お寺さんぽ Ver.03

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三千院 (京都)

2010年02月14日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は歌でもお馴染み、京都大原の「三千院」です。

京都からやや離れた、大原の地。
豊かな田園風景の広がるこちらはもともと「魚山(ぎょざん)」と呼ばれ、仏教音楽(声明)発祥の地でした。

その「声明(しょうみょう)」というのは、もともと古代インドの一般教養。
学問「五明」のひとつで、習得すべき五つのうちの一つとされていたものです。
(※簡単には、文法(←コレ)、工芸、医療、倫理、仏教)
簡単には、儀式の際に用いられる音楽
当時は楽譜などがなかったため、「伝教大師」こと「最澄」が持ちこんだ後に、それぞれ宗派にて自由に発展していきました。

平安時代には「慈覚大師」こと「円仁」が「来迎院(らいごういん)」を建立してここを声明道場とし、そちらを「良忍」が再興して発展。
この付近が「魚山」と呼ばれているのは、発祥の地に因んでのものでした。
(※三国志がお好きな方にはお馴染み、魏は「曹植(そうしょく)」の体験によるものです)



いきなりややこしい話で失礼しました。
そうした訳で、山号「魚山」という、正式名称「三千院門跡」のこらち。

もともとの創建は、先ほども登場しました「伝教大師」こと「最澄」です。
比叡山・延暦寺建立の際に結ばれた草庵が起こりとされています。
その後京都を転々とし、その度に「梶井門跡(かじいもんぜき)」、「梨本門跡(なしもともんぜき)」などと名称はコロコロ変化していたようなのです。

元永元年(1118)
時代は平安後期。
武士が好きな人のため源氏で言うと…「八幡太郎義家」の孫「源為義(みなもとの・ためよし)」な頃ですね。

「堀河天皇」の第二皇子である「最雲法親王(さいうん・ほっしんのう)」が継いだ以降は門跡となり、こちらは皇族が代々住職を勤めるようになりました。
(※天台宗・五箇室門跡(ごかしつもんぜき)の一つ)
この時は東坂本付近にあったようです。
同じ頃に「来迎院」、「勝林院」などのお寺を管理するため、大原には政所(まんどころ:経営・雑務を行う部署)が設けられました

坂本で火災に遭ってまた各地を転々とし、また京都寺院には避けて通れない「応仁の乱」の被害を受けた後、仮御所としてその政所に移り、ようやくこの地に落ち着いたというのでした。
平安時代には「龍禅院」と呼ばれていたという客殿がそれ(政所)のようです。

そうした歴史がためか、現在の「三千院門跡」という名称になったのは、なんと明治四年のこと
…ずいぶん最近なんですねー。
ちょっと意外でしょ。



超有名な国宝「阿弥陀三尊」を本尊とし、建物自体も重文という「往生極楽院」
もともと三千院とはまったく関係なく、浄土真宗七高僧(しちこうそう)の一人「源信僧都(恵心)」が父母の菩提のため姉「安養尼(あんように)」と共に寛和二年(986)に建立したものでした。
現在のものは江戸時代に修理されたもの。
(※内陣はもともとの姿なままであるみたい)
三千院に取り込まれたのも、明治時代なんだって。
なお、そちら「阿弥陀三尊」の詳細については別にやります。

ほか、「伝教大師」作と言われる秘仏「薬師如来」を本尊とする「宸殿(しんでん)」、「智証大師」こと「円珍」作と言われる秘仏「金色不動明王立像」のある「金色不動堂」などが境内にあります。
また「金色不動明王立像」は平安期の立像だそうです。
公式HPにてお姿が見れますので、ぜひどうぞ。
非常に良いトコロでした。


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