を祓う簡単なものだそうです。
”気迫によって所願成就を目指す”ものらしく、要は気合いみたいですよ。

まずは簡単に出来そうな刀印(とういん)のパターン。
刀印というのは、人差し指・中指を立て、親指で薬指・小指を押さえたような形になります。
片手で刀印をつくり、九字の真言と共に縦、横の順に空間を切って、格子を描くようにします。
だいたい下のようなイメージ。

臨→ 兵↓ 闘→ 者↓ 皆→ 陣↓ 列→ 在↓ 前→

…こう並べてしまうと……格闘ゲームか、ファミコンのウラ技みたいですね。
この際にへらへらしてはダメです。気合いです。
精神を集中して強く真剣をイメージして、空間を斬り裂くような気合いが必要になるのでした。
こちらは護身のため、武士らもよくやっていたのだとか。
道教のもので、禁呪だったこともあるみたい。

イラストでわかる 密教 印のすべて
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また、この九字の真言には、それぞれ配された固有の印があるんですね。
こちらが、よく漫画・映画で見るやつです。
漫画「孔雀王」の連載中、訳も分からぬまま頑張って真似したものですよ。

印というのは、仏と修行者を結ぶシンボル。
こちらによって、神聖な波動を周囲に送って邪を祓うのでした。
先ほどの刀印と異なり、自らの内側から外側に至るまで作用するようです。
本当かなぁ。

・臨(りん) 普賢三昧耶(ふげんさんまや)印
 人差し指を合わせ、残りの指を内側に組む。

・兵(びょう) 大金剛輪印
 親指と人差し指を合わせ、中指をその上で合わせ、残りの指を内側に組む。

・闘(とう) 外獅子(げじし)印
 薬指・小指を合わせ、残りの指を交互にからませる。

・者(しゃ) 内獅子(ないじし)印
 親指・人差し指・小指を合わせ、左右の薬指を中指でからませる。
 
・皆(かい) 外縛印
 左右の手を指が外になるようにがっちり組む。これは簡単。
 
・陣(じん) 内縛印
 左右の手を指が内になるようがっちり組む。親指も内側へ突っ込む。
 
・列(れつ) 智拳印
 大日如来を参照。人差し指を立て、それを片手で握る。

・在(ざい) 日輪印
 親指・人差し指を合せ、手をぱーに開く。

・前(ぜん) 隠形印
 左手を握り、右手で支えるようにする。

…だいたいそんな感じで良い筈。たぶん。
それぞれ写真撮ろうかとも思っていたんですが、時間ないのでごめんなさい。
字で書いてもなんだか分かり辛いですわね。
書いてある本によって微妙に違うようですが、詳しくはどちらか専門書でどうぞ。


とかなんとか散々説明してきましたが。
この印を完全に理解・体得し、自分のものとしていない限り力は発揮されないそうです。
形だけ真似てもダメってこと。わはは。

まぁ、厳密にはそうなんでしょうけれど、試しに実際にやってみて下さい。
おそらく…なんとなーく、集中できたような感覚になるでしょう。たぶん。
何事もほどほどが一番。
理解・体得まで究めなくとも、自己暗示程度にはうってつけです。
緊張した時、不安になった的など、唱えてみると気持ちが盛り上がると思います。


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吉水神社 (奈良)

2009年11月26日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、奈良県は吉野山です。
元々「吉水院」と言っていたらしい、現在は「吉水神社(よしみず・じんじゃ)」なのです。
ここ世界遺産の一部となっているんですね。


古来より桜が多いという吉野山。
地元の方曰く、
春だけで一年分稼ぐ
…とかなんとか、やっぱり見どころ時期は春なのです。

しかし、以前も書いたように、ひでるさんが行ったのは十二月のこと。
この日は風が刺さるように冷たく、コンディションとしては最悪(笑)
こちらでは名宝特別公開があったので、早々と建物に入ったんですが…なんと中もぜんぜん寒いんですねー。
畳もまるで氷のような冷たさなのでした。
いや、これが本当に…。


さて、「天武天皇」の白鳳時代(650~654)
あの「役行者」によって創建された…と、伝えられているんだって。
要するにはっきりはしていないものの、ともかく相当古い場所みたい。
以前に紹介しました、「金峯山寺(きんぷせんじ)」の格式の高い僧坊「吉水院」であったものが、明治八年に寺号を改めて「吉水神社」となったのです。
ここは明治政府による「神仏分離令」によって神社になったところなんですねー。

その主祭神は、南朝代表の「後醍醐天皇」
延元元年(1336)
新政が否定され、「湊川合戦」にて「足利尊氏」率いる軍勢に敗れた政権側。

京の花山院(かざんいん)に幽閉された「後醍醐天皇」でしたが、ここを密かに脱出し、「吉水院宗信」の援護のもとここまで逃れてきたのでした。
朝廷を開いたことで、いわゆる南北朝時代となったのです。

その際に、こちら「吉水神社」を行宮(※)としていたんですね。
当時も…やっぱり寒かったんだろうなぁ。
ほかにも、忠臣「楠木正成」や脱出時に協力した「吉水院宗信法印」を祀っています。
南朝ファン(いないかな)には、欠かせないスポットです。

それよりちょっと前の文治元年(1185)
兄「源頼朝」の迫害から逃れた「源義経」が、「静御前」、「弁慶」らと共にここで身を隠しました。
そうした関係から、建物には「義経潜居の間」、「弁慶思案の間」などがあります。
蟄居の間はいいとしても…弁慶思案~は本当かいな。

文禄三年(1594)になると、太閤「豊臣秀吉」がここを本陣として大花見を催していたりします。
歴史の各ポイントに登場するだけあって、百二十と言われるほど多くの宝物を有する”重文の宝庫”というべき神社なのですよ。
現存する書院は日本の書院建築でもトップクラスというモノで、初期書院造の傑作なのだとか…。


※行宮(あんぐう) ※goo辞書より。
 天皇が外出したときの仮の御所。
 かりみや。行在所(あんざいしよ)。こうきゅう。


[住所]
 吉水神社 奈良県吉野郡吉野町吉野山


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⇒ 父の背中を追う英雄 「楠木正行」(前編 中編 後編
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     
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※こんなんがいいかなぁ…南北朝・室町勉強中なひでるさんです。
 今度はスタンダードに「楠木正成」をやる予定。

