お寺さんぽ Ver.03

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吉水神社 (奈良)

2009年11月26日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、奈良県は吉野山です。
元々「吉水院」と言っていたらしい、現在は「吉水神社(よしみず・じんじゃ)」なのです。
ここ世界遺産の一部となっているんですね。


古来より桜が多いという吉野山。
地元の方曰く、
春だけで一年分稼ぐ
…とかなんとか、やっぱり見どころ時期は春なのです。

しかし、以前も書いたように、ひでるさんが行ったのは十二月のこと。
この日は風が刺さるように冷たく、コンディションとしては最悪(笑)
こちらでは名宝特別公開があったので、早々と建物に入ったんですが…なんと中もぜんぜん寒いんですねー。
畳もまるで氷のような冷たさなのでした。
いや、これが本当に…。


さて、「天武天皇」の白鳳時代(650~654)
あの「役行者」によって創建された…と、伝えられているんだって。
要するにはっきりはしていないものの、ともかく相当古い場所みたい。
以前に紹介しました、「金峯山寺(きんぷせんじ)」の格式の高い僧坊「吉水院」であったものが、明治八年に寺号を改めて「吉水神社」となったのです。
ここは明治政府による「神仏分離令」によって神社になったところなんですねー。

その主祭神は、南朝代表の「後醍醐天皇」
延元元年(1336)
新政が否定され、「湊川合戦」にて「足利尊氏」率いる軍勢に敗れた政権側。

京の花山院(かざんいん)に幽閉された「後醍醐天皇」でしたが、ここを密かに脱出し、「吉水院宗信」の援護のもとここまで逃れてきたのでした。
朝廷を開いたことで、いわゆる南北朝時代となったのです。

その際に、こちら「吉水神社」を行宮(※)としていたんですね。
当時も…やっぱり寒かったんだろうなぁ。
ほかにも、忠臣「楠木正成」や脱出時に協力した「吉水院宗信法印」を祀っています。
南朝ファン(いないかな)には、欠かせないスポットです。

それよりちょっと前の文治元年(1185)
兄「源頼朝」の迫害から逃れた「源義経」が、「静御前」、「弁慶」らと共にここで身を隠しました。
そうした関係から、建物には「義経潜居の間」、「弁慶思案の間」などがあります。
蟄居の間はいいとしても…弁慶思案~は本当かいな。

文禄三年(1594)になると、太閤「豊臣秀吉」がここを本陣として大花見を催していたりします。
歴史の各ポイントに登場するだけあって、百二十と言われるほど多くの宝物を有する”重文の宝庫”というべき神社なのですよ。
現存する書院は日本の書院建築でもトップクラスというモノで、初期書院造の傑作なのだとか…。


※行宮(あんぐう) ※goo辞書より。
 天皇が外出したときの仮の御所。
 かりみや。行在所(あんざいしよ)。こうきゅう。


[住所]
 吉水神社 奈良県吉野郡吉野町吉野山


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※こんなんがいいかなぁ…南北朝・室町勉強中なひでるさんです。
 今度はスタンダードに「楠木正成」をやる予定。


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