お寺さんぽ Ver.03

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真正極楽寺 真如堂 (京都)

2007年12月05日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都左京区は「真正極楽寺 真如堂」です。

このブログを書くにあたってパンフを見ているんですが…。
初めて知りました。
「しんせいごくらくじ」と読んでいましたが、「しんしょうごくらくじ」なんですね。
些細なことなんですが。

こちら「真如堂」は通称。
正式には「鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざん・しんしょうごくらくじ)」という天台宗寺院です。
本山は比叡山延暦寺ですよ。
信長に焼かれたとこね。

永観二年(984)
まだ平安時代ですね。
比叡山の僧「戒算上人」が比叡山・常行堂の本尊「阿弥陀如来立像」を神楽坂の東にあった「東三條女院」の離宮へ移したのが始まりとされているようです。

…ちょっといじりましたが、↑上の文は分かり辛いでしょう?
「東三條女院」ってのは「藤原道長」の姉で、人間です(笑)
院、なんてついているから、建物かとカン違いしてややこしいんですよ。
「藤原詮子(ふじわらせんし)」が本当の名前で、あちらは院号なのでした。

要するに、戒算くんが詮子ちゃんのとこへ仏像持って行った、と。
こうして「真如堂」は不断念仏(※その期間は昼夜を問わず断えず念仏をすること)の道場として庶民、特に女性の信仰を集め、深い帰依を受けてきました。
しかし、応仁の乱(1467)など度重なる戦火によって堂塔はことごとく焼失。
やっぱりです。
あの市街戦がどれだけの被害であったか、お寺を調べるとつくづく思い知らされますよ。

それでも、ご本尊はどうにか難を逃れて元の比叡山や大津へ移動。
こちらは現在も残っております。めでたしめでたし。

「真如堂」は足利将軍や「豊臣秀吉」によってその度に再興され、京都各地数箇所を転々とした後、元禄六年(1693)にようやく旧地である現在の地へ再建されるのでした。
現在の本堂は享保二年(1717)なんだって。
ほか建物もだいたいその江戸時代頃のものであるようです。

カラーのパンフには春夏秋冬と景色も鮮やかで、実にいいものです。
JR東海のCMになりそうですよ。


[住所]
 真正極楽寺 真如堂 京都府京都市左京区浄土寺真如町82

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※でました、ぶらりですよ。
 どちらからか、あのとぼけた声が聞こえてきそうです。
 「おやおやひでるさん…」


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