正法寺 (京都・西京区)

2009年10月15日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、京都市は西京区のずっと奥…大原野は真言宗のお寺、正式名称「法寿山 正法寺」こと「正法寺(しょうぼうじ)」です。

同じ名前の多い「正法寺」
ブログで以前やった、日本三大仏の一つ「岐阜大仏」があるのも「正法寺」てした。
そっちは岐阜ですが、京都府内だけでも複数ある様子。
まぁ、無難に綺麗な寺名ですもんね。

時は奈良時代。
奈良は「唐招提寺」を創建した、盲目の名僧「鑑真和上」さま。
その高弟で共に日本へ来ていた「智威大徳」はこの地に落ち着いたのが始まりと言われています。
創建は天平勝宝年間(749~756)、後に「弘法大師」もここを訪れ、厄除けのため「聖観音像」を刻みました。
京都寺社の宿命である「応仁の乱」にて焼失しますが、大阪城が落城した元和元年に再興。
元禄年間(1680~1703)には「桂昌院(けいしょういん:五代将軍綱吉の母)」の帰依を受け、徳川家代々の祈願所となったのでした。



そんな訳で…極楽橋を渡ると、そこが「正法寺」
境内全体には全国から集められた岩が配置され、通称は「石の寺」
庭はさして興味のないひでるさんですが…ここの「鳥獣の石庭」こと「宝生苑」は面白い!
あちこちの庭石を蛙とかうさぎ、獅子など十五種類の動物に見立てているのです


※「鳥獣の石庭」案内図

また仏像では、何と言っても重文「三面千手観音」でしょう。
こちらは三面形式という珍しい「千手観音」で、鎌倉時代のものでした。
他にも、西国薬師霊場第四十一番札所ということで「薬師如来」、京都六大黒天霊場第三番ということで「大原野大黒天」がおられます。
この「大黒天」ですが、通称「走り大黒天」という、これまた珍しい仏像なのです。
”一日一刻でも早く福を授けよう”と、走っているんだそうな。
以前紹介しました、「水琴窟」もこちらですね。

適度な広さのある境内です。
仏像は無論のこと、遊び心のある石庭や水琴窟まで、楽しいお寺でした。
オススメです。



[住所]
 正法寺 京都市西京区大原野南春日町1102


[関連記事] 【天部、その他】
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⇒ 訶梨帝母[鬼子母神](仏像)
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 石仏・五百羅漢像 千二百羅漢像 びんずるさま
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※仏像もいいですが…こうしたのを飾っておくのもステキですね。
 問題は飾っておくスペースなんですが。

成相寺 (京都・天橋立)

2009年09月06日 | お寺
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本日は「天橋立」に立ち寄ったならこちらにもぜひ行ってほしい、西国二十八番札所の「成相寺(なりあいじ)」です。

行ってきました、日本三景の一つ「天橋立」
股のぞきしてきましたよー。
看板によると、”だんだん頭に血が充血して目が廻るようになり、まさに天橋立が幻想的にうんぬん…”とか、なかなか危険なことが書いてありました(笑)
設置されている股のぞき台のむこうには特に何がある訳でもなく、なかなかスリリングです。
ぶっちゃけ、ちょっとおっかないです。
なお、こちらのお寺途中に経由することとなる傘松公園からの眺望は”斜め一文字(※上写真)”、もう一方の天橋立ビューランド(文珠山)からの眺望は”飛龍観”と言うんだって。
ぱっと見て面白いのは、やっぱり”飛龍観”かなぁ…。


※股のぞき台 …こわいよ。

さて、眺めた後に立ち寄りました「成相寺」です。
(※実はひでるさんはお寺のがメインなんですが)
正式名称は「成相山成相寺」というそうです。
創建はなかなか古く、慶雲元年(704)のこと。
ユルキャラ問題で有名な平城京遷都は和銅三年(710)なので、それよりも前なのです。
真応上人の創建時には山頂にあり、流行りであった修験道場として信仰を集めていたようですが、室町時代頃の山崩れによって、現在の位置へ移されたんだとか。
京都市内から外れた場所的なこともあってか戦火などにも遭わず、また何年に何があった~みたいなことは書かれていませんでした。
しかし、パンフに書かれていた由来はなかなか興味深いので注目。



一人の僧が山の草庵にて修業中、雪によって周囲を閉ざされたため餓死寸前となってしまいました。
「今日一日生きる食物をお恵み下さい…」
そう願ったところ、外には傷ついた猪(鹿?)が!
本来肉食は禁じられているんですが…ここで僧は左右の腿(つぶし…ってもも付近のことかな)を削ぎ、それを煮て食べたことで生きながらえたのでした。
雪が止んだ後に堂内を見ると、本尊の腿が切り取られ、なんと鍋の中には木片があったのです!!
こいつぁ、たまげた!!
ふと試しに木片を本尊の腿にくっつけてみると、ぴたりと元通りになったのでした。
それがため、くっついて元通りに…成合(相)寺、と名づけられたのです。

…上記には多少”ひでるさん文”が混じってますけど、おおむねそんなん。
肉食っちゃーダメでしょー(笑)
雪で孤立して餓死寸前というくだりも、山男らに言わせると「山をなめちゃイカン!」というところでしょう。
本尊「聖観音菩薩」さまもいちいち大変です。
鍋に残っていたという木片ですが…”仏像を煮ると良いダシが取れそう”という感覚で読ませて頂きました。
僧も極限状態だったようですし、朦朧とした意識の中で単に仏像を煮て、そのスープすすっていただけだったりして。
すみません、悪気はありません。


※左甚五郎作「真向きの龍」…こちらは撮影可でした。

ともかく、そんなお寺なのでした。
なお、物語に登場する本尊は三十三年に一度開扉という秘仏。
ほかには、またまた興味深いエピソードがある「撞かずの鐘」とか、左甚五郎作「真向きの龍」などがあるんですが…もっとも印象に残ったのは、バスの運転。

お寺へのアクセスですが、まずケーブルにて傘松公園まで。
その後、今度はバスに乗って本堂下まで行くんですね。
(※公園からお寺までは歩きだと相当な距離がある様子)
このバスの運転が凄まじい。
ガードレールも完全ではないという山道を、そこそこの図体であるバスが市内では出さないだろうスピードにてぐいぐいと上って行くんですよ。
目前に広がる断崖絶壁もなんのその。
さすがに下りは減速していましたが貴重な体験でした。
まぁ、何度も往復しているので慣れっこなのだと思いますが、ベテランのテクニックを見させて頂きました。


※撞かずの鐘 …鐘の音と共に、子供のすすり泣く声が……

本堂は安永三年(1774)のもの。
山門には仁王像がいたようなんですが…バスに乗るとすっ飛ばしてしまうので、そちらも見たい方は注意。


[住所]
 成相寺 京都府宮津市成相寺339

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十津川警部 幻想の天橋立 (集英社文庫)
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※なかなか良い温泉地でした。
 そんな訳で、当然サスペンスの舞台にもなるんですねー。



晴明神社 (京都)

2009年07月30日 | お寺
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本日は、京都は上京区の超人気スポット「晴明神社」です。

こないだ旅行へ行った際、久々にこちらを訪ねましたが…いやー、相変わらず人が多い。
また、何気に新しいオブジェが増えているんですよ。
さすがに儲けてる神社は違いますねー(笑)

そんな「晴明神社」は「安倍晴明(あべの・せいめい)」を祀っている神社です。
しゃらんとした細身の美男子で、魑魅魍魎を相手にする陰陽師というイメージがやたら強い彼ですが、実際は当然ながら悪鬼などと戦うなーんてことはなく、占いと計算が得意な学者風であったようです。
出世も遅く、歴史に登場する天徳四年(960)は四十歳くらいだったとか。
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(※こちらがオススメ:「暴れん坊少納言3巻/かかし朝浩」)
要するに「源頼光」と似た後付けで英雄とされた人なんですね。

ピカピカでなーんの風情も感じられない「晴明神社」ですが歴史は古く、寛弘四年(1007)に「一条天皇」が創建。
「もしかしてカレは稲荷神の生まれ変わりじゃないの?」
…と言ったかどうか。
晴明が亡くなったのは寛弘二年(1005)なので、死後に即神格化されたようです。
一条戻橋近くにあった屋敷跡に建てられ、その当時は広大な社領があったのでした。
しかし、多くの神社仏閣と同様にその後は衰退。
「応仁の乱」を始めとした戦乱の被害や「豊臣秀吉」の都市整備によって縮小し、一時は荒れ放題でありました。
幕末後からじわじわと整備され、堀川通に面したのも昭和二十五年(1950)のこと。
…だから二段構えみたいになっているんでしょうかね。


境内には小さい一条戻橋と式神石像。
式神はなんだかお婆さんちっく(笑)


そして晴明井、厄除桃。


おお、いました「安倍晴明」公像。
若くはないようですが、なんだか微妙に分かり辛い容姿でした。うまい。


…などがあります。
まぁ、はっきり言って時代の息吹を感じられるようなものではありませんが、色々あって楽しいですね。
(※このまま五百年くらい過ぎれば、雰囲気が出てくるかもしれません)
境内のショップも若い方向けの洗練された綺麗なものでしたよー。


こんなん買ってきました。
かわいいでしょ。


[住所]
 晴明神社 京都市上京区堀川通一条上ル806

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⇒ 義仲寺 (滋賀)


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※こんなイメージですよねー。
 しかし、グリム童話で安倍晴明ってのはなんなんだろう。

修禅寺 (静岡県・伊豆市)

2009年07月16日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は静岡県伊豆市は温泉地として有名な「修禅寺(しゅぜんじ)」について、です。

この修善寺町には、なんと縄文時代からの遺跡が発見されています。
しっかりと歴史に登場するのは、平安時代のこと。
大同二年(807)
かの「弘法大師・空海」とその弟子によって開かれました。
当時は密教形式の堂宇が建ち並び、伊豆ではトップクラスという大寺院であったようです。
それ以後四百七十年ほどは、真言宗に属していました。

なお、その頃は桂谷という地名そのまま「桂谷山寺」という寺名。
しかし、いつの間にか改名したらしく、鎌倉時代頃には現在の「修禅寺」と呼ばれています。
ちなみに、寺領であった地名もそのまま「修禅寺」とされたのでした。

建久四年(1193)
猜疑心の強い「源頼朝」から睨まれた弟「源範頼(みなもとの・のりより)」は、ここ「修禅寺」に幽閉されて誅殺。
さらに、権力闘争に巻き込まれた二代将軍「源頼家(みなもとの・よりいえ)」も元久元年(1204)に「修禅寺」へ幽閉され、暗殺されるのでした…。
源氏にとっては微妙な歴史の残るお寺なんですね。
続いて建治元年(1275)
中国から来日していた禅僧「蘭渓(らんけい)」ですが、大陸からのスパイであると容疑をかけられ、この地へ逃亡。
もともと臨済宗を広めにやってきた彼が長く滞在していたためか、以降二百二十年は臨済宗となりました。
ちなみに、庶民人気の高い(※)五代執権「北条時頼」もこちらの「蘭渓」によって深く臨済宗に帰依しており、一時期は宋の皇帝から勅願が下るほど中国でも有名になっていたのです。
(※時代劇”水戸黄門”のように諸国漫遊をしたとされる)

南北朝時代の康安元年(1361)
伊豆国守護・関東管領であった「畠山国清」の謀反に巻き込まれて被害を受け、さらに応永九年(1409)の大火災によって、伽藍のほとんどを焼失してしまうのでした。
それ以降は荒れ果てた「修禅寺」ですが、時は流れて戦国時代。
伊豆を攻め取って韮山城に入った「北条早雲」は、荒れ果てたお寺を見て莫大な寺領を寄進。
名刹再興したのでした。
現在の本堂は明治に再建されたものだって。
ちなみに、最終的には曹洞宗になってます。


※温泉「大師の湯」 湯気出てたんですけど…わかるかなー??

寺宝として「修善寺物語/岡本綺堂」の原作となった古面ほか、貞観年間(平安時代・初期)頃の作と言われる「大黒天」などもあるこちら。
…なにげに、こちらの手水は温泉「大師の湯」である点が最も驚きました
あったかいのよ。


[住所]
 修禅寺 伊豆市修善寺964 (※寺名と地名で漢字違うの)

[関連記事]  【 源平合戦 祭り 】
⇒ 武家の名門「清和源氏」とは?
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⇒ 直接対決!鎌倉幕府vs朝廷 「承久の乱」[       ]
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⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都編)
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※そんな訳で水戸黄門です。
「北条時頼」の世直し諸国漫遊ってのも面白いと思うんですが…どう?

五百羅漢寺 (東京・目黒区)

2009年05月24日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
こないだ「五百羅漢」をやったので…本日は、「目黒のらかんさん」と親しまれている目黒は「五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)」です。


正式名称は「天恩山五百羅漢寺」です。
東京のお寺というのはやっぱり江戸時代からのものが多いですが、こちらも同様。

時は元禄元年(1688)
…えっと、関ヶ原合戦から約八十五年後のこと。

当時四十歳であった「松雲元慶(しょううん・げんけい)」禅師は、江戸の町を托鉢すること数年。
集めたお金によって十数年に渡る歳月をかけ、コツコツと自ら造りあげた仏像なのでした。
凄いですね!
他の羅漢像を見て、自ら造ることを考えた…とのことらしいですが、大したものです。

お寺の創建は元禄八年(1695)
本所五ツ目(※江東区大島付近)にあり、「本所のらかんさん」と呼ばれていたそうです。

五代将軍「徳川綱吉」、さらに八代「徳川吉宗」など、時の支配者であった徳川家の援助を得て、一時は大伽藍が建立されるなど大いに繁栄しましたが、明治維新とともに没落。

二度の移転から現在の目黒の地に移ったのは、明治四十一年のことでした。
それ以降も衰退し続け、昭和五十四年になってようやく境内が整備され、現在の近代的なお堂が完成したのです。

…ちょっと風情に欠けるくらいなのは、そうした切実な理由からなのでした。

そんな歴史の目黒「五百羅漢寺」
松雲禅師が相当に頑張ったらしく、当時は五百体以上の羅漢さんがおりました。
正式には五百三十六体とのことでしたから…勢い余って造りすぎちゃったんですね(笑)

そうした羅漢さまが、ずらりと横に並んだ「羅漢堂」は圧巻。
また本尊「釈迦如来」を飾る本堂の両脇にも整列しておられます。
結構な大きさあるのでなかなか迫力があり、仏像ファンなら一見の価値ありでしょう。

ちなみに…現存している羅漢像は三百五体なのだとか。
誰か突っ込みましたか?
そう、五百羅漢という名ではありますが、実際は五百羅漢ではないのです(笑)


[住所]
 五百羅漢寺 東京都目黒区下目黒3-20-11

[関連記事] 【観音・菩薩・天部などいろいろ】
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※実は、このあたりは色々と楽しいです。
 これぞ、お寺さんぽですね。

お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都外地域編)

2009年04月19日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
ブログは三好氏の途中ですが、本日は特別企画です。

 『 お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都外地域編)   

              (川野太郎・若村麻由美)

…はい。
以前は京都編とか分割されてなく、リニューアルしたところ…なんと、ブログの文字数制限に引っ掛かってしまったのです。
本文としては多くないんですが、この記事実際はリンクとかなんとかで相当な量の文字数になっているのでした。
びっくりですねー。

まぁ、連休も近いことですし、旅行先としてこちらの寺院を訪ねてみてはいかがでしょう?
(※単に並べただけでは不親切なので、コメントつけました)


~ 京都外地域編 ~


■ 奈良のお寺 ■

唐招提寺 (奈良) 「鑑真和上」のお寺。絶塵の名刹。
秋篠寺 (奈良) 「小栗栖常暁」のお寺。
秋篠寺 その2 (奈良)
興福寺 (奈良) 「国宝・阿修羅像」が有名。
薬師寺 (奈良) 世界遺産。南都七大寺のひとつ。
飛鳥時代の国宝 薬師三尊像 (奈良・薬師寺)
金峯山寺 (奈良)  金峯山修験本宗の総本山。山岳信仰の聖地です。


※薬師寺

■ 滋賀のお寺 ■

石山寺 (滋賀) 「源氏物語」を執筆したお寺です。
西教寺 (滋賀) 天台宗真盛宗総本山。明智光秀ゆかりのお寺。
真盛上人「身代わりの手白猿」 (滋賀・西教寺)

豊臣秀勝公菩提寺・妙法寺 (滋賀) 長浜城付近にあります。
長寿院・弁才天堂 (滋賀) 佐和山城址に行くならこちらも。
義仲寺 (滋賀) 木曾義仲、松尾芭蕉ゆかりのお寺。
大通寺 (滋賀) 本願寺一派の寄合道場。「長浜の御坊さん」
浮御堂[海門山満月寺] (滋賀・大津市) 近江八景のひとつ「堅田の落雁」


※西教寺 …芸術性を狙って、失敗してます(笑)
     ちなみに、↑あちらも「西教寺」です。


■ 静岡・伊東のお寺 ■

松月院 (伊東) 七福神「弁天様」を祀る。
海光山 仏現寺 (伊東) 七福神「毘沙門天」を祀る。「天狗の詫証文」もあります。
東林寺 (伊東) 七福神「布袋」を祀る。「河津三郎」ゆかりの寺。
清水寺 (静岡県・音羽山) 京都の清水寺に似てたらしい。
足柄聖天堂 (静岡県・小山町) 日本三体聖天尊のひとつ。
依京寺 (裾野・景ヶ島渓谷) 石がとろけた「景ヶ島渓谷」にひっそりと。

■ 神奈川のお寺 ■

川崎大師・平間寺 (川崎市) 亀がいっぱいおりました。
大天狗像 大雄山最乗寺 (南足柄市) でかい下駄が目印。
日向薬師 (神奈川) 鼻から蜂が。
田谷の洞窟・体験記 定泉寺 (神奈川県横浜市) 魅惑の洞窟体験「リアル・ドラゴンクエスト」
浄発願寺 (神奈川・伊勢原) 浄発願寺の跡地。やや不思議な雰囲気。
宝蓮寺 (神奈川県・秦野市)  歴史のあるお寺。秦氏ゆかり。
重文 木像聖観世音菩薩立像 (秦野・宝蓮寺)
浄智寺 (神奈川県・鎌倉) 鎌倉五山第四位。「北条師時」によって創建。
鎌倉大仏 (鎌倉市・高徳院) 鎌倉で唯一の国宝。
鎌倉大仏・胎内参拝 (鎌倉市・高徳院)
長安寺 (神奈川県・箱根) 石仏の羅漢さんが見所。
長安寺・五百羅漢像 (神奈川県・箱根)
早雲寺 (神奈川・箱根)  小田原北条家の菩提寺。


※浄発願寺

■ 東京のお寺 ■

清水堂 (上野)  手水のつかいかた。
大円寺 (東京)  全自動・御手洗所。
閻魔像 (新宿・太宗寺) 閻魔堂でボタンを押そう。
五智如来石像 (葛飾区・真勝院) 寅さん記念館の帰りにでも。
蛸薬師 成就院(東京・目黒) 薬師像を持ったタコに遭遇。
高幡不動尊 「金剛寺」 (東京・日野市) 「関東三大不動」の一つ。
重文 木造不動明王坐像 (東京・金剛寺)
幻の真慈悲寺 (東京都・日野市) その存在が幻とされている。

■ その他地域のお寺 ■

長齢寺 (石川県七尾市) 前田家の菩提寺。
瑞鳳寺 (宮城県仙台市) 伊達家の菩提寺。
中禅寺 (栃木県・日光市) 松竹映画「愛染かつら」のロケ地。
立木観音 (栃木県日光市・中禅寺)
岐阜大仏・正法寺 (岐阜) 日本一の乾漆仏「籠大仏」あります。
中尊寺 (岩手県・平泉) 奥州・藤原氏のお寺。「金色堂」は国宝です。
達谷窟毘沙門堂 (岩手県・平泉) 百〇八体もの「毘沙門天」を祀ったお堂。



※ちなみに…タイトルの元ネタは、懐かしの「料理バンザイ!」な1コーナーでした。
 司会は皆の憧れ「滝田栄」さん。
 

[関連記事] 
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都編)




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※百寺巡礼してみたいですねー。
 とりあえずは先立つものもそうですが、時間が…。

一度は行きたい・奇祭「かなまら祭」 (川崎市・金山神社)

2009年04月09日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
ブログでは「三好長慶」の真っ最中ですが…本日はコチラ、緊急レポートシリーズ(そんなのない)です。
『 一度は行きたい・奇祭「かなまら祭」 (川崎市・金山神社) 』なのですよ。

さて、お寺や神社などを色々調べていると、誰しもが必ず奇妙奇天烈なものにぶち当たると思います。
こういった、驚くようなものを発見したりもするでしょう。
……たぶん。

そういった類のに信仰があるのは、本の知識から知っていました。
ただ、それが神奈川県は川崎市という、ごく身近な場所にあるモノとは想像しませんでした。
もうすぐ開催であると聞き、去年からスケジュールを確保していたのです。
今年は四月五日は日曜日「かなまら祭」です。
(※毎年四月の第一日曜に行われる)
その感動・興奮の覚めやらぬうち、緊急レポートとしてお届けいたします。


※境内は大混雑です。

もともとは鍛冶の神様でした。
しかし、江戸時代になってから川崎宿の飯盛女(めしもりおんな:簡単には仲居さん)らの願掛けから、現在の「かなまら祭」が行われるようになったのです。
こちらの神様「金山彦神(かなやまひこのかみ)」は鍛冶(金属など鉱山系ね)を司るほか、性神としての信仰もあり、子孫繁栄、安産、縁結び、夫婦和合などの御利益があるのでした。
最近ではエイズ除けのお祭りとして、国際的にも有名になったのだとか…。


そんなこんなで、JR川崎駅から京急川崎駅へ。
この時点から周囲は物凄い人でした。
乗った正午前の電車はまさに超満員で、なんとなくを予感させられます。
結構な人数の外人さんもおり、案の定「川崎大師駅」にてほとんどが下車していました。
…これは、祭目当てですね?
その駅前から神社までの道も相当な人だかりで、
普段はこのあたりガラガラ~
という言葉が嘘みたいです。

さて、祭です!

境内は今回のメインである神輿に群がる人人人……、土産物店に群がる人人人…。
携帯カメラ、デジカメが大活躍!
電車の時点でもう超満員でしたが、境内はそれ異常…じゃない、それ以上の混雑ぶりでした。

人をかきわけ、かきわけ進むと、ついにありました!
なかなか立派な具合です。
……なんというか、すごい。


※で、でたー!!

周囲のオブジェから旗に土産、果ては大根から飴までシンボルで一色!
もうお腹いっぱいです。
いやぁ、日本って本当に面白いですね~
そう素直に感じました。
いや、本当に。


※記念撮影やら、お土産やら…。

こんな祭ですが女性客も普通におり、レプリカでの記念撮影も絶えません。
なんだかコチラがドキドキ(笑)
前述しましたが、販売されていた土産物もそんじょそこらの祭とは違いました!凄い!!
大根をソノ形に刻んだりもありました。
コチラも周囲は人だかり絶えず、大賑わい。


※イタリアTV局にインタビューされる巫女さん

さきほど外人さんも~と書きましたが、外国人比率が高いのも特徴。
なんだか、フランスだかなんだかのテレビ局が取り上げて、ウタマロブームが過熱したようなのです。
当日も日本の取材陣は皆無であるというのに、イタリアのテレビ局ほか外国からの取材陣を何組か発見。
国際的ですね!
売店の巫女さんなどに、熱心にインタビューしていました。
隣で聞いてましたが、日本語もお上手です。

日本人、外国人、問わず皆さん笑顔。
マナーもよく守っており、とりあえずひでるさん視界の範囲だけではありますが、あれほどの混雑でも嫌な気分になるようなことはなかったです

築地の見学コースでは一時中止になる騒ぎもあったようですが、こちらはキチンと日本の文化を楽しまれておりました。


※そして神輿は街中へ…

ちょっとくすぐったい終わり方で大変申し訳ないですが、あの空間には人種・性別を超越したかのような、平和な理想世界が広がっていました
…いたと思います。たぶん(笑)

あれだけの人だかりでしたからねー。
なにげに凄いことではないかなぁ。

…以上、ざっくりとした文でお届けしました。
めいっぱい楽しませていただきましたよー。
土産に購入した手ぬぐいは外で使えそうにありません。


※土産の「手ぬぐい」です。わはは。

お祭り実行委員の皆様、本当にお疲れ様でした。
来年度も期待しております。



[関連記事] 【神社・日本の神さま・など特集】
⇒ 仏像の種類 (お父さんのための仏像講座) [前編] [後編]
⇒  ちょっと特殊な仏像 「鉈彫仏」
⇒ 大天狗像 大雄山最乗寺 (神奈川)
⇒ 河童っぱ~るんぱっぱ、な民話の里「遠野」 (岩手県遠野市)
⇒ お寺と神社
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⇒ 本地垂迹のややこしい話 (仏教・神道)
⇒ 蔵王権現 (本地垂迹・権現) 仏像編 信仰編
⇒ 八幡大菩薩
⇒ 稲荷神社 (前編 ・ 後編
⇒  曼荼羅ってなんだろう
⇒ 鳳凰像 (平等院)
⇒  こまいぬ[狛犬]
⇒   河童狛犬 (常堅寺・岩手県遠野市)
⇒ 三猿について (日光東照宮) (庚申信仰)
⇒  身代わりの手白猿 (滋賀・西教寺)
⇒  大魔神(海洋堂)
⇒  六芸神(東京・浅草)
⇒ 超ヒーロー「マブリットキバ」  (岩手県・遠野市)



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※とっつきやすいのは、やっぱり「みうらじゅん」さんの本。
 興味持った方にはオススメ。


大覚寺 (京都)

2009年03月22日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は…たぶんまだやっていなかったと思うので、名勝地としても名高い「大覚寺」についてです。

正式名称「旧嵯峨御所 大覚寺門跡」、は真言宗大覚寺派の総本山なのでした。
こちらも総本山シリーズですね。
近畿三十六不動尊霊場の第十三番札所であるほか、心経写経の根本道場、はたまた”いけばな嵯峨御流”の総司所でもあるのでした。

さすがに歴史あるお寺、しかも門跡寺院(※天皇・皇族が住職となった寺)は違いますねー。


時は平安時代。
即位した「嵯峨天皇(さが・てんのう)」は后との新居として、「嵯峨院」を建立しました。
これが「離宮嵯峨院」で、簡単に分かりやすく言うと…奥さんとラブラブするための別荘ですかね。おおまかに。
”嵯峨”という地名も、長安の景勝地である嵯峨山から拝借したものなのでした。

こちらの「嵯峨天皇」は新しもの好きなのか唐の最先端な知識を持った「弘法大師」こと「空海」を信任し、高野山や東寺を与えております。
こちらの「離宮嵯峨院」にも五大明王を安置するお堂を建立するなど、何度も「空海」が立ち寄っていたようです。
(※当時の飢饉に際し、「嵯峨天皇」が写経された般若心経が現存している)

【 特別おまけ:略系図 】

桓武天皇(※平安京を造営)
   ↓
平城天皇--嵯峨天皇--------淳和天皇===正子内親王
            ↓                      ↓
          仁明天皇-正子内親王      恒寂(恒貞親王)
            ↓
          文徳天皇-光孝天皇
            ↓
          清和天皇(※清和源氏)


貞観十八年(876)
その後、「嵯峨天皇」の皇女「正子内親王(淳和天皇皇后)」が「清和天皇」に上奏して、こちらの一部を「大覚寺」と改め、自らの子(※「嵯峨天皇」のお孫さん)である「恒寂法親王(ごうじゃく・ほっしんのう)」を初代の住職としたのでした。
いわゆる”門跡寺院”ということで保護され、お寺としては安泰であったようなのです。

しかし、武士が台頭する鎌倉時代頃には一時衰退してしまいますが、出家後の「亀山天皇」が住んだことで再興。
いわゆる「大覚寺統」とは、この地にて院政を行っていたことに由来しております
南北朝時代には南朝の御所となって「嵯峨御所」とも呼ばれ、「後宇多天皇」の皇統が入って伽藍の整備などを行ったのでした。
元中九年(1392)には、こちらで長きに渡った南北朝の争いに終止符を打つ講和会議も開かれています。

そうした訳で、この時代頃にも広大な伽藍が造られるなど繁栄していたようですが、残念ながら後の火災によって焼失。
また、例によって(笑)戦国時代の「応仁の乱」がほとんどのお堂を焼失させたのでした。
やめてほしいですねー。

これで大いに衰退したものの、江戸時代初期頃になって復興。
現存する建物のほとんどは江戸時代の再建というのは、こんな歴史があったためなんです。



境内の東にある「大沢池」は周囲一キロという日本最古の庭苑池(ていえんち:池泉を主体とした庭園…みたいな意味でいい筈。たぶん)
中国にある「洞庭湖(とうていこ)」を模して造られたもので、国指定の名勝地なのでした。

仏像好きな方は、本尊である「五大明王」が必見です。
こちらは平安時代作で、それぞれ重文なのですよ。


[住所]
旧嵯峨御所 大覚寺門跡 京都市右京区嵯峨大沢町4


[関連記事] 【明王のいろいろ、ほか】
⇒ 仏像の種類 (お父さんのための仏像講座) [前編] [後編]
⇒ 五大明王 (お父さんのための仏像講座)
⇒ 不動明王 (由来 容貌 信仰
⇒ 不動明王坐像 (東京・金剛寺)
⇒ 降三世明王
⇒ 大威徳明王
⇒ 金剛夜叉明王
⇒ 軍荼利明王
⇒ 太元帥明王 (前編 後編
⇒ 孔雀明王
⇒ 愛染明王
⇒ 烏枢沙摩明王
⇒ 四天王編 (お父さんのための仏像講座)
⇒ 室町時代(歴史さんぽ)
⇒ 続・室町時代 中央政治編
⇒ 続・室町時代 地方政治編
⇒ 関東公方と関東管領 (歴史さんぽ)
⇒ 南北朝時代の若き英雄 「北畠顕家」(    
⇒ 父の背中を追う英雄 「楠木正行」(前編 中編 後編
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     



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南北朝の動乱 (戦争の日本史)
森 茂暁
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※南北朝も勉強中なひでるです。
 何か良い本あったら教えて下さい。

瑞泉寺 (京都)

2009年02月26日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は中京区にあるお寺…というより、ほぼ歴史施設である「瑞泉寺(ずいせんじ)」についてです。

正式名称「慈舟山瑞泉寺(じしゅうざん・ずいせんじ)」は太閤「豊臣秀吉」の甥「豊臣秀次」の菩提を弔うため建立されたお寺です。

この秀次くんは秀吉の実姉「日秀」と「三好吉房」の子です。
甥ですね。
秀吉の養子として取り立てられ、「羽柴秀次(はしば・ひでつぐ)」と改名しました。

早世や無能な養子が多い中でそれなりにキチンと成人(笑)した彼は、「小牧・長久手合戦」での失態を乗り越え、どうにか秀吉から後継者と認められて関白を継いでいました。
色々と言われておりますが、近江八幡での善政は市民にすこぶる評判良く、また大将としても全体的には無難に務めております
期待に応えるべく、かなり頑張ってはいたのです。

しかし、文禄二年(1593)に実子「豊臣秀頼」が誕生してからは運命が急転。
疎んじられた彼は高野山へ追放された末、切腹させられてしまうのでした…。
享年二十八。

このあたりは、以前ブログで「秀次切腹と石田三成」の際にやりました。


文禄四年(1595)
「豊臣秀次」の自害に続いて、彼の妻や妾、そして子供ら三十九名が三条河原にて処刑されます。
(※子が五名、妻・妾が三十四名みたい)
血縁に恵まれなかった秀吉一族において、愛妾はともかくわずかでも血のつながりある子供らというのは実に得難いものなんですが…この時ばかりは、数がそのまま悲劇となってしまうのです。

小説だっけか。
ひでるさんは、何かで文を読みましたが、心凍る思いでした。
なお、境内にはその際に犠牲となった方々の墓・石塔がずらりと並べられておりましたが…その数にぞくっとしましたよ

さて、処刑された遺骸はその場にて埋葬され、当時は塚や石塔が築かれました。
しかし、その後は鴨川の氾濫によって荒廃してしまったようなのです。

慶長十六年(1611)
豪商「角倉了以(すみのくら・りょうい)」親子は物流用に高瀬川を開削しておりました。
その際、偶然に塚を発見したのです。

刻まれた文字「秀次悪逆塚」からそれと察した了以らは僧「挂叔(けいしゅん)」と相談の結果「悪逆」の二文字を削り、塚や石塔を現在の地へ移動させ、「挂叔」を開基として堂宇を建立したのでした。
秀次の法号「瑞泉寺殿」から寺号を付けられ、今日まで続いているというわけ。

本堂には「阿弥陀如来」を安置。
さらに秀次ほか妻らの辞世の和歌を蔵しているほか、墓及び境内には犠牲者四十九名の五輪塔があります。
歴史好きな方は、一度訪れてみるのもいいのではないでしょうか。


[住所]
 瑞泉寺 中京区木屋町通三条下ル石屋町114
(※写真です。…雨ですね(笑))

[関連記事]
⇒ 秀次切腹と石田三成 [
⇒ 「両・分・朱」の貨幣制度
⇒ 「軍師」について
⇒ 行こう!八王子城址 [ 前編 中編 後編 ]
⇒ 滋賀県 「姉川古戦場」 (史跡探訪シリーズ)
⇒ 箱根石仏群・記念館 (箱根)
⇒ 行こう!「関ヶ原ウォーランド」 (岐阜)
⇒ 三河武士のやかた 家康館 (愛知県・岡崎公園)
⇒ 源氏夢回廊 (滋賀・石山寺)
⇒ 石橋山古戦場・与一塚 (神奈川)
⇒ 河村城址 (神奈川)
⇒ 戦国武将・動物愛称いろいろ(調査中)



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殺生関白
植田 至紀
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※果たして、どの秀次が真実なのか…よくわかんないですね。
 大変だったろうとは想像できますが。

金福寺 (京都)

2009年02月08日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都市左京区の「金福寺(こんぷくじ)」です。

こちらは京都にいた際、特に目的もなくふらふらと自転車を走らせ、辿り着いたお寺です。
こぢんまりとした入口のココは、実は”俳諧の聖地”として有名なのでした…。


貞観六年(864)
「慈覚大師」こと「円仁」さまは自ら刻んだ「聖観音菩薩」をこの地に祀り「国家安泰」・「衆生救済」を念じました。
その意思を継いだ「安恵(あんね)僧都」によって創建されたのがこちら「金福寺」、正式名称「沸日山金福寺」なのです。

そんな訳で創建としては平安時代とやったら古いんですが、その後は例によって荒廃。
再建されるのは、それからずっーと進んで江戸時代になってようやくのこと。
「鉄舟和尚」という方がこちらを蘇らせるのです。
元禄年間に復興というので、およそ千年くらいの間はほったらかしにされていたんですねー。

さて、その和尚は有名俳人である「松尾芭蕉」と親交を深めておりました。
ふらり立ち寄った彼をもてなしていた庵は、いつしか”芭蕉庵”と呼ばれるようになるのです。

ただ、時代と共にやっぱり荒廃してしまったそちらは、今度は安永年間に荒廃を嘆いた江戸時代の俳人「与謝蕪村(よさの・ぶそん)」の一門によって再興されたのだとか。
彼らはその”芭蕉庵”にて、句会を開いていたそうなのです。
いわゆる聖地巡礼、みたいな感覚なのでしょう。

そんなこんなで背後の丘には蕪村ら俳人の墓や句碑が多数あり、観音の霊場というよりも”俳諧の聖地”という言葉が相応しい、風情あるお寺です。
芭蕉の碑、芭蕉像、さらに蕪村らの遺品も残されています。


「 うき我をさびしがらせよ閑古鳥 」



※ちなみに入口はこんな感じ。


…と、ここまで書いておいて。
まっったく俳句には興味ないひでるさん。
かの有名人「松尾芭蕉」も正直なところ、どーでも良く(笑)
さらにここは「花の生涯/舟橋聖一」の歴史小説ヒロインである「村山たか女」が尼僧として波乱の生涯を終えたという、ゆかりのお寺だそうなんですが……失礼ながら、誰デスカ??

そうした方々に興味ある方、あるいは庭好きな方にオススメなお寺でした。
ひでるさんはどっちもよくわかりません。


[住所]
 金福寺 京都府京都市左京区一乗寺才形町20



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※聖地巡礼というと…最近はコッチですか(笑)
 なかなか馬鹿にならない効果あるようですが…。

お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都編)

2009年01月22日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は特別企画です。

 『 お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺) 』  

              (川野太郎・若村麻由美)

…はい。
過去にやっていたものの、バージョンアップです。
文字数オーバーしたので、京都、それ以外の地域と分割しました。
まずは京都編ですね。

連休などの旅行先として、こちらの寺院を訪ねてみてはいかがでしょう?
(※単に並べただけでは不親切なので、コメントつけました)



※金閣寺

■ 京都 北区のお寺 ■

金閣寺 (京都) 外人もビックリな黄金寺。
大仙院 (京都) 大徳寺北派の本庵。由緒ある名刹。
龍源院 (京都) 大徳寺南派の本庵。日本最小の石庭「東滴壷」があります。
光悦寺 (京都) 「本阿弥光悦」の寺。
正伝寺 (京都) 伏見城の床が天井という「血天井」のお寺2。
常照寺 (京都) 名姑「吉野太夫」ゆかりのお寺。
天下の名姑「吉野太夫」(京都・常照寺)
等持院の表門(京都) 歴代将軍がズラリ。
将軍 足利義輝 等持院(京都)
等持院 (京都)
閉眠庭 瑞峯院(京都) キリシタン大名「大友宗麟」の縁起を含めた寺。

■ 京都 右京区のお寺 ■

広隆寺 (京都) 弥勒菩薩でお馴染み「霊宝殿」があります。
仁和寺 (京都) 別名「御室御所」という世界遺産なお寺。
二尊院 (京都) 釈迦・阿弥陀の二尊を祀る。
天龍寺 (京都) 世界文化遺産。法堂の雲龍図があります。
無料・公衆電話 (天龍寺)
西明寺 (京都) 三尾の名刹の一つ。
檀林寺 (京都) 皇后「橘嘉智子」さま創立。
高山寺 (京都) 仏道実践の霊域。「鳥獣人物戯画」四巻を所持。
愛宕念仏寺 (京都) 常に念仏を唱え続けた「念仏上人」千観さんのお寺。
千二百羅漢像 (京都・愛宕念仏寺)
法金剛院 (京都) 別名「蓮の寺」
妙心寺・退蔵院 (京都) 画聖「狩野元信」の庭園が見事。
水琴窟 (妙心寺退蔵院、正法寺) 宇宙へ発するシンフォニー。
常寂光寺 (京都・右京区) 京都屈指の紅葉の名所。


■ 京都 西京区のお寺 ■

十輪寺 (京都) 伊勢物語の主人公とされる「在原業平」ゆかりの寺。
大雄院 (京都・妙心寺派) 別名「蚕の寺」
地蔵院(京都)  別名「竹の寺」
善峯寺(京都) JRのコマーシャルにも登場。
善峯寺 その2 (京都)
淨住寺 (京都) 日本三禅宗のひとつ「黄檗宗」の寺。
願徳寺 (京都) 「国宝 如意輪観世音菩薩半跏像(菩薩半跏像)」が素敵。
勝持寺 (京都) 別名「花の寺」

■ 京都 東山区のお寺 ■

養源院 (京都) 伏見城の床が天井という「血天井」のお寺。
大雲院 (京都) 山鉾を模した「祇園閣」が目印。
知恩院 (京都) 浄土宗総本山。
智積院 (京都) 真言宗智山派総本山。
天得院 (京都) 「方広寺」の鐘名を撰文した「文英清韓」長老のお寺。
霊雲院 (京都) 立派な「湘雪和尚」のお寺。
東福寺 (京都) 約十五メートルの釈迦如来像があったらしい。
高台寺 (京都) 秀吉の正妻「ねねさん」ゆかりの寺。
ねねさん 高台寺(京都)
三十三間堂 (京都) 本当は「蓮華王院」、柱間が三十三であるから「三十三間堂」
日本唯一の千体観音堂 (京都・三十三間堂)
六道珍皇寺 (京都) 冥土への入り口があります。
六波羅蜜寺 (京都) おどる「空也上人」ゆかりの寺。
十一面観世音菩薩像 (京都・六波羅蜜寺)
空也上人立像 (京都・六波羅蜜寺)
泉涌寺 (京都) 真言宗泉涌寺派の総本山。ウリは下の仏像ね。
楊貴妃観音 (京都・泉涌寺)  世界三大美女の一人「楊貴妃」を模した観音像で有名。
 

※銀閣寺

■ 京都 左京区のお寺 ■

銀閣寺 (京都) 銀じゃねぇ、でおなじみ。
浄土院 (京都) 通称「大文字寺」
野仏庵 (京都) マニア「上田堪庵」さんの創立。
圓光寺 (京都・瑞巌山) 東照宮とか水琴窟とかある。
聖護院門跡 (京都) 本山修験宗総本山。
曼殊院門跡 (京都) JRのコマーシャルにも登場。
赤山禅院(京都) 泰山府君を勧請したお寺。
金戒光明寺 (京都) 浄土宗の大本山。会津藩と新撰組の屯所が置かれていた。
真正極楽寺 真如堂 (京都) 「藤原詮子」さんゆかりの寺。
うなずき阿弥陀  (真正極楽寺 京都)
詩仙堂・丈山寺 (京都) 「石川丈山」の隠居庵。
狸谷山不動院(京都) <前編> 大小の狸が不気味なほどに。
狸谷山不動院(京都) <後編>
宝泉院 (京都・大原) 「五葉の松」が見事。血天井シリーズ。



■ 京都 中京区のお寺 ■

壬生寺 (京都) 新撰組・ゆかりの寺。壬生狂言もあります。
誓願寺 (京都) 新京極の真っ只中にあるお寺。
革堂[行願寺] (京都) 革聖・行円さまのお寺。
緊急企画 本能寺 (京都) 織田信長最後の地。ヒが去るよう考えられてます。
本能寺跡地 (京都)

■ 京都 伏見区のお寺 ■

嘉祥寺 (京都) 別名「深草聖天」

■ 京都 山科区のお寺 ■

華頂山 元慶寺 (京都・山科) 三十六歌仙の一人、僧正「遍昭」のお寺。

■ 京都 上京区のお寺 ■

広徳山慈受院門跡・薄雲御所 (京都) 皇室ゆかりのお宝が数多く現存。

■ 京都 下京区のお寺 ■

因幡薬師・平等寺 (京都) 日本三如来の一つ。

■ 京都 その他のお寺 ■

黄檗山萬福寺 (京都・宇治) 黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山。




※ちなみに…タイトルの元ネタは、懐かしの「料理バンザイ!」な1コーナーでした。
 司会は皆の憧れ「滝田栄」さん。




